2025_J1_第15節・・レッズの完敗でした・・とにかく、素晴らしく積極的&攻撃的なボール奪取プロセス(守備)を魅せつづけたガンバに、心からの称賛と感謝の拍手をおくります・・(レッズvsガンバ、0-1)

ホント、ガンバ監督ダニエル・ポヤトスは、素晴らしい仕事をしている。

まあ、昨シーズンでの存在感アップをみれば、誰もが、アグリーでしょ。

そして今シーズンも、その「良い流れ」が、うまく継続しているんだよ。

そんなガンバの「良い仕事の結晶」は、その多くが、ボール奪取プロセス(守備)で結実する。

とにかくガンバは、「あの」強いレッズに、まったくといっていいほど、ゴール機会を、創りださせなかったんだからね(枠内シュートがゼロ!!)。

前節のベルマーレ戦でも、そうだったけれど・・

とにかくガンバが、勝負所で魅せつづけた、ディフェンスでの忠実&創造的な、ボールがないところでのアクションの量と質が、素晴らしかった。

もちろん、局面デュエルも、含めてネ・・

そうだな~・・

わたしが使う、次の相手の仕掛け展開に対する「予測」という意味合いでの「最後の半歩というファクター」もそうだけれど・・

それだけじゃなく、とにかく、ガンバ選手たちは・・

次、その次の、相手仕掛けにおけるボールがないところでのアクションを、忠実&完璧に、イメージングしつづけているって感じるんだよ。

抜かれても、マークを外されても、決してアクションを「途切れさせる」ことなく、次、その次の守備アクションを、「爆発」させつづけるんだ。

それは、攻守の切り替え(トランジション)の内実に、如実にあらわれてくるし・・

そう、前半には、何度も・・

最前線でのチェイス&チェック(寄せ)によって、レッズのボールを奪い、そこから必殺のショートカウンターをブチかましたよね。

とにかく、このゲーム(その実質的な攻守コンテンツ!)については、ポヤトス大阪ガンバに対して、称賛と感謝の拍手をおくるしかない。

ホント、彼らは、よく頑張った。

いや、彼らは・・

意識と意志を、極限まで研ぎ澄ました、攻守にわたる「主体性プレー」を、明確にイメージングしつづけていたっちゅう称賛が、その内実には相応しいだろうね。

まあ、そんな総体的な評価に、異論をはさむ方は、少ないに違いありません。

やっぱり、サッカーは、積極的&攻撃的ボール奪取プロセス(守備)から、はじまるんだよ。

それも・・

そう、誰もが嫌がる、チェイス&チェック(寄せ)という守備ハードワークから、ネ。

それに彼らは、ゲーム戦術も、しっかりと、選手のアタマのなかに「組み込んでいた」と思うよ。

例えば・・

レッズが、頻繁にブチかます、危険な「タテのポジションチェンジ」。

たとえば、サイドからの仕掛け・・

そう、長沼洋一と石原広教が、マテウス・サヴィオ、金子達郎と、クリエイティブに(タテに)ポジションを入れ替えつづけるんだ(まあサポート協力ね)。

それだけじゃなく、松本泰志や安居海渡が、後方から前戦の味方を追い越し、タテのスペースへ抜け出すようなシチュエーションでも・・

必ず、前戦の渡邊凌磨や松尾佑介が、後方のカバーリングに入っている。

ガンバのダニエル・ポヤトスは、そんなレッズの、危険なタテのポジションチェンジへの対処を、ガンバ選手たち全員に、厳しく「植えつけた」に違いない。

だからこそ・・

普通だったら、うまく機能する、そんなレッズの組織的なスペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)が、このゲームでは、ことごとく阻止されてしまった。

そんな、ものすごくクリエイティブな(創造的な)ディフェンスの協力作業が、ホントに美しく、機能しつづけていたガンバだったんだ。

それに対して、レッズは・・

そんなガンバのディフェンス創造性を「超える」ことは、この試合では、できなかった。

組織でも、個の勝負でも・・

まあ、ネ・・

次にガンバと対峙するときには、まったく異なったゲーム展開になるはずだけれど・・さ。

このゲームでのレッズ選手たちは・・

うまく、タテへ仕掛けていけないシーンがつづいてしまったコトで・・

レッズ選手たちは、ミスを恐れて(!!)仕掛けていけなくなってしまっていた!?

まあ、心理的な悪魔のサイクル・・

そんな「悪魔を断ち切る」ためには、フレッシュな「闘うマインド」が必要になるんだ。

そう、選手交代・・

わたしは、特に、中島翔哉に、期待していた。

たしかに、これまでのなかでは、期待できるかも(!?)ってな内容も、含まれていたけれど・・

積極的&攻撃的な、仕掛けネ・・

それでも、やっぱり、まだまだ、「何か」を恐れているって感じさせられた。

だから、彼の真骨頂である、変幻自在の勝負ドリブルも、まったく目立たなかった。

本来のソレは・・

マテウス・サヴィオの「それ」にも、まったく引けを取らない「怖さ」があるはずなんだけれど・・。

でも結局は・・

誰か、中島翔哉の「恐怖心(ケガに対する!?)」を、解放できないモノだろうか。

このままじゃ、単なる「普通レベルのプレイヤー」として、沈み込んでしまうばかり・・

なんとか、彼を、「恐怖から解放させられないだろうか・・」。

今日の中島翔哉のパフォーマンスを観ながら、そんな感傷的な思いに苛まれたモノさ。