My Biography(24)_ケルンNo.1プロクラブ(1.FC.Köln=FCケルン)アマチュアチームへのチャレンジ(その4)

■練習ゲーム・・

「オイッ!!・・なんでパスを出さないんだよっ!!」

そのとき、そんな罵声をブチかまされた。

1.FC.Kölnアマチュアチームのトレーニングでのことだ。そこは、私がチームへ加入するためのチャレンジ(テスト・トレーニング)の場だった。

そのトレーニング最後に行われた、フルコートの紅白ゲーム。そこで私は、前回コラムで書いたように、Bチームのチャンスメイカーを任されたのだが・・。

Aチームは一軍。私がプレーしていたのは、ほとんどが補欠プレイヤーのBチームだった。

だから、Bチームが押し込まれるのは道理。でも、Aチームがどんどん押し上げていくものだから、逆に、残っているAチーム守備ブロックの人数は足りなくなっている。

もちろん我々にとっては、願ってもないカウンター攻撃のチャンスだ。

そして、そのカウンターの流れをスムーズに推し進める役割を担ったのが、チャンスメイカーを任された私だったというわけだ。

でも・・

とても重要な役割だったけれど、私がそれを十分にやれたかといったら、まあ、ブレーキになってしまう状況の方が多かったというのが実際だったんだ。

例えば、冒頭の罵声シーン。

Aチームの攻撃を、必死のスライディングで止めたチームメイトが、間髪を入れず、前線にポジショニングしている私の足許めがけ、ものすごい勢いの正確なタテパスを送ってきたんだよ。

もちろん彼は、そのまま、猛然と最前線のスペースへ飛び出していく。

素晴らしいパス&ムーブ。それは、理想的なタイミングとコースのカウンター攻撃フルスプリント(パスを受けるためのフリーランニング)だった。

彼は、相手ゴール前に空いた決定的スペース(相手守備のウラ)へ、まったくフリーで走り込んでいったのだ。

完璧なカウンターチャンス。

もちろん、パスを受けた私から、その決定的スペースへ向けて、タイミング良く勝負のタテパスが出ていればのハナシだけれど・・。

私は、パスを受けたとき、相手のディフェンダーに背後から厳しいプレッシャーを受けていた。でもボールだけは、全身をつかって相手を押さえることで、しっかりとキープしていた。

それは、スクリーニングという。相手とボールの間に、自分の身体で幕(スクリーン)を張ってしまう・・という意味だ。

でも、確かにボールはキープできていたけれど、全力スプリントでタテのスペースへ抜け出したチームメイトへタテパスを送り込む余裕など、まったくなかった。

そして、そのカウンターチャンスが潰(つい)えた後に、冒頭の罵声が響きわたったというわけだ。

■交替させられて・・

その後も、何度かカウンターチャンはあった。でも、中継ポイントとして機能すべきだった私は、ボールをキープすることに余裕をもてず、「カウンターの流れ」を断ち切ってしまったり、スピードをダウンさせてしまうのである。

チームメイトの信頼が地に落ちてしまうのも道理だった。

そして徐々に、私にタテパスが通っても、前方のスペースへフルスプリントで飛び出していくような「ハードワーク」を、忠実に実践するチームメイトがいなくなっていった。

たしかに私は、しっかりとボールはキープできていた。でもそこから、次の危険な攻撃につながるような効果的なパスが出てこない。

私のところで、完全にボールの動きが停滞していたのだ。そして結局は、仕方なくバックパスや横パスに逃げることになってしまうのである。

そんな、ブレーキとしか言いようのないネガティブなシーンが何度かつづいた後、ビーザンツさんが私を呼び、他のメンバーと交替させた。

その後は、観戦するしかないから、芝生に腰を下ろし、気力なく練習ゲームの流れに目をやっていた。そう、単に「眺めて」いただけ。それでは、ゲームの内容がアタマに入ってくるはずがない。

私は、かなり落ち込んでいたのだ。

ピッチの外へ蹴り出されたボールを取りにいく元気もない。本当に、だらしない。そして、そんな自分が嫌になって、もっと落ち込んでいくのである。フ~~ッ・・

でも、そんな私のところへ寄ってきてくれた選手がいた。クリストフ(ダウム)だ。

彼はレギュラー選手だったけれど、その日は、ちょっとケガ気味ということで、練習ゲームには参加しなかったのだ。

「オマエは、ボール扱いは上手いよ・・ベルントとのウォーミングアップを見ていたけれど、オマエのボールコントロールが器用だから、ちょっとビックリしたんだ・・でも、ゲームになったら、そんな印象がガラッと変わってしまった・・」

クリストフは、ゆっくりとした英語で、ゲームでの私の印象を語りはじめた。

「パスをしっかりと止めてキープするまではいいんだけれど、その後に、タイミングよくパスが出てこなかったよな・・もっと周りを見なくちゃいけない・・そ れも、パスを受ける前に見ておくんだ・・仲間が走っているんだから、そのフリーな味方にパスが通ればチャンスになるだろ・・オマエの技術からすれば、 ちょっとイメージしておけば、もっと効果的なプレーができたはずだよ・・まあ、オレ達に慣れてくれば良くなるとは思うけれど・・」

クリストフは、まず私の良いところを誉め、悪いところもズバッと指摘する。そして、これから良くなるという希望も与えてくれる。そんなメリハリのある話し方が、私を勇気づけたことは言うまでもない。

そして思った。

・・ヤツは優しいだけじゃなく、人に元気も与えられる・・同じ歳なのに(実際は私よりも一つ下)、大したものだ・・

クリストフが指摘したことだけれど、その内容はよく理解できたし、納得もできた。

パスを受けて、しっかりとボールをキープできても、相手ディフェンダーのマークが厳しかったから、周りで走っているチームメイトの動きを正確にイメージするところまでいけなかったのだ。

また、仲間のパスレシーブの動きを把握できても、彼が狙うスペースへパスを出すことに逡巡したこともあった。相手のプレッシャーのなかで勝負のパスを出すというリスキープレーに自信をもてなかったんだ。

そう、ミスをすることが怖かったんだよ。だから、バックパスや横パスといった安全策に奔(はし)ってしまう。フ~~ッ・・だらしない。

だから、クリストフの指摘に対しては・・

「味方が走っているのは分かっていたよ・・でも、相手のプレッシャーが厳しかったから、パスを出せなかったんだ・・」

・・という言葉を絞り出すのがやっとだった。

それは、私にとって、ドイツでの最初の「挫折」体験だった。

もちろん毎日の生活では、恥じ入ったり落胆させられるような経験は日常茶飯事だったけれど、そこは、私の人生の「ドメイン」となるべきサッカーの場だ。

だから、そんな「小さな」日常茶飯事でも、「挫折」に似たネガティブ感情に包まれてしまう。

今だったら、なんてナイーブなんだ・・で、済まされるんだろうけれど、そのときは、とても、とても大きな出来事だったんだ。

だからこそ、クリストフの心理的なサポートが嬉しかった。

■トレーニングの後で・・

以前のコラムで、1.FC.Kölnのクラブハウスの二階にはレストランも併設されていると書いた。

それは、クラブの所有ではなく、個人経営だと聞いていた。多分その背景には、長い、長~いクラブの歴史と伝統が息づいているに違いない。

そのレストラン経営者(ファミリー)にしても、何世代にもわたって「1.FC.Köln」と関係を築いてきた人たちなんだろう。

そのレストランは、カウンターや、重厚な木製のテーブル席だけじゃなく、夏はテラス席も用意される。またそこには、大きなホールまである。いわゆる、「ボールルーム」だ。

私は、そのボールルームで、試合を終えたプロのトップチームが、全員そろって会食するシーンを何度も見掛けたことがある。

また、1977~1978年シーズンに、1.FC.Kölnが、二度目のリーグ優勝を果たしたときには、奥寺康彦に誘われ、そのレストランで盛大に催された、関係者だけの優勝パーティーにも参加させてもらった。

勿論そのレストランは、1.FC.Kölnのファンが集ったり、一般の市民が、市の森を散策した後に立ち寄る憩いの場でもあった。

そんなクラブハウスのレストラン。

トレーニングの後には、プロだけじゃなく、アマチュア選手やコーチ、マネージャーといったクラブ関係者が、三々五々集まり、ビールを飲みながら歓談する。

私のトレーニング初日も、例外じゃなかった。

ちょっと気落ちしてシャワーを浴びていたところにクリストフが来て、そのレストランに誘ってくれたんだよ。

そのレストランで飲み食いするのは、そのときが初めてだった。

■トレーニング後の大事なコミュニケーションの場・・

レストランに入っていったとき、既に10人くらいのチームメイトが、ビールのグラスを傾けていた。また、カウンターや、いくつかのテーブル席には、有名なプロ選手たちも残って、知り合いと飲んでいた。

それは、私にとって、まさに近寄りがたい別世界といった雰囲気だった。

そのときの感情を表現するのは難しいけれど、例えば、夜、飲み屋に入ったとき、自分の横で、複数の有名スポーツ選手や芸能人が飲み食いしている・・ってな感じかな。

それも、前にも、横にも、背後にも、「超」のつく有名人が飲み食いしているし、ドイツ語だから何をしゃべっているのか見当もつかない。そりゃ、気圧されるのも道理でしょ。

まあ、後には、奥寺康彦やクリストフ(ダウム)の関係で、そのレストランを使うことが多くなったことで、従業員の方々から気軽に挨拶されるような時期もあったけれど、そのとき(初体験の日)の私は、完璧に、場違いな存在だったはずだ。

レストランに入っていったときは、ちょっと雲の上を歩いている感じだった。でも、気を取り直して、チームメイトがたむろしている人垣に入っていった。

もちろん、クリストフと一緒だったから入って行けたんだよ・・念のため。

彼らが飲んでいるのは、もちろん「ケルシュ」。ケルンの地ビールだ。

このケルッシュの特長は、何といっても、そのグラスのカタチにある。それは、細長い円柱形をしているのだ。

私は、そんなカタチのグラスは、ケルンでしか見たことがない。もちろん円柱形のグラスは他の地方にもあるけれど、ケルンのそれは、とにかく細長いから独特だ。

チームメイトたちは、そのグラスを片手に、とても狭い範囲に肩を寄せ合うように立ち、ワイワイと話をしている。

そんな雰囲気もまた、私にとっては「新しいこと」だった。

レストランには、他に広大なフリースペースがあるのに、彼らは、小さなカタマリになって、立ち飲みをしているのだ。まあ、そんな、飲み屋でのドイツ人の「習性」については、また別の機会に触れよう。

ということで、その人の輪の中に入っていったけれど、もちろん何をしゃべっているのか皆目わからない。でも、その、眉根にシワ寄せ、シリアスな表情で語り合う雰囲気は、まさに「哲学の国」そのものだった。

そんな立ち話の輪に、知らない間に、ビーザンツさんも入ってきていた。

そして、私を見つけるなり、ウインクしながら近寄り、こんなふうにモティベートしてくれるんだよ。

「ネバーマインド__アズ・ユア・ファーストタイム__ザッツ・グッド__ユー・ニード・ア・ビット・モア・タイム__バット・ユー・ウィル・ビカム・ベター__アイム・シュア・・」

ビーザンツさんが、つづける。

「でも、次のトレーニングからは、プレーの問題点を厳しく指摘するからな・・ケンジは、技術は優れているから、慣れてくれば良いプレーが出来るようになるはずだ・・とにかく前向きにいこう・・」

「はい・・ありがとうございます・・」

間髪を入れずに、感謝の言葉が口をついていた。

(つづく)