The Core Column(8)__2ステージ制とプレーオフ!?
■2ステージ制とポストシーズンマッチに関する基本的な理解・・
今回は、2015年シーズンからの導入が決定した(ホントに!?)、シーズン2ステージ制とプレーオフ(ポストシーズン制)について、考えるところを、短くまとめようと思う。
このコラムは、これまで巷でなされてきた様々なディスカッション情報をアタマに入れたうえで書き進める。そこで前提となる基本的な理解としては・・
・・今回の決定を下した組織側にも、「年間の総勝ち点でチャンピオンを決める」のが理想だという共通の理解がある・・
・・ただ、選手育成も含めた日本サッカーの隆盛を目指すうえでは、やはり経済的基盤(原資)をより一層充実していかなければならず、今回の決定は、背に腹はかえられないものだった・・
・・前期と後期の、1位と2位が対峙する(ケースバイケースで3位チームにもプレーオフ参加権が与えられる!?)一発勝負の準々決勝と準決勝・・そして、年間の最多勝ち点チームとの雌雄を決する闘い・・というプレーオフシステム・・
・・しかしそこでは、状況に応じて「繰り上がってくる」前後期の3位チームが、年間チャンピオンになる可能性だって否定できない・・
・・そして「その」チームが歴史に刻まれる(!!)・・
・・プレーオフの一発勝負という準々決勝、準決勝のハードマッチを体感することなく、決勝での相手が決まるのを「待っている」年間勝ち点トップのクラブは、決して有利ではない・・
・・また、シーズン途中から、プレーオフの一発勝負へ向けた準備に、より多くのエネルギーを傾注するクラブだって出てくる・・
・・最終目的(年間チャンピオンとして歴史に刻まれること!)へ至るプロセスが「歪んでいる」からこその、歪んだ戦略!?・・
・・そりゃ、分かりにくくなるのも当然だぜ・・等など。
まあ、たしかに難しいテーマではある。
日本サッカーを継続的に発展させるためには、「J」のビジネススケールが、様々な意味合いで「先細っていく」可能性を否定できない現状でも、「先立つモノ」は必要なのだから。
■フットボールネーションでは、生活文化としての「固定」需要がある・・
ひるがえって、フットボールネーション。そこでは、プロサッカーが、多くのケースで生活文化に組み込まれている。
多くの人々(生活者)にとって、プロサッカーを観戦することは、仕事をし、友人や家族と語らい、食事をして寝ることと同様に、生活するうえで欠かせない要素の一つになっているのだ。
一つのファミリーが、世代を超えてサポートしつづける、オラが村のクラブ・・
そこで放散され、シェアされる当事者(参加)意識エネルギーが、「天井知らず」になるのも道理だ。
だから、ドイツやイングランド、スペイン、イタリアなどに代表されるフットボールネーションでは、スタジアムは常に盛況であり、社会的なノイズ(注目レベ ル)も高い。だから、ゲートマネー(入場料)だけではなく、スポンサーやメディアから潤沢な「カネ」が、サッカー界に供給される。
もちろん、「J」や「日本代表」のコアなサポーターのエンスージアズム(enthusiasm=情熱・熱意)は、フットボールネーションの人々に勝るとも劣らない。ただ、一つだけ・・
そう、彼らは、まだまだマイナーな存在であり、観客のマジョリティーは、ウインドーショッピングなども含む、時間とカネを使う「様々な選択肢」のなかから、たまにプロサッカーを選ぶという人々なのである。
それが、ディスカッションの基本的なスタートラインだろう。
■そして、プロサッカーであるが故の「価値交換」という評価基準・・
ということで、プロビジネス(プロサッカー)の根源的なメカニズムでもある、『価値交換』という視点についても考えていかなければならない。
純粋に、サッカーというスポーツの「内容」を楽しむ方々も、もちろん多い。
ただそこには、プロサッカーにおける「根源的な市場価値」が、生きるか死ぬかという、非日常の究極勝負(際ビジネス!?)から生み出されているという現実もある。
その根源的な市場価値を、どのように「配分」するのか・・というのが、いま盛んに行われているディスカッションのバックボーンなのだ。
そんな、プロであるが故の「市場価値」を、年間を通したリーグシステムに活用するのか、それとも、2ステージ制とプレーオフという興行に活用するのか。
年間を通したリーグシステムに、その根源的な価値を「乗せる」のは、もちろん日本におけるサッカーの歴史と伝統を確固たるモノにし、サッカーを生活文化として深く根付かせるためだ。
ただ、それには時間が掛かるだろうし、様々な意味合いで「忍耐」が必要とされる。
それに対して、そんな非日常の勝負価値が、シーズン最後のプレーオフ「のみ」に活用された場合、たしかに、瞬間的に、社会的ノイズをアップさせ(人々の興味を喚起し)より多くのカネを稼ぐことはできるだろう。
ただ、その興行が、スポーツ文化の浸透や、サッカーの歴史と伝統を確固ものにするかといったら、誰もが答えに窮するはずだ。
そう、興行を主体にした「価値交換」には継続性を期待できないと思うのだ。
歴史と伝統を確固たるモノにするためには、誰が考えても素直に納得できる「分かりやすさ」が、もっとも重要なファクターなのだから・・
そう考えると、このディスカッションは、純粋スポーツ文化(伝統)の確立と、興行(社会的ノイズアップ)による商品価値アップ施策の相克という捉え方もできそうだ。
■J2・・昇格クラブを決めるプレーオフという最高の価値交換・・
昨シーズンからはじまった、「J2」での「昇格プレーオフ」というイヴェント。
私は、サッカーの「内容」を入れ込んで楽しむだけではなく、そこで展開された「生きるか死ぬか」という究極の勝負にも舌鼓を打った。
そう、「そこ」では、最高にフェアな「価値交換」が成立していたのである。
多分そのプレーオフは、日本サッカーの歴史と伝統の確立と浸透(≒日本サッカーのレベルアップ)だけではなく、サッカーの社会的ポジショニングアップにも、大いに貢献したことだろう。
もちろん私は、今回の決定を下した方々も含む、日本のサッカー関係者の誰もが認めている(はずの!?)理想型である、年間を通したリーグシステムを支持している。
私は、フットボールネーションが内包している(健全な!?)スポーツ文化というバックボーンの確立を最優先に目指すべきだと思うのだ。
確固たる歴史と伝統をベース(モティベーション)に、多くの人々がプロサッカーリーグに集い、心から楽しみ、語らうという姿を考えるだけで心が躍る。
■分かりにくい年間チャンピオン決定システム!?
繰り返しになるかもしれないけれど・・
もしここで、分かりにくく、アンフェアな(そうなり得る可能性がある)年間チャンピオン決定システムが(本当に!?)導入されたら、それこそ、これまでの歴史と伝統の確立プロセス(その正当な流れ)が、「そこ」で途絶えてしまうことになりかねない。
そのことについては、ヨーロッパの友人たちも口を揃える。
・・とにかく、誰が見ても、フェアで分かりやすいリーグシステムが大事なんだ・・サッカーって、シンプルなルールとゲーム形式が特長じゃないか・・だからこそ自由度が高い・・だからこそ奥が深い・・そして、だからこそ、世界でもっとも愛されているスポーツなんだ・・
とはいっても、まだ日本では、サッカー(スポーツ)文化が、社会的なポジション(社会的な意義)を確立できているとは言い難い。
だからこそ、まず社会的なノイズをアップさせること(人々の興味を喚起すること)で、実際に大きくレベルアップしているプロサッカー(J)の面白さをプロモートしていく方が、より近道だし、効果が大きい(はず!?)・・という考え方もある。
背に腹はかえられない・・
だから、誰もが理想とする、歴史と伝統をバックボーンにした健全なサッカー文化を確立するためにも、まず「そこ」からはじめるのが効果的・・という考え方だ。
でも・・
■人為的な「興行」に頼るのではなく、もっと地道な努力の積み重ねを・・
これまた繰り返しになるかもしれないけれど・・
プロスポーツが内包する根源的な価値を、「分かりにくい興行」が主導的に握ってしまったら、長期的には、もっとも重要なバックボーンであるサッカー文化(伝統)確立のプロセスが寸断されてしまう危険が大きいのだ。
その危険性については、日本のプロサッカー関係者だけではなく、広くはサポーターの皆さんも含むステークホルダー全員が、理解を共有していると思う。
だからこそ、ここはもう一度、現状を見つめ直してみる必要があるのではないか・・
足りない、足りないと言っている人たちには、「本当に足りないんですか?」、「工夫すれば、現状でも結果を出せるんじゃないですか?」と問いたい。
また、統括組織に対してだけではなく、それぞれのクラブに対しても、カネを稼ぐ努力(≒社会的な興味レベルを喚起する努力)について、本当に「万策を尽くしたんですか?」とも問いたい。
・・メディアやスポンサー(代理店)、はたまた地域社会に対して、サッカー文化を育てることに対して協力を仰ごうとしましたか?・・
・・彼らの知恵にも耳を傾けようとしましたか?・・
・・長い目で見たら、彼らにとっても貴重な「社会的価値」が創造されるはずだし、そのことについての説得にも万策を尽くしましたか?・・
言いたいことは、地道な努力なしに、成功もない・・ということだ。
別に、ボランティアをしろ・・などと言っているわけではない。
サッカーが内包する、本当の意味での社会的な価値を(より深く!?)認識すれば、様々な知恵だけじゃなく、それを粘り強く実行していくエネルギー(意志)も湧き出てくるはずと思うのだ。
そのことが言いたかった。