My Biography(7)__ケルンへ
■フランクフルト中央駅・・欧州最大のハブ鉄道駅・・
さて、フランクフルト中央駅。
そこを起点にすれば、ヨーロッパ中のどの都市へも行ける。だから、何をさておいても、まず「そこ」にたどり着かなければならない。
キップを買うにも苦労するといった体たらく。でも、道行く人に助けられながら(感謝します!!)何とかフランクフルト中央駅へ向かう電車に乗り込めた。荷物が多いから苦労はしたけれど、そこでも、周りの方たちが助けてくれたっけ。今でも感謝しています・・
それでも、何やかやと時間を取られ、フランクフルト中央駅にたどり着いた頃には、既に午後の5時をまわっていた。
このままじゃ、まだ7月で日が長いとはいっても、ケルンに到着するころには真っ暗になっているんじゃないだろうか。明るいうちに着きたかったのに。不安がつのる。
フランクフルト中央駅は、カマボコ型の大ドーム。そのなかにいくつものプラットフォームが並んでいる。とにかく、デカい。そして暗い。
蒸気機関車でもまだ走っているのだろうか。そんなはずはないのだけれど、その暗さと、蒸気機関車のススによる汚れのイメージが一致したんだよ。
そのカマボコ形の駅構内に、所狭しと、ソーセージを売る屋台、おみやげなどの雑貨店、ちょっと高級な感じのレストラン、キオスクなどが雑多にレイアウトされている。ドイツ的な秩序などみじんも感じられない。
前回のドイツ旅行では、ヒッチハイクがほとんどだったから気付かなかったけれど、その時は、『例のモスクワ』から着いたばかりで疲れていたし、いろいろなことで余裕もなかったから、その暗く雑然とした雰囲気に、もっと気持ちが落ちこんだものだ。
とにかく、早くここから出たい・・そしてケルンへたどり着きたい・・。その思いだけがアタマを駆けめぐっていた。
そしてハタと気付くのですよ。そういえば、フランクフルト空港の地下駅では、フランクフルト中央駅までのチケットしか買っていなかったんだっけ・・。フ~~ッ・・
切符を買うにも一苦労したんだから、あそこでケルンまでのチケットを買っておけば良かったんだよ。そうすれば、またチケット・カウンターで苦労することもなかったのに・・
そんなことを考えるだけで、気持ちが萎えていく。そんなことでメゲている余裕なんてないのに・・
■チケットカウンターで再び・・
チケットカウンターの前に立った。そして、「ケルン!」といって、親指を立ててみせる。
こちらはケルンまで大人一枚といったつもりだ。また、親指を立てる仕草にしても、欧米では、すべからくポジティブな意味のはずだから大丈夫だ。でも・・
「ヴォ~ヒン???」と、チケットカウンターの女性係員が、大きな目を引んむいて聞き返してくる。ドイツ語だ(どちらまで??・・という意味)。行き先を聞き取れなかったらしい。
「ケルン!」
もう一度、今度はもっと大きな声で、ワン・ワードずつ区切って言ってみた。そんな言い方をしたら、もっと分からなくなるのに・・
もちろん彼女は、キョトン。そして、私に紙とボールペンをわたすんだよ。
ここに行き先を書け・・ってか~っ!? フ~~ッ・・
仕方なく、紙に「Köln」と書いた。
次の瞬間、彼女が、「Oh~~、Köln!!」、と大袈裟な反応をするんだ。多分そんなことになると思っていた。でも実際に、自分の発音の悪さを再認識させられたときは、本当にガックリきてしまった。
今度は、ニコニコと笑顔で切符とオツリをわたしてくれた彼女。そして私に、「Köln」の発音を練習しろ・・みたいなことを、ジェスチャーを交えて言うんだよ。
私の後には長蛇の列が出来てしまっているのに、そんなことにはお構いなし。そして、「Köln」、「Köln」と、何度も言い聞かせるのである。フ~~ッ・・
私は、「どうも有難うございました・・」と日本語でお礼を言い、おじぎをして早々にそこを立ち去ったのだけれど、その彼女が、「バイバイ」と手を振りながら、「ハブ・ア・ナイス・トリップ!」と、大声で叫ぶんだ。彼女、本当は、英語がペラペラなんだよ。フ~~ッ・・
そんな、ちょっと恥ずかしい体験だったけれど、でもそのとき、何となく、自分がドイツ社会に「入り込みはじめた」ような感覚があった。
とにかく、ポジティブなコトにしてもネガティブにしても、そんな「刺激的な体感と感触」こそが、本物の記憶としてアタマのなかに刻み込まれるんだ。
それは単なる知識とは違う。そして、その記憶が「次の機会」に呼び出され、自分の言動を「次の次元」に進めてくれる。
サッカーでも、まさに、そのことの繰り返しだ。知識ではなく、そんな「体感をともなった経験」こそが、自分の血となり肉となる。そう思う。
ドイツでの生活では、(自分がレスペクトする!?)異文化の環境だからこそ、そんな刺激的な体感を、より「素直」に、積み重ねていけたのだと思う。
ところで、「ケルン」の発音だけれど、「O」の上に点々がつく「ウムラウト」が入っているから難しい。彼女は英語も堪能のようだから、最初から「コローン」といえばよかったんだ。まったく・・
■ケルンへ・・
列車の時間がせまってきていた。
プラットフォームの番号と、列車の発車時刻だけは、確実に調べておいた。列車は急行のはずだ。それに乗れば、二時間弱でケルンに到着する。
でも、待てど暮らせど列車がプラットフォームに入ってこない。
そういえば、さっきから何度も場内アナウンスがあった。ドイツ語だけだったから分からなかったけれど、そのアナウンスは、私が立っているプラットフォームに向けられていたようだった。
そうか・・
そのアナウンスの後、電車待ちをしていた人たちが、「フーッ」と溜息をつきながら移動していったっけ。でも私は、考え事をしていたこともあって、人ごとのように、その光景を横目で見ていただけだった。
オレには関係ないでしょ・・でも実際は・・
そして、「もしかしたら・・」と思いはじめると、いても立ってもいられなくなった。すぐに、近くを通りかかった駅員に、ドモリながらの英語で聞いた。
「・・の列車は、ど、ど、どうなったのですか?」
「あ~、それならプラットフォームが変わって、6番線からの発車になったよ。それにしても、もう発車してしまったんじゃないかな」
その駅員の方の英語は、とてもうまかった。でも、冗談じゃないぞ・・
しかし、それは本当だった。
結局、それから1時間後に発車する、次の急行に乗ることになってしまった。また、1時間のロスである。
そんなこんなで、フランクフルトを出発できたのは、もう夜の7時を過ぎていた。このままでは、ケルンに着くころには夜の10時を過ぎてしまう。どうしよう・・
でも、こうなったら、もう頭を切り換えるしかない。そう、列車の旅を楽しむんだ・・
でも、そんなに簡単に気持ちを切り替えることなんてできっこない。最初は、もちろん強制的に気を逸(そ)らせる努力だけだったから、まったく効果なし。
・・列車の旅を楽しむんだ・・窓の外は、憧れていたライン川じゃないか・・でも到着は夜の十時だぜ・・そんなこと気にしたって、何かを変えられるわけじゃない・・もう楽しむしかないじゃないか・・でも・・何を考えているんだ・・でも・・ってな具合だ。
ただ、そんな「セルフ・コミュニケーション」を繰り返しているうちに、ホントに、「もう何も変えられないんだよな・・なるようにしか、ならない・・」という現実を、素直に受け容れられるようになっていった・・と思う。
不思議だったのは、そのとき、生まれて初めて、そんな「自分の心の動き」を、空中を浮遊する「別の自分」が、俯瞰(ふかん)するように観察している・・なんて感じたことだった。
そして徐々に、車窓から見える景色が、どんどん違うモノに見えるようになっていった。それまでは、単なる「白黒の背景」にしか過ぎなかった景色が、「色彩」を帯びはじめたのだ。
・・ライン川・・そこを行き来する貨物船(たぶん石炭などの燃料を輸送する船)・・なんて長細いんだろう・・
・・上流から下流へ向かう船は、とてもスムーズに移動している・・それに対して、川の流れに逆らって進む船は、まさに青息吐息ってな感じで、逆流をかき分けている・・
・・とはいっても、そこには、時間はかかるにしても、まさに一歩一歩、確実に目的地へ近づいているという「真実」がある・・
そんな、小さな歩を確実に積み重ねることで「前へ進みつづける」というライン川の日常。そんな小さなコトにも、心の揺動を感じられるようになったのだ。
そんなこんなで、ライン川沿いを疾走する鉄道旅行が楽しいモノになっていった・・ホントだよ・・
■一期一会のウシ・・
そうそう、その鉄道旅行では「隣人」にも恵まれたんだっけ。
隣りの席に、ニコニコと笑顔を絶やさず、とても明るく親切なドイツの女子学生が座ったのである。彼女の英語は、私よりも格段にうまい。
とにかく、会話のはずむこと。フランクフルト大学で、社会学を学んでいるという彼女は、デュイスブルクの両親の家へ「行く」という。
たしかに彼女は、両親の家へ「行く」と言った。「帰る」ではなかった。まだ学生だし、経済的に独立しているわけでもないだろうに・・
その言い方が、ちょっと気になったことを覚えているのだが、それが、ドイツ人の独立心の表れであり、その意識をもたない者は、決して一人前に見られることはない・・ということを、後にイヤというほど体感させられることになる。
私たちが話したことは、ほとんどが、ドイツの学生生活についてだった(はず・・だ)けれど、彼女は、日本の生活にもかなり興味をもっていたっけ。
その後、彼女に再会することはなかったけれど、その名前が面白かったので、いまでもはっきりと彼女のことは思い出せる。彼女の名前は「ウシ」といった。
そう、一期一会のウシ・・
もちろん「ウ」の方にアクセントをおいて発音する。正式には「ウーズラ」というのだが、縮めて呼ぶのが一般的なのである。ちなみに、私の親友「ウリ」も、正式には「ウルリッヒ」だ。
■ローレライと古城・・
フランクフルトからケルンへ向かう路線は、ほとんどがライン川の河畔を走っている。
そのライン川は、スイス、ドイツ、オランダなどをむすんで、物資輸送にもおおいに利用されているから、通過する貨物船の数はとても多い。あたかも川の中央に、道路のセンターラインが引かれているかのように秩序正しく行き交う長細い貨物船団・・なのである。
ただ上流へむかっている船は、前述したように、ほんとうに大変そう。船首にたつ波だけが高く、ほとんど前進していないように見える。
そのライン川の河畔だけれど、そこは、あたかも古城の博物館といった趣(おもむき)だ。とにかく至るところに、大小のお城が点在している。その一つひとつに、長いストーリーが秘められているに違いない。
まさに、ヨーロッパの歴史を彩(いろど)る伝統の見本市ってな雰囲気なのだ。
私が、「ローレライの物語」は日本でも有名だと話したので、そこを電車が通過するとき、ウシがおしえてくれた。
「ほら、あそこよ」
彼女が指さす方を見てみると、なんの変哲もない崖があった。その頂点に、ドイツ国旗がハタめいている。
・・なんだ、おもしろくも何ともない・・
正直な感想なのだが、その「ローレライ」の発音にも手こずった。
それは伝説の妖精の名前だというが、「ロー」は「L」で、「レ」が「R」。そして最後の「ライ」はまた「L」だ。とんでもない名前である。
もちろん日本を出発するまえは、少しはドイツ語を勉強したから、「L」と「R」の発音のちがいくらいは知っている・・つもりだった。
「これが、ローレライか・・・」
「え・・何!?」と、ウシ。
そして、一瞬考えてから気付いたんだろうね、アハハッとひとしきり腹をかかえ、そして、「ごめんなさい。あなたの発音が、本当にカワイかったから・・」だってサ。
若い女性に、「カワイイ・・」などと言われることには、ちょっと抵抗があった。
でも、まあ、そのとき彼女が使った、英語の「キュ~ト」という言葉のニュアンスは、日本語の「カワイイ」とは、ちょっと違うかもしれない。
とにかく、この「L」と「R」だけではなく、「B」と「W」、「F」と「V」などなど、微妙な発音をいい分けることができるようになるまでには、ひとしきりの努力が必要だったんだ。
ただ、さすがにドイツ語。
すこし複雑だけれど、システマティックな文法を把握してしまえば、イディオマティック(慣用句的)な表現が英語ほど多くないこともあって、その後は楽になる。
それにしても、もう夜の9時を過ぎたというのに、まだまだ明るいじゃないか。
緯度的にいったら、ドイツはほんとうに北に位置する。だから、白夜とまではいかないけれど、夏は暗くなるのが遅い。その代わり、冬の日照時間は、日本と比べて極端に短い。
だからドイツ人は、その「暗い冬」を、いろいろなアイデアを駆使して何とか「明るく」過ごそうとするんだ。
ホームパーティーとか、学部のグループパーティーとか、毎週末に、本当に至るところで開催されている感じ。
自分たちから積極的に、生活を明るいものにする・・、それもドイツのポジティブな「生活文化」なのである。
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次は、エピソード的に、私の高校時代のサッカー部先輩で、いまでは、プロのショー振り付け師として活躍している「ロッキー山田」さんに登場してもらいましょう。
ではまた・・