My Biography(46)_戦友、奥寺康彦(オーストラリア発_その4)

■奥寺康彦の人間性とチーム内ヒエラルキー・・

奥寺康彦は、意識と意志の高揚によって、着実に進化のプロセスを加速させていった。

もちろん、そのなかにも、大きなアップダウンはあった。でも奥寺康彦は、その都度、「何か」を乗り越えていった・・と思う。

彼と、その「何か」について語り合ったことがあった。

「そうなんだよね・・やっぱり、日本の感覚が抜け切れないということなんだろうな・・最後のところじゃ、どうしても遠慮しちゃうコトもあるんだよ・・」

彼は、ギリギリのライバル争いだけじゃなく、チーム内でのヒエラルキーについても語っていた。

「もちろん、チームのなかで上下関係なんてあっちゃいけないけれど、それでもオレは、自分が、チームの中心選手だという自覚をもたなきゃいけないってこと も、周りから言われるし、この頃は、自分でも、そう意識するようにもなってきたんだ・・もちろん、家族を守るのはオレしかいないという自覚もあるし さ・・」

私は、奥寺康彦が垣間見せる、そんな「微妙な心の動き」を体感しつづけていた。だからこそ、彼に対する情緒も、特別なモノへと高まっていった。

彼は、とても誠実で謙虚、そして思いやり深い優しい男だ。

でも、彼が置かれているのは、プロ(ビジネス)の荒波。その環境は、人間の優しさとは別次元のベクトル上にある。

そんな環境に置かれていた彼は、その一挙手一投足が、周りから観察されていた。そして彼は、そこでの評価に基づいて、チーム内のヒエラルキーが形作られていくことを感じていた。

もちろん、なかには、奥寺康彦の「優しさ」に付け入ってくる輩もいた。そして奥寺康彦は、何度も、嫌な経験をさせられた。

私は、そんな苦い経験の多くを知っている。

その体験を、どのように理解し、どのように対応していったらいいのか。彼も、かなり悩み、考えをめぐらせていた。

「そうなんだよネ・・」

「オレは、やっぱり日本人なんだよ・・だから、ドイツのプロ選手のように、荒っぽく自分の地位を築こうなんてしちゃいけないと思うんだ・・日本人には、ド イツ人にはない良さがあるし、それを、しっかりと見せていけば、そのうちに仲間たちも、本当の意味でオレのことを理解するようになってくると思うん だ・・」

その発言に刺激され、私も、こんな言葉を口にしていた。

「そう・・まさに、その通りだと思うよ・・オレも、自分のサッカーチームのなかで・・まあ、アマチュアだけれどサ・・とにかく、チームのなかの自己主張が 強いヤツらと、本音で接していくなかで、最後は、日本的な思いやりとか、誠実さとか、謙虚さが理解されていったと感じているんだよ・・」

私は、ハナシをつづけた。

「もちろん最初のころは、甘く見られることもあったサ・・言葉も、うまく使いこなせなかったしね・・でも、ゆっくりと言葉を選んで話したり、人と接すると きに、我慢強く自分の感覚を大切にしていくなかで、ヤツ等も、徐々に、オレのことを前向きに理解しようとするようになったんだよ・・」

奥寺康彦と私は、そこで、ある結論めいたハナシに入っていった。

要は、日本的な人間性は、理解されるまでには時間はかかるけれど、一度でも、本当の意味で認識されたら、そこからは、揺るぎない信頼関係が成り立っていく・・ということだ。

「そう・・そう思うよ」

そのとき、奥寺康彦の目が輝いた。

「オレ自身は、基本的なところじゃ、ドイツに来た当時と何ら変わりはないと思っているけれど、仲間のオレを見る目が変わったと感じているんだ・・」

「何ていうか、もう肩肘張って自己主張する必要がなくなったっていうかサ・・もちろん、必要なところじゃ、大声で自己主張するし、自分の判断で、リスキー なプレーにもチャレンジしていくよな・・また、味方のミスは、黙ってカバーするけれど、サボるヤツは許さないとかサ・・あははっ・・」

そんな奥寺康彦の言葉に、頼もしさを感じたモノだ。

・・ヤツは強くなった・・

・・それも、日本的な人間性を失わずに・・それは難しいけれど、本当に、大切なコトだ・・まして、ヤツがいるのは、ある意味で野蛮とまでも表現できるような世界最高のプロの世界なんだから・・

日本的なマインドをしっかりと保ち、誠実に、そして思いやりをもって仲間に接していく。でも、必要とあれば、強烈な自己主張もブチかます。

そんな、日本的なマインドを、ドイツの文化(それもプロスポーツの文化!)のなかでも保持できれば、自分の言動にメリハリが出てくるモノだ。

そう、「The core Column」でも書いた、二面性パーソナリティー

我々は、そんなテーマについても、よく語り合った。

■そして、彼のチーム内ポジションが揺るぎないモノへと深化していく・・

もちろん、ゲーム戦術的に、他のプレイヤーを先発させたり、スターティングラインアップに名を連ねてプレーしていた奥寺康彦が途中交代させられるなど、まだまだ彼のチーム内ポジションは盤石ではなかった。

それでも、彼が、チームのなかで、プロ選手としても、また人間的にも、とても特殊な存在感オーラを放ちはじめていたのは確かなことだった。

そして、そのシーズン(1977-1978年)、1.FC.Kölnは、ブンデスリーガとドイツカップ(日本の天皇杯にあたる)の二冠を達成することになるのだ。

もちろん、奥寺康彦も、主力メンバーとしてしっかりと存在感を光り輝かせていたことは言うまでもない。

そのブンデスリーガ優勝は、特別な意味をもっていた。

1963-1964年シーズンは、ブンデスリーガ創設の年だったわけだが、1.FC.Kölnは、その栄えある初代王者に輝いていた。

でもその後は、タイトルとは無縁の存在になってしまった。そこに登場してきたのが、ドイツサッカー史に燦然と輝くスーパープロコーチ、故ヘネス・ヴァイスヴァイラーだったのだ。

彼は、クラブの体質を悪い方向へと引っ張りつづけていたベテランを追い出し、「新しい血」を導入した。そのなかの一人が、奥寺康彦だったのである。

■クラブハウスでの、ブンデスリーガ優勝祝賀パーティー・・

1978年5月。私も、そこに招待された。

以前のコラムで何度も登場した、1.FC.Kölnのクラブハウス2階にあるレストランだ。

そのパーティーに入れるのは、まさに厳選された「関係者」だけ。

入り口のチェックポイントで自分の名前を言ったとき、屈強なガードマンに、「はいっ!・・アナタは、知っていますよ・・どうぞお入りください・・」と、スムーズに通された。そのときの誇らしい気持ちは、今でも忘れない。

そしてそこは、もう、完全に「無礼講」の世界だった。私も、そのハチャメチャな雰囲気に酔いしれた。

そこには、一年間をとおして様々なカタチで起きつづけた、深くて粗い、悲喜こもごもの人間ドラマのエッセンスが、すべてを「許す」という雰囲気で現出していた。

ちょっと、気取った表現になってしまった。

要は、チーム内で起きていた様々なぶつかり合いや和解、また敵対関係やヒエラルキーなどが、すべて取っ払われていたということだ。

いや、もちろん心の深層では、まだガッチリとカタチを持っていたのだろうけれど、そのときだけは、何となく、そんな心の障壁も「取り払われた」ように感じていたっちゅうことなのかもしれない。

とにかく、優勝パーティーで自然と醸し出された、「何かを超越した」雰囲気は、そんな矮小な人間の心理を、完璧に、隅へと追いやっていたのである。

■ヘネス・ヴァイスヴァイラーも、完全に「解放」されていたっけ・・

忘れられないコトがあった。

奥寺康彦と、端っこのテーブルで飲み食いしていたとき、急に思い立って、彼に言った。

「そうそう・・こんなパーティーじゃサ、自分から動き回って、いろいろな仲間たちと、感情をさらけ出して交流するのがいいんだよ・・あまり仲が良くなかっ たヤツ等もふくめてサ・・それって、後から効いてくるんだ・・オクの人間性をアピールするのに、これ以上ない良い機会だぜ・・行こうヨ・・」

奥寺康彦は、「そうかな~・・オレ、そういうのって苦手なんだけれど・・」等と、ちょっと二の足を踏んでいたけれど、私は、彼を強引に引っ張っていった。

そして、スーパースターのディーター・ミュラーやハインツ・フローエといった主力選手たちだけじゃなく、普段は話すことが少ない控えの選手たちのトコロへも行き、ハグしたり、簡単な言葉を交わす。難しい会話になったら、私が通訳した。

もちろんそこでは、(特に控え選手たちと!)互いの苦労を労(ねぎら)うんだよ。そんな、主力選手だった奥寺康彦の感謝は、すべてのチームメイトに、(奥寺康彦のパーソナリティーが背景にあったからこそ!!)素直に受け容れられていた・・と思う。

私は、そんな素直な「人間的触れ合い」を感じ、心から、「良かった~っ!!」って思っていた。

そして、最後に・・

そう、オッサンのところへ・・

まず私が、ヘネス・ヴァイスヴァイラーのところへ寄っていき、「オクが、挨拶したいって言っているんですが、いいですか?」と、聞きにいった。

そのときヘネスは、もう完璧に酔っぱらっていた。もちろん前後不覚とまではいっていなかったから、「何だ、オマエもいたのか・・」って、私のことは認識した。そして・・

奥寺康彦が側に立っているのを見た希代のプロコーチが、奥寺康彦に対して、最敬礼したのである。あの、ヘネス・ヴァイスヴァイラーが、である。

そのとき私は、冷や汗が出た。だから、側に立っていたヘネスのパートナー(結婚はしていなかったと思う)の方に、「大丈夫ですかネ・・!?」というニュアンスの視線を投げた。そしたら・・

その彼女、ウインクを返し、ヘネスに、奥寺康彦とのハグをうながしたんだよ。

そのときのコトは、今でも鮮明に思い出せる。「あの」スーパーな「ストロングハンド」が魅せた人間的な魅力も含めてネ。

(つづく)

PS:このつづきも、オーストラリアからですかネ・・