The Core Column(43)_アギーレ・ジャパン(その1)・・ベネズエラ戦・・守備(その意識と意志!)こそが!

■前半立ち上がりで魅せたアクティブな意識と意志・・

新生アギーレ・ジャパンの2ゲーム目。そのベネズエラ戦から、テーマをピックアップしようと思う。

今回は、守備意識(≒ハードワークに対する意志)。

ということで、まず、様々な変遷をみせた全体的なゲームの流れを認識するところから入っていこうか。

試合は、ダイナミックに攻め合う(攻守にわたって積極的に仕掛け合う!)という展開から立ち上がった。だからこそ日本代表が、総合力で、優るとも劣らない闘いを展開できるという頼もしさを感じさせてくれた。

そう、日本に(ある部分では!)一日以上の長があるのは明確だったのだ。

中盤だけじゃなく、柿谷曜一朗、本田圭佑、大迫勇也という前線トリオも、攻守にわたって闘志あふれるハードワークを魅せつづけた。

そんな「意志ベース」があったからこそ、次の攻撃にも勢いを乗せられた。特にカウンター。前線の3人だけじゃなく、後方からの押し上げにも、レベルを超えた勢いが込められていたのである。

ウルグアイ戦からは、まさに見違えるほどの意識と意志のレベルアップ。

私は、選手たちの「強い意識と意志のプレー」から、5日間のトレーニングセッションにおける、アギーレの優れた心理マネージメントも感じていた。

彼もまた、世界一流のストロングハンドなのだ。

■ただ、時間の経過とともに・・

そう、前半も15分を過ぎたあたりから、その意識と意志が、めっきりと減退していったのだ。

そして、ベネズエラに試合のイニシアチブを握られ、何度か、安全を意識し過ぎた消極(ミス)パスをかっさらわれたことが原因の決定的ピンチまで招いてしまうのである。

まあ、とはいっても、たしかに日本代表は、カウンター気味のダイレクトコンビネーションから決定的ワンチャンスも作りだした。

柴崎岳から細貝萌、森重真人を経由し、ベストタイミングでウラのスペースへ抜け出した柿谷曜一朗へ(これまたダイレクトで森重真人から!)ラストスルーパスが通されるといった、まさに軽快そのものの決定的ダイレクト・コンビネーション。

また直後には、本田圭佑から柴崎岳へとつながり、最後は柿谷曜一朗が惜しいボレーシュートを放つというチャンスもあった。

でも結局は決め切れず(ベネズエラGKの落ち着いた対応に拍手!)、攻守にわたってハードワークの乏しい消極サッカーの流れを好転させるまでには至れなかったのである。

消極サッカーに終始したウルグアイ戦が思い出されるのも道理だった。

■そしてハーフタイム・・

私は、アギーレが、後半へ向けての檄や選手交代も含め、どのような采配を振るうのか、その一点に注目していた。そして・・。

アギーレがイジったのは、前線トリオの柿谷曜一朗と大迫勇也。

前半において、彼らの全力スプリント満載の(!)攻守にわたるハードワークが目立っていたのは、立ち上がりの10分くらいに過ぎなかった。

その後は、まさに鳴かず飛ばず。足を止めて自分の基本ポジション(サイドやセンターゾーン)にへばりつく受け身のプレー姿勢ばかりが目立っていた。

守備では、自分がボールを奪い返せるシーンでしか、また攻撃でも、自らがシュートへいける状況にしか、ボールがないところでの勝負アクションを起こしていかないのだ。

たしかに柿谷曜一朗は、(前述のように)決定的スペースへ飛び出してスルーパスを受け、そこからシュートをブチかました(シュートできたこと自体は高く評価できるけれど・・!)。

また大迫勇也にしても、最前線でのポストプレー(タテパスの効果的なキープと展開!)では、ある程度の存在感は発揮していた。

それでも、彼らのパフォーマンスが、攻守の組織プレー的に足りなかったのは明白だった。

まあ本田圭佑については、周りとの連係(イメージ連鎖)がアップすれば、大きな成果を期待できるだけの実績はあるわけだから・・。

それに彼は、ミラン(イタリアメディアとチームメイト!?)とアギーレという、これ以上ない「刺激」にさらされていることで(!?)攻守ハードワークの量と質も、大幅にアップしはじめているからね・・エヘヘッ・・。

とにかく、最前線の、仕掛けプロセスにおけるボールがないところでの動きの量と質が大幅にダウンしたことが、前半における寸詰まりサッカーの大きな要因だったのは確かな事実なのだ。

だからタテパスが出ないし、タテへの仕掛けの勢いを加速させられなかった。

そしてハーフタイムに、アギーレが動いたというわけだ。

彼は、大迫勇也に替えて岡﨑慎司を投入し、柿谷曜一朗の代わりに、FC東京の突貫小僧、武藤嘉紀をグラウンドへ送り出した。

私は、その交替に、アギーレの明快な意志を感じていた。もちろん、選手たちへの強烈なメッセージ(刺激)という意味合いも含めてネ・・。

全力で闘わない(汗かきのハードワークをやらない!?)者は、使わない・・。

■そして後半、日本代表のサッカーが大きく動き出した・・

まあ、このコラムで、プレーのダイナミズムが格段にアップした後半のアギーレ・ジャパンについて個々の現象まで深入りしようとは思わない。

とにかく、言いたいことは一つだけ。

そのサッカー内容好転の絶対的ベースが、ルーズボールを狙う積極的なポジショニングも含めた、ディフェンス意志の大幅なアップにあったということ。

それが高揚したからこそ、積極的にボールを奪い返しにいく組織的な連動ディフェンスの機能性も大幅にアップし、次の攻撃にも勢いが乗った。

要は、そのペースアップを引き出した誘因が、交替出場した岡﨑慎司と武藤嘉紀による、抜群にダイナミックな守備ハードワークにあったと思っているわけだ。

彼らがハードワークを積極的にブチかましつづけたからこそ、その「意志」がチームに波及し、全体的なディフェンスの勢いと「連動性」が格段にアップした。

そして、これが大事なポイントなのだけれど、守備ハードワークがダイナミックに連動しはじめたからこそ、次の攻撃(組織コンビネーションの量と質!)も、力強く、危険なモノへとレベルアップしていったのである。

積極性。それは、攻守の目的を達成するために、能動的に「仕事を探しつづける姿勢」とも表現できるだろう。だから、意志。

そう、相手からボールを奪い返すために・・、そしてシュートを打つために・・。

後半のアギーレ・ジャパンは、前半のように、選手たちのポジションが「固定気味になってしまう」ことなく、より自由にポジションチェンジをつづけていた。

そう、選手たちは、主体的に「仕事を探し」つづけたからこその「自由」を、手にしたのだ。

そして私は、そんな「自由マインド」こそが、武藤嘉紀の、スーパードリブル先制ゴールの背景にあったと思うのである。

そのエキサイティングシーン。

守備にもどっていた武藤嘉紀がボールを奪い返したのは、かなり後方のセンターゾーンだった。そこから、目の覚めるような(超速)勝負ドリブルで何人もの相手を置き去りにし、キャノンシュートを、ベネズエラゴールの右隅へ叩き込んだ。

また2点目も、積極的な「自由マインド」を基盤にしたディフェンス参加やポジションチェンジ(オーバーラップ)があったからこその爆発カウンターが功を奏した。

このエキサイティングシーンの顛末も・・。

守備にもどった武藤嘉紀と、抜群の「忠実&創造的ディフェンス」をベースに、素晴らしいゲームメイクを魅せつづける柴崎岳がパスを交換し、そこから武藤嘉紀が抜け出していく。

武藤嘉紀は、流れるようなワントラップから、左サイドをフリーで疾走する岡﨑慎司へ素早くタテパスを送り込み、自身は相手ゴール前ゾーンへ入り込んでいく。

そのまま、タテのスペースへドリブルで突き進む岡﨑慎司。そのとき彼は、ベネズエラゴール前の状況を冷静に見極めていた。

そこへ入り込んでいく武藤嘉紀と本田圭佑には、タイトな相手マークが付いている。人口密度が高いゴール前ゾーン。そのとき岡﨑慎司は、ファーサイドゾーンにも視線を奔らせていた。

そして次の瞬間、岡﨑慎司と、ファーサイドゾーンへフリーで抜け出した柴崎岳の「勝負イメージ」がピタリとシンクロするのである。

そして柴崎岳は、岡崎慎司からの、「一山越える」ような戻り気味クロスを、見事なスライディングシュートで、ベネズエラゴールへブチ込むのである。

それは、この日の柴崎岳のプレー内容からすれば、まさに「正当な報いとしてのスーパーゴール」ではあった。

たしかにゲームは、不運なゴールを奪われてドローという結果に終わってしまったけれど、内容としては、ウルグアイ戦での後ろ向きサッカーを補って余りあるモノだった。

ハーフタイムでの「強烈な意志」が込められたアギーレの采配と、それによって「意識と意志」が大きくアップした素晴らしい後半のサッカー。

私も含め、誰もがアギーレ・ジャパンの将来に光明を見出していたことだろう。

良かった・・

■ディフェンスこそが、全てのスタートライン・・

・・それが、今回コラムの中心テーマだった。

このテーマについては、以前にも、「こんなコラム」を発表しているから、そちらもご参照いただきたい。

最後に、こんなフィロソフィーも反芻させて欲しい。

基本的に受け身にならざるを得ないディフェンス(ボールを奪い返すプロセス!)。それを、いかに能動的、主体的なモノへと昇華させていくのか・・。

それこそが、次の攻撃のクオリティーを左右する決定的テーマ(課題)であり、それをクリアするために、リスクチャレンジも含めた攻守ハードワークに全力を尽くすからこそ、(アギーレも志向している!?)ホンモノの自由を謳歌できるのだ・・。

ホンモノの自由。

それを追い求めるサッカー人にとって、攻守のハードワークやリスクチャレンジは、義務なのである。