2023_J2_第16節・・前半と後半の「違い」を生み出したコノテーション(言外に含蓄される意味)・・それを見つめ直すことは、「次」のために、大いなる価値がある・・(栃木vsヴェルディ、0-2)
前半を観ながら・・
・・なんだ、この低級サッカーは・・
・・そんな、怒りにも似た感情に支配されていた。
まったく、良いサッカーが出来ていない、ヴェルディ。
もちろんソレは、意識と意志のパワーが最低だったから。
ボール奪取プロセス(守備)にしても、スペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)でも。
特に、ボール奪取プロセス(守備)の機能性が、最低だった。
わたしは・・
先発した佐川洸介にハラを立てていた。
まあ、一人の選手に怒りを集中させるのは、究極の「組織ボールゲーム」であるサッカーでは、フェアじゃないケースが多いよね。
でも私の眼には・・
そう、佐川洸介の、まったく煮え切らない「チェイス&チェックやカバーリング」に、ハラが立って仕方なかったんだ。
とにかく、チェイス&チェック(寄せ)が、まさに「アリバイ」プレーそのもの。
まさに、「トンコ・トンコ」ってなリズムの寄せ
アレでは、相手が、まったくプレッシャーを感じないのも道理。
だから周りのチームメイトだって、ボール奪取プロセス(守備)でのイメージングを構築できない。
もちろん、局面デュエルでも、粘りが(闘う意志が)まったく感じられない。
その「アリバイプレー」だけれど・・
それは、「心理ヴィールス」とも表現できるし、それは、すぐにでも、チーム全体に波及しちゃうモノなんだ。
そして、チーム全体のボール奪取プロセス(守備)のリズム(イメージングのシンクロ状態!)が、崩れていく。
そう、日本代表で「サボリ・ヴィールス」を振りまき散らした、鎌田大地のようにね・・
でも、そんなチーム心理メカニズムは、もちろん城福浩にとっても、常識だった。
そして後半・・
その佐川洸介に代えて登場したのが、抜群のハードワーカー、河村慶人だったというわけだ。
城福浩ヴェルディのサッカー内容が、大きくアップしていったコトは、言うまでもない。
そして、セットプレーから、先制ゴールが生まれた。
ということで、このコラムのテーマは・・
主体的に攻守ハードワークとリスクチャレンジ機会を「探しまくる」プレー姿勢・・
それが、チーム内で、統一され、しっかりとシェアされなきゃいけないというディスカッション。
でも、なかには、わたしは「爆発」って呼ぶけれど・・
そんな、強烈なチェイス&チェックや局面デュエル(攻守ハードワーク!)をブチかませない、「サボリ癖」が抜けない選手が、いるモノなんだ。
そうね、そんな選手には、やっぱり、スキルフルなタイプが多いよね。
そう、「上手い」から、子供ときに、チームの主力として「甘やかされ過ぎた」選手ね。
わたしは、ドイツも含めて、この数十年で、「才能」という「諸刃の剣のワナ」にはまり、そのまま消えてしまった天才を、ホントに、数え切れないほど体感している。
わたしは、現役時代、ハードワーカー(目立たない、縁の下の力持ち!?)だった。
特にドイツじゃ、わたしが必死になって奪い返したボールを、スターのテクニシャンへ渡さなきゃいけなかったんだよ。
まあ、そんなコトもあって、天才という「サボリ魔」に対して、かなりの思い入れがあるんだよ。
もちろん不満が先にくるけれど、逆に、ソイツ等を助けたいって思う気持ちもあるんだよ。
だから、鎌田大地だけじゃなく、マチェイ浦和レッズのホセ・カンテ等など、多くの「才能タイプの選手」たちに対して、強烈な「文句」をブチかますのは・・
そう・・
・・わたしの(彼らにとっては理不尽な!?)強烈な批判に対して・・
・・「ウルセ~な~・・黙らせてやるっ!!」ってな感じで、奮起してくれることを期待してね。
彼らは、いくら才能に恵まれていたとしても・・
そう、ディエゴ・マラドーナとか、リオネル・メッシといった、世紀の「超」天才というわけじゃないわけだから・・ね。
あっと、ゲーム・・
後半の城福浩ヴェルディは、まったくの別物チームになった。
全員が、一人の例外もない全員が、攻守ハードワークとリスクチャレンジ機会を探しまくる、とてもハイレベルな「主体性プレー」を魅せたんだ。
それがあったからこそ・・
阪野豊史の、粘りのボール奪取からの、勇気あふれるドリブルシュートが決まったし・・
ゲーム終盤には、決定的ピンチを、「最後の半歩スライディング」で防ぎきった、山越康平のスーパーディフェンスがあった。
・・と、わたしは思っているんだ。
何といっても、不確実なファクターが満載のサッカーは、究極の「心理ボールゲーム」だからね。
だからこそ、選手たちにとっては、チームメイトの「プレー内容(闘う姿勢)」が、もっとも強烈なモティベーションになるっちゅうわけさ。