My Biography(43)_戦友、奥寺康彦(その1)・・(2014年9月18日、木曜日)

■出会い・・

実は、「1FC. Köln」とプロ契約を締結した奥寺康彦と、最初どのように接触したのか、まったく覚えていない。

この「Biography」連載をはじめ頃の初期ストーリーで登場していただいた湘南高校の恩師、鈴木中先生から、「奥寺にアクセスして、助力してやって くれ・・」と依頼されたことは記憶に残ってはいるけれど、実際に、どのように彼との交友がはじまったのか定かではないのだ。

鈴木中先生は、神奈川県サッカーでは、まさに最重鎮のリーダーであり、奥寺康彦とも関係深い方たちと話すなかで、既に1年前にドイツへ渡っていた私のことが話題にのぼったのだという。

「・・そりゃ、湯浅に面倒を見てもらうのがいい・・」ということになったらしいのだ。

たしかに私は、彼よりも1年早くにドイツ生活をはじめていた。とはいっても、まだ滞在1年だからね、プロ選手の面倒などみられるはずがない。

でも、鈴木中先生からの依頼だから、アクセスしないわけにゃいかない。もちろん奥寺康彦の態度にもよるけれど、もし「ウマが合う」ようだったら、まあ話し 相手くらいにはなるだろうな・・なんていう軽いノリで、「1FC. Köln」のトレーニングへ出掛けたことを覚えている。でも・・

そう、実際に、どのように彼と話しはじめたのか、まったく覚えていないのだよ。

奥寺康彦は、私と同年の「1952年」生まれ。でも、私が5月で彼が3月生まれだったことで、彼の学年は一つ上だった。

高校時代は、同じ神奈川県の高校でサッカーに勤(いそ)しんだし、彼は有名選手だったから、もちろん知っていた。でも、個人的に話したことはない。さて・・

まあ・・いいや・・。

たぶん、トレーニングを終えて更衣室に戻るときに、話し掛けたんだろうね。もちろん彼にも、私が日本人だと分かるだろうし、自然と目が合ったんだと思う。

そして、私の方から、「鈴木中先生や、その他のアナタも知っている神奈川県サッカー関係者の方々から依頼されたんですよ・・」なんて、注意深く話しかけたんだろうね。

■奥寺康彦の、心地よいパーソナリティー・・

どのように接触したかは覚えていないけれど、最初に話し掛けたときの彼の表情は、しっかりと覚えている。

そのとき彼は、これ以上ないほど人なつっこい笑みを浮かべたんだよ。その表情を見て、感じて、すぐに心の距離が縮まった。

「へ~・・鈴木先生が、そんなことをお願いしてくれたんだ~・・それは助かるよ・・何せ、まだ右も左も分からないから・・」

しゃべり方も、まったく「角」がなく柔和で、彼の人柄そのままといった感じだった。

「どうしようか・・これから着替えてくるから、クラブハウスの2階にあるレストランで待っていてくれる?・・今日はマッサージがないから、20分くらいで行けると思う・・」

「1FC. Köln」のクラブハウス2階にあるレストラン。

以前のストーリーで、「1FC. Köln」のアマチュア成人チームでプレーした(入団テストを受けた)ときのことを書いたけれど、そのストーリーを読んでいただいた方々には、私にとってそのレストランが、とても馴染み深い場所であることはご存じだと思う。

「もちろん待っていますよ・・ユックリ着替えてください・・私は学生だし、今日はサッカーのトレーニングもないから、時間はたっぷりあります・・」

最初、もちろん「タメグチ」などは許されないと思った。彼は、日本人最初のプロ選手だし、何といっても学年が一つ上なんだから・・。

「あっ・・スミマセン・・ちょっと話し方が、横柄になってしまったようです・・とにかく、2階で待っていてもらえますか?・・なるべく早く追いかけますから・・」

奥寺康彦のしゃべり方も、私に合わせるように、丁寧なモノに変わった。そんなところにも、彼の人柄がうかがえたものだ。いいネ・・。

■ブンデスリーガ歴代日本人選手ランキング・・

ハナシは変わるけれど・・。

今年(2014年)9月11日、ブンデスリーガ(=ドイツのプロリーグ)公式サイトにおいて、歴代日本人選手トップ10が発表された。

そのランキングの評価基準は、出場ゲーム数や優勝回数、またゴール数といった様々な「数字」だけじゃなく、プレーコンテンツ(チーム貢献度やプレー内容といった定性的なモノ!?)も含まれる。

ランキング対象には、奥寺康彦だけではなく、もちろん、長谷部誠、香川真司、岡﨑慎司、内田篤人といった「新人」連中も入っているのだけれど、そのなかでトップを飾ったのが、奥寺康彦だったのである。

プレーした時代は違うけれど、本場エキスパート連中にも「価値」が高く評価される奥寺康彦の内容ある功績がうかがえるじゃないか。

そのランキング結果を聞いたとき、正直、とても嬉しかったね。

何せ私は、移籍した初年度でいきなりブンデスリーガに優勝するという、めくるめく歓喜だけじゃなく、様々な苦労も含めて、彼のサッカー人生をつぶさに体感していたわけだから・・。

もちろん彼も、私のコーチ修行における歓喜と困難の一端を知っている。だから、戦友。

日本人最初のプロサッカー選手、奥寺康彦。

今では、彼が会長を務める横浜FCのゲームを観戦するときに挨拶を交わすくらいだけれど、それでも、握手をし、微笑み合うたびに、ドイツからの長~い親交の歴史がアタマに浮かぶ。

■そして、初対面から、素直で人間的な交流がはじまった・・

「へ~・・鈴木先生から、そんな連絡が入ったんだ~・・嬉しいね・・」

クラブハウスの2階にあるレストラン。20分ほどして、普段着の奥寺康彦がやってきた。

そして、はじまった最初のコミュニケーションで、すぐに心が打ち解け、自然と、互いに「タメグチ」を使うようになったのだった。

「そうなんだよ・・チュンさんは、神奈川県のサッカー関係者の方々からも、よろしく伝えて欲しいと言っていたよ・・」

そのとき、奥寺康彦が世話になった方々からの伝言も伝えた。彼に対しては、日本の「ほとんど!?」全てのサッカー人が大いなる期待を抱いていたのである。

とはいっても、闘うのは、もちろん彼自身。プロは甘くない。それも、世界に冠たるフットボールネーション、西ドイツのトッププロチームが舞台なのだ。

そこには、ライバルたちとの激烈な争いが待ち受けていた。私は、彼が置かれていた厳しい状況を、詳細に体感していた。

まあ、そのテーマについては、おいおい語っていくことにして、ここはひとまず、彼との初対面コミュニケーションだけに限って紹介しよう。

話題は、サッカーにとどまらず、ドイツでの生活や文化にまでに及んだ。楽しかったし、私も、自分が経験し、乗り越えてきた苦労を「日本語で」聞いてくれる人が出てきたことで、時間を忘れて語り合ったことを今でも鮮明に思い出す。

奥寺康彦は、聞き上手でもあった。というか、性格が素直といった方が正しい表現かもしれない。だから、これまで経験したことを、夢中になって喋りまくっていた・・と思う。

もちろん彼も、いろいろと質問してきた。それに一つひとつ丁寧に答えたけれど、そのなかで、自分にはよく分からない内容の質問に対しても、「たぶん・・」といったニュアンスで「語って」しまうこともあった。

そして、そのこと(不誠実で思い上がった態度!?)に気付き、「あっ・・ゴメン・・それって、単に、オレの思い込みにしか過ぎないかもしれない・・実際の ことは良く分からないから、明日、友人のドイツ人に聞いてみるよ・・」と、素直に反省しなければならないシーンもあったっけ。

それでも奥寺康彦は、素直に聞き耳を立て、理解しようと努力してくれたっけ。

我々の関係は、その最初の出会いから既に、とても人間的なモノへと深まっていった。

(つづく)