My Biography(38)_ウリの逃避行(その3)

■さて、逃亡プランが固まった・・

「とにかく、検問所でオレが見つかったとき、ウーテがしっかりと言い訳できることが、何にも増して大事だったんだ・・」

叔父さんの家での、ヨアヒム&ウーテ夫妻との奇跡的な出会い・・。そしてウリの逃避行が、どんどん具体的になっていった。

「オレにとっちゃ、まさに奇跡的な展開だったよな・・でも、ヨアヒムとウーテが西側へ戻ってしまったら、もう簡単には連絡を取れないだろ・・だから、詰められるところは、次の連絡方法も含めて、細かいところまで、しっかりと決めておかなければならなかったんだ・・」

その後、ヨアヒムとウーテは、二度ほど、ウリの叔父さんを訪ねてきた。そして逃亡プランが固まった。

「まずヨアヒムが、メルセデス・ベンツをレンタルしたんだ・・もちろん古いタイプのヤツだよ・・そう、トランクを開けるメカニズムが古いタイプ・・メルセ デスにしたのは、高級車であればあるほど、東西の検問所での検査が甘くなるって言われていたからな・・そして準備が整って決行の日を迎えたんだ・・」

またまた、ウリの表情が、シリアスに引き締まっていった。

「ウーテが運転し、ハンブルクの検問所から、東側ドイツ領のアウトバーンを通って、西ベルリンへ向かったんだよ・・もちろん、オレがトランクに入り込む時刻と場所は、事前に、正確に打ち合わせていた・・」

西ドイツから、東ベルリンへは、決められたアウトバーンしか通ることができない。アウトバーンを外れて一般道に入ることは許されていないのだ。

また、アウトバーンを通過しなければならない所要時間も決められている。

西ドイツから東ドイツ領のアウトバーンに入るとき、パスポートにスタンプを捺されるのだけれど、そのスタンプのインクに、様々な色を組み合わせるのだ。そのことで、何時に東ドイツのアウトバーンに入ったかが、記録されるというわけだ。

もちろん、その「色の組み合わせ」は、日々変えられる。東ドイツの独裁者連中も、色々と工夫していたということだ。もちろん、自分たちの生活を守るために・・。

そんな神経質なコントロールだったから、決められた所要時間を大きくオーバーしようモノなら、西ベルリンへ入る検問所で、厳しくチェックされ、コトによっては始末書まで書かせられたりする。

■ところで、東西の境界線・・

まず、何といっても、有名なベルリンの壁だ。

東ドイツ領のほぼ中央に、まさに孤島としてポツンと位置するベルリン。

その、東側と西側を分断するように作りあげられたベルリンの壁は、特別なコンクリート建造物だ。高さは3メートルほど。そして、コンクリート材質も、当時としては、もっとも硬いモノが使われていた。

そんなコンクリート壁が、二重に設置され、その間は数10メートルの「空白地帯」にされていた。

そこに、番犬が放たれていたり、地雷が埋められていたり、はたまた高圧の電気が流れている鉄条網が張られていたり、動きを感知する赤外線装置によって自動で発射されるマシンガンが設置されていたり・・と、まさに地獄の空白地帯だった。

とにかく、警備は厳重そのものだったのだ。

余談だけれど、ベルリン以外の、西ドイツと東ドイツを分断する境界線には、南北何百キロにわたって、幅200-300メートルの境界地帯がもうけられている。

森林も、境界線の部分だけが切り開かれ、その200-300メートルの幅の境界地帯が、まさに強引に設置されていた。

そしてそこにも、番犬による警備だけじゃなく、何重もの有刺鉄線がはられ、赤外線で感知する自動小銃が備えられていたり、地雷が埋められていたりしていた。

そこを通り抜けて逃げ出すのは、まさに至難のワザ。にもかかわらず、「意識が高く、意志の強い」東ドイツの人々は、様々な手段を駆使して、「自由」へ逃げだそうとしていたのである。

そんな方法のなかで、もっとも現実的だったのが、クルマに隠れて西ベルリンへ逃げ出すことだった。

「もちろん、ほとんどの東側のドイツ人は、諦めて、共産党に対する不満とともに生活することを選択していたよな・・でも、何とか逃げだそうと、もがいている人たちもいたんだよ・・」

そこまで一気にはなしたウリは、一呼吸おいて、ストーリーの核心に入っていった。

■さあ、決行だ・・

「西側のドイツから、西ベルリンまでは、東側ドイツ領のアウトバーンを通過しなければならないよな・・そのアウトバーンだけれど、西側の人たちが通過することを許されているのは、北から、西から、そして南からの三本だけなんだよ・・」

「そのなかで、ウーテが使ったのは、北のハンブルクからベルリンへ向かう、E26号線っていうアウトバーンだった・・そして、ベルリンの周りを取り囲んでいる環状アウトバーンに入る直前に、オレをピックアップしたというわけさ・・」

「まずウーテが、用を足すためにクルマを止めたんだ・・もちろん、アウトバーンのサービスエリアに止めるわけにゃいかないよな・・そこで誰かに目撃されたらアウトだ・・」

「とはいっても、アウトバーン沿いのどこかにクルマ止めて、そこでトランクに乗り込んでも目立ちすぎちゃう・・」

「とにかく、どこで、どのようにトランクに乗り込むのかについては、本当に慎重に計画したんだ・・そこで目をつけたのが、アウトバーンの途中にある特殊な 場所だった・・要は、アウトバーンから、目立たずに外へ出られる小径がある場所っていうことだね・・そこでは、人に見られたり、怪しまれることなく、アウ トバーンから少しだけ外れて、駐車することができたんだ・・」

「要は、ガマンできなくなったウーテが用を足すために、クルマを止めたように見せかけ、彼女がメルセデスを離れたスキに、オレがトランクに乗り込むっていう寸法さ・・」

「そうすれば、検問でオレが見つかっても、ウーテは、乗り込まれたことには気付かなかったってシラを切ることができる・・そのために、トランクルームのド アが、開閉ボタンを押すだけで外から開けることができるような旧型のメルセデスを選んだわけだからな・・そのときほど、旧式のメルセデスが光り輝いて見え たことはなかったよ・・あははっ・・」

とにかく、ウーテが、『知らなかった』って言い訳できるために、何度も話し合って綿密に計画を練ったのだ。

それは、ウリにとって、まさに「それからの人生を決める選択・・」であり、西側の人間では経験できない種類とレベルの決断だった。

「それでサ・・」

ウリが話しをつづけた。

「予定通りの場所で、ウーテが木立のカゲにクルマを駐め、用を足すために草むらへ姿を消したんだよ・・オレは、そのタイミングで、トランクルームに滑り込んだというわけさ・・」

「もう、それからは真っ暗闇の世界だから、成るようにしかならないって腹を決めるしかなかった・・でも、どうしても悪いイメージばかりがアタマに浮かんできちゃうんだ・・」

「だから、時間が経つにつれて、だんだんと、その暗闇が恐くなっていった・・そこからは、もう時間の経つのが遅いこと、遅いこと・・そして、一時間くらい 走ったあたりで、急にクルマがストップ・アンド・ゴーを繰り返しはじめたんだ・・ついに運命のときが迫ってきたということだな・・」

■そして、検問所・・

ストップ・アンド・ゴー・・。

それは、検問所に近づいたことを意味していた。ウリの心臓が、破裂せんばかりに激しく鼓動しはじめた。

「その緊張感ったら、なかった・・何せ、クルマが、一旦ストップしたかと思ったら、またソロソロと動き出すんだ・・そんなクルマの動きが、延々とつづいたんだよ・・」

「検問所の写真は見たことがある・・東側の制服に身を包んだ警備兵が、カガミの付いた器具を、クルマの下に差し込んで調べている写真だよ・・トランクのなかで、そのシーンが脳裏をよぎったんだ・・そして冷や汗が、とめどなく吹き出してきた・・」

そのときウリが対峙していたテンションは、想像するに余りあるモノだった。

「一体いつになったら検問がはじまるんだろう・・とにかく、イライラしながら外の気配をうかがっていたんだ・・そうしたら、急に、トランクの近くで交わされる話し声が聞こえはじめたんだよ・・その瞬間、息が止まった・・」

やっと検問が始まったのだ。

「オレは、毛布をかぶって隠れていたんだけれど、もちろんトランクルームを開けられたら万事休すサ・・そう、一巻のおしまい・・」

そんな緊迫したハナシを聞きながら、こちらも息が詰まりそうになったものだ。

ウリは話し方がうまい。

その検問所を無事に突破できたことは、目の前にウリがいるんだから確かな事実なんだけれど、その臨場感あふれる話し方に、手に脂汗がにじむのを感じていた。

「そのとき、検問の警備兵が、トランクに何が入っているのかを質問している声が聞こえたんだよ・・もちろん、こっちの心臓は張り裂けそうになった・・」

「でも、それに対してウーテが何を言っているのか聞こえない・・もちろん、声の調子だって、分からない・・そりゃ、不安がつのるじゃないか・・でも、こちらは、受け身に待つしかないんだよ・・そのときは、もう、トランクを開けて、そのまま逃げ出したくなったね・・」

「実際、東から西ベルリンへ入るときに通る検問の中立エリアはそんなに長くはないはずだし、東側の警備兵にしたって、一般人が多くいるそんな場所で、メチャクチャに自動小銃を発砲したりはしないはずだって、本気になって考えていたんだよ・・」

「だから、トランクから飛び出して全力で走れば逃げられるかもしれないってね・・今となっては、バカげた想像なんだけれどサ・・それに、内側からだから、簡単にトランクを開けられるわけじゃないし、そんなことをしたらウーテだって捕まっちゃうしサ・・あははっ・・」

待つこと以外、何もできない。ウリは、そんな状態は、東ドイツではよくあることだから慣れっこだったと言う。そうだよな~・・あそこには自由などなかったわけだから・・。

「もちろん、慣れっこだったとはいっても、あんな異常な状態を経験したことなんてなかったよな・・時間が、本当に、スローモーションのように過ぎているって感じたんだよ・・でも・・」

次の瞬間、クルマが急加速したのだ。

それは、身体がトランクの後部壁に押しつけられるくらい、ものすごい勢いの加速だったらしい。

トランクに隠れているから、エンジンの音と振動が直接的に伝わってくる。それは、いまにもエンジンが爆発するんじゃないかってほどに激しいものだった。

(つづく)