My Biography(20)_ドイツ語コース(その2)

■ベーレント先生・・

「ヘル・ユアサ・・ビッテ、アントヴォルテン・ジー・・」

ベーレント先生だ。「ヘル」が、英語のミスターに当たることは前回書いた。

そのベーレント先生だけれど、後から考えたら、彼が、はじめから私の名字を正確に発音できていたのは、驚きに値する出来事だったんだよ。

私の名字は、「Y」で始まる。そんな名前は、ドイツ語にはない(まあ今では外国から帰化した人も多いから、その限りではなくなっているけれど・・)。

でも、ベーレント先生は、外国の名前に慣れている。だから、「Y」から始まる名字の発音なんて、お手の物だったんだ。

余談になるけれど、体育大学の恩師であり、ドイツ女子サッカーの生みの親でもあるゲロー・ビーザンツさんなんて、最初わたしの名字を、「ウ・・ウワーザ」なんて呼び方をしていたっけ。

それだけじゃなく、私の名前にしたって、「KENJI」と書くわけで、その発音も簡単じゃない。

ドイツ語で、「J」は、「ジェイ」じゃなく、「ヨット」って発音するんだよ。だからゲロー・ビーザンツさんは、わたしの名前を、正しく発音するのに、チト苦労したっちゅうわけさ。

ちなみに、最初の頃は、私の名前を、「ウワーザ・ケンニィ~」なんて呼んでいたっけ。あははっ・・

そのゲロー・ビーザンツさん、もちろん今では、「ケンジ」に統一しているけれど、たまに、サッカーコーチ国際会議の講演などで、私の名字をステージ上から呼ぶとき、まだ、「ウ・・ウッ・・」なんて発音に迷うこともある。まあ、1970年代の楽しい思い出だ。

それに対してベーレント先生は、はじめから私の名字を正しく発音できていたんだ。それは、ホントは、大したことだったのかも知れない・・なんて、今更ながらに思った。

そのベーレント先生、たしかに厳しい。

厳しいというのは、もちろん指摘(批判)の仕方や、そこで使う表現のことだ。もし、怠惰な態度で授業を受けようモノなら、さあ大変。

「あなたは、授業の雰囲気を壊している・・他の皆さんは真面目に頑張っているのに、貴方の態度からは、そんな姿勢が感じられない・・そのことは、誰の目にも明らかだと思う・・」

ちょっと、厳しい。

そんな批判がベーレント先生の口から発せられるたびに、教室が、ピリピリした雰囲気に包み込まれたモノだ。

でも私は、そんな緊張感には慣れっこだった。サッカーという、人間の本性がぶつかり合う本音の勝負の場で鍛えられていたわけだから・・。

そんなサッカーフィールドでの体感の積み重ねがあったからこそ、ベーレント先生が(意図的に!?)ブチかますテンション(緊張感)にも、まったく動じなかったということなんだろう。

■ベーレント先生の、教師としてのウデ(教育コンセプト)・・

そんな厳しいベーレント先生だったけれど、経験は十分だから、生徒たちをモティベートするチカラもハンパじゃなかった。

要は、「アメとムチ」のメリハリが素晴らしかったのだ。

たしかに怠慢で不真面目な態度には厳しく接することもあったけれど、真面目に頑張っている生徒には、成績にかかわらず、とことん親身になって接してくれる。

この、成績にかかわらず・・というのが(そのことを生徒が感じ取れていたことこそが!)、リーダーとして、とても大事な考え方(教育姿勢)なんだよ。

私は、ベーレント先生からも、結果「だけ」ではなく、プロセス(内容)もまた、とても重要な「意味」を内包しているということを身をもって教えられた。

そのうちに生徒たちも、ベーレント先生の「教師としての内実」を実感しはじめるようになった。

結果ではなく、一生懸命に(積極的に)頑張るという「姿勢」こそが大事であり、高く評価されることを理解しはじめたんだ。

しっかりとやっていれば、結果は、おのずと「後から」ついてくる・・。

もちろん実際には、その限りでないことも多々あるけれど、もしそうであったとしても、一生懸命チャレンジをつづけていたならば、それは、それで、(長い目で見れば!?)誰もが納得し、何らかの「糧」にできるはずだ。

結果に至るプロセスが、しっかりとした「主体的で前向きの内容」で充填されているのだから・・。

そして私は、その「一生懸命に頑張る」という姿勢じゃ誰にも負けなかった・・と思う。

生徒の国籍は、アフリカや中東、アジアや南北アメリカなど、まさに雑多。「文化」が違う。だから、授業を受ける姿勢や「頑張り方」も、一人ひとりで大きく異なっていた。

ケルン総合大学へ留学してくる学生たちだから、もちろん基本的なインテリジェンスやリテラシーという視点では、とても優秀だ。

でも、「オペラシー」というか、知恵というか、意識や意志、そして実行力(セルフモティベーション能力!?)という視点では、一人ひとり、大いに異なっていた・・と思う。

ただ私は、そんな経験を通しても、一つのことに真面目に(全力で)取り組む姿勢の心理・精神的バックボーンは、万国共通なのではないかと思っている。

まあ、そのテーマについては、回を改めて・・。

■実は、文法については、既に日本でかなりマスターしていた・・

とにかく私は、そんな「全力で取り組む姿勢」では、クラス随一だったという自負があった。

だから、ベーレント先生には「かわいがられ」たっけ。ちょっと変な表現だけれど、とにかくベーレント先生は、私に目をかけてくれていた・・と思う。

そのこともあって、授業中に指名される回数では、私の右に出る者はいなかった。

そう、冒頭の、ベーレント先生の質問のようにだ。

「ユアサさん・・この場合の語尾変化について答えてください・・」

それは、小難しい、文法的な質問だった。

ドイツ語では、「彼、彼女、私、貴方、それ」、また単数や複数といった主語(など!?)によって、動詞だけじゃなく、(その後にくる名詞と組み合わされることで!?)副詞や形容詞の「語尾」も変化しちゃうんだよ。

それが、とても複雑で面倒くさい。

でも、一度マスターしてしまえば、それが規則正しいモノだから、考えなくても自然に語尾を正しく変化させられるようになる。

その質問だけれど、そこは初級クラスだったから、他の受講生にとっては難問だったに違いない。

でも私は、問題なく即答できた。私には、簡単すぎる質問だったのだ。

実は、初級クラスの内容は、一週間ほどで退屈なモノになっていたんだ。

私は、日本にいたときから、青山にあるドイツ文化センターで見つけたドイツ語の基礎的な教本をベースに、しっかりと自習していたんだよ。

その教本は、ドイツ文化センターに務めていた女性職員の方から薦められた。彼女は、ドイツ語を学ぶときの文法の大事さを強調していたっけ。

「ドイツ語って、以外と発音は簡単なんですよ・・まあ、日本人にとってはという意味なんですけれどネ・・そう、ローマ字読みにすれば、以外と通じちゃ う・・もちろん、アールとか、ヴィとエフ、またダブリューなんかの発音は難しいけれどネ・・とにかく、そんな発音よりも文法が大事・・それをマスターして しまえば、すぐに、ある程度は話せるようになりますよ・・え~っと、そうね、この本がいいわね・・とても分かりやすく文法を解説しているよ・・」

その本は、ドイツ文化センターから借りられたけれど、そんなことよりも買うに越したことはない。だから、すぐに本屋へ行き、薦められた教本を注文した。そして、それが手に入ってからは、必死に自習に取り組んだってわけだ。

目標は明確だったし、そこには自分自身の(強烈な!)意志が込められていた。

だから、自習にも、ものすごく「リキ」が入ったんだよ。とにかく、その教本を片時も離さず、陸送アルバイトの帰りとか、大学の研究室でも、自習に励んだ。

だから、ドイツへわたる頃には、文法的な面だけは、ある程度はマスターできていたというわけだ。

あっと・・

この「バイオグラフィー」の連載では、もう何度も、ドイツ語は、ドイツに渡ってから「まったくゼロからはじめた・・」なんて書いたように思うけれど、その内容は正確じゃなかった。

だから、「前言撤回しま~す!!」なんて、いい加減な筆者なのであ~る。スミマセン・・

まあ、とはいっても、文法をある程度マスターしただけだからね。それは、活きた言語じゃない・・と思っていたんだよ。でも・・

そう、ドイツ語コースやサッカークラブで、ドイツ語で会話せざるを得ない状況に陥ってからは、話す方も、格段のスピードで上達していったんだ。

青山のドイツ文化センターの彼女が言っていた通り、ドイツ語ほど文法が重要な言語はないということなのだろう・・。とにかく、そのことを体感した一ヶ月間だった。

■そして一ヶ月後には中級クラスへアップグレード・・

ベーレント先生は、中級のクラスも受け持っていた。

「ヘル・ユアサ・・貴方は、とても頑張っているし、ドイツ語が、とても早く上達している・・今度、私が担当している中級クラスへ来てみないか・・」

嬉しかった。

もちろん、ベーレント先生に勧められた通り、二ヶ月目からは、中級クラスの授業「も」受けることにした。その中級クラスは、三ヶ月目からは、上級と同じ内容の授業へと自動的にアップグレードされる。

そして私は、その中級クラスでも、すぐに目立つ存在になってしまうのだ。

もちろんベーレント先生の「引き」もあったけれど、とにかく、自信レベルがアップするにしたがって、どんどん積極的にもなっていったんだよ。

日本的な遠慮なんて、まったく要らない。目的は、ドイツ語テストにパスすることなんだ。そのために出来ることは、何でも、本当に何でもやった。

日本にいた頃から、何をやるにしても積極的な方だったとは思うけれど、ドイツにきてからは、その性向がより強くなったと感じていた。

「そこ」では、日本的な遠慮などは、百害あって一利なし・・なのだ。まあ、日本的な遠慮は、見方によっては、「歪んだ期待や甘え・・」とも解釈できるわけだからね。

そして私は、ドイツという「本音の社会」で生活しはじめたからこそ、逆に、日本的な思いやりとか、謙虚さや誠実さといった基本的な「生活態度(美徳)」の 大事さを、より深く理解し、志向できるようになった・・と思うし、だからこそ、友人のドイツ人たちからも、強く信頼されるようになった・・と思う。

今でも、私の、社会や人との関わりを司(つかさど)る(≒志向する)コンセプトは、「ダブルH&ワンC」だ。

Honest, Humble & Considerate(compassionate !?)...

もちろん私が、それらの「美徳」を、本当に自分のモノに出来ているかどうかは、まったく別次元のテーマだよ・・、念のため・・。

とにかく、ドイツという「異文化社会」で、それも、サッカーという本音が激しくぶつかり合う「場」で、さまざまな体感を積み重ねたことは、私のパーソナリティー形成にとって、かけがえのないバックボーンになったということが言いたかった。

まあ、このテーマについては、回を改めて書くことにしよう。

■ドイツ語漬けの毎日・・

ちょっとハナシが脱線しそうになったけれど、とにかく当時は、まさにサッカーとドイツ語「漬け」だったんだ。

家に帰れば、鏡と向き合って話すなど、会話の練習もやった。もし人に見られたら、完璧に気が触れたって怖がられたに違いない。

これだけは自信をもって言えるけれど、日本の大学入試も含め、そのときほど、目標に向かって全力を尽くして勉強したことはなかった。

とにかく必死だったんだ。

買い物にいけば、すぐに、(例えばレジに並んでいるときなどに)近くにいるドイツ人に話し掛け、いろいろな質問をした。

・・この野菜は、何というのですか?・・その料理で、美味しい作り方をご存じありませんか?・・あそこに並んでいるワインで、安くて美味しいのはどれですか?・・等など・・

もちろんサッカークラブでも、チームメイトたちに積極的に話し掛けた。

サッカーだから、もちろん話題は尽きない。もちろん彼らも日本のことを知りたがったわけで、話題には、本当に事欠かなかった。

文法をある程度マスターしてからというもの、私にとっては、会話でのコミュニケーションのチカラをアップさせることが喫緊のテーマになっていった。

哲学書やサッカー理論など、小難しい文章を「解読」するなんてことには、あまり興味は湧かなかった。

それよりも、ドイツ人が話すドイツ語をしっかりと理解し、そして自分がアタマのなかに描くイメージを、しっかりとした言葉で表現できるようになることに集中した。

そのことの方が、読み書きよりも大事だと感じていたのだ。

私は、異文化を、しっかりと「感じ取れる」ようになりたかった。

■でも、ドイツ語テストでは、会話能力「だけ」が評価されるわけじゃない・・

そうなんだよ。

留学するために外国語を学ぶという視点での究極のゴールは、読解できることは当然として、やはり、しっかりとした文章が書けるようになることなのかもしれない。

ドイツ語のテストでも、そのポイントが、とても重要視されていた。

それはそうだ。何せ、ドイツ語で大学の授業を受けるのだから。

そこでは、小難しい文章も読解できなきゃならないだろうし、しっかりしたレポートも書けなければならないというわけだ。

今でも、会話でのコミュニケーションは問題ないけれど、読み書きベースのコミュニケーションについては、苦手意識の方が強い。それは、読み書きが「常に必要な環境」にドップリ浸かっていなければ、なかなか身に付くものじゃない。

あっと・・、ドイツ語テストのハナシだった。

その試験日が近づいてきた。それまでの3ヶ月半、ミッチリと勉強した成果が問われる。

ベーレント先生のお陰もあって、ドイツ語の学習プロセスは、とても充実していたと思う。とはいっても、それが結果につながるかどうかは、神のみぞ知る・・だ。

そんな、チト不安な気持ちで受けたテストだったけれど、私は、ケルン総合大学のドイツ語試験に、1ゼメスターだけで合格した。

私が、ドイツ語をゼロから(!?)スタートしたと知っている(例の学生寮に住む!?)日本人たちも、一様に、驚きを隠せなかったっけ。

テストの成績だけれど、会話能力は、抜群だった。でも、やはり筆記試験が鬼門になった。

ある文章を読み、その感想文(まあ意見論文)を、1時間以内に書き終える。それは、ある新聞に載っていた時事関連の記事だったと思う。

その新聞記事の内容はよく覚えていないけれど、不思議なことに、自分が書いた(いや・・書こうとした!)文章内容の骨子は、まだ記憶に残っている。

・・ドイツのスポーツ文化は、ゴールデンプランや登録スポーツクラブ制度などが象徴しているように、その社会的ポジショニングは、世界に誇れるレベルにあ る・・それに対して日本では、まだまだスポーツは、体育(フィジカル・エデュケーション)としてしか認知されていない・・もしかしたら、日本におけるス ポーツの社会的ポジショニングの変化は、女性の地位向上も含めて、日本が国際化していくプロセを考察するうえでの評価指標になるのかもしれない・・

もちろん、当時のわたしが、文章で、そんな論を展開できたはずがない。

要は、「そんな感じの内容を書くことにチャレンジした・・」というニュアンスなのだけれど、そのテーマについては、よく、考えをめぐらせていたこともあって、まあ、得意な分野ではあった。

後から、ドイツ語試験の担当者に聞いたのだが、私は、会話でのコミュニケーション能力と、そのレポートの内容が、とても良かったということだった。

いや、その担当者が言っていたニュアンスは、会話コミュニケーションは良かったけれど、文章の筆記については、私が書こうとしたテーマが気に入られたということだったらしい。

だから、多くの文法的な間違いについては不問に付された・・ということか。あははっ・・

その後、すぐに、ケルン国立体育大学にも登録し、晴れて、二つの大学の学生証を取得した。

さて、本格的にサッカーへ取り組んでいく日々がはじまった。