My Biography(4)__ドイツへ・・ソ連(モスクワ)という異次元の体験(その1)
■シベリア平原と、デルス・ウザーラ・・
1976年7月。
モスクワへ向かう飛行機のなか。
私は、窓の外にひろがる雲海へボンヤリと視線をはしらせていた。時間が止まり、窓から見える翼の先端が、夕暮れの雲上に静かにたたずんでいる。雲の下には広大なシベリア平原が広がっているはずだ。
そう、シベリア・・
そのとき、ある映画のイメージが、脳裏からせり出してくるように浮かんできた。その前年(1975年)に公開された「デルス・ウザーラ」。巨匠、黒澤明による、ソ連・日本の合作映画だ。
厳しい大自然のシベリア平原で、文明とはかけ離れた生活をおくる猟師、デルス・ウザーラ。
ロシア人探検家ウラジミール・アルセーニエフが、彼を包みこむオーラと接するなかで、人が生きることの意味について考えさせられる。
あっ・・ゴメン。ここで哲学的な講釈をしようなんてことじゃなかった。
そのとき、デルス・ウザーラの生き方を考えることで、自然と勇気がわいてきたんだ。そのことが言いたかった。
これからの新しい生活への思い・・
・・人生なんて不確実なものなんだ・・特に、何かに(リスクに)チャレンジしていくときに安定を求めたら、何も生み出せない・・そこでは、不安こそが、唯一のエネルギー源かもしれない・・
・・そう、変化こそ常態(諸行無常)という、普遍的な人生コンセプト・・
誤解を避けるために書き添えますが、当時の私が、そんなコト(次元)にまで思いを巡らせていたワケじゃありませんよ。
自分がやりたいことを、誰の手も借りず(いや・・もちろん借りたけれど・・)、自分自身の判断と決断で実行していく。そんな、まったく新しい「タイプ」の生活をスタートした。
そして、モスクワへ向かう機上での不安な気持ちを和らげるように(都合よく!?)デルス・ウザーラの人生観を解釈することで、何とか、勇気とやる気の「リソース」を探し出そうとしていた・・ということだった・・と思う。
映画「デルス・ウザーラ」は、実際の探検記録に基づいて制作されたと聞いていた。だから、デルス・ウザーラは実在の人物だと思っていた。
世の中には、そんな厳しい生活をおくりながらも、そのことに心の底から満足し、生きることに感謝している人がいる・・
そう思うだけで、とても幸せで落ち着いた気持ちになれたんだ。そのことが言いたかった。
■カーラからの刺激・・
あっと・・
飛行機のなかでは、この連載の第1回目に登場した、鎌倉のドイツレストラン「Sea Castle」のオーナー、カーラ・ライフとの触れ合いも、なつかしく思い出していたっけ。
ケルン総合大学から届いた、入学を申請するための書類を目の前にし、無力感に包まれた。そして、友人に薦められ、無謀にも、初対面のカーラに助けを求めにいった。
「アンタの態度で、助けてあげるかどうか決めることにするよ。でも金を払うなんて言ったら、いまこの場で店を出ていって!!」
「そんな・・。とにかく、この書類(入学願書)の内容は正確に理解しなければいけないと思うんですよ。自分でトライしても、ちゃんと理解したり、必要な事 項を記入できるかどうか自信がありません。また私には、その書類を翻訳に出すだけのお金もありません。お願いです、なんとか助けてください。絶対にガッカ リさせたりしません。それだけは自信があります」
とにかく、せっぱ詰まっていた。
そして、そのときだけは、うつむいたりせず、しっかりとカーラの目を覗き込むようにしゃべっていたことを、いまでも鮮明に思い出す。
自分でも、他人に対し、そんなふうに「素直」に、そして気持ちをこめてお願い(懇願!?)できていることに驚いていた。そんなことは、それまで経験したことがなかった。
とにかくそれは、新鮮な驚きだったし、そのとき初めて、それまでの自分が、様々な社会システムのなかで(誰かの手のひらの上で!?・・甘えながら!?)転がされていたことを、何となく自覚しはじめていた。
本当の意味の「自我」の芽生え!? さて~~・・
そのときカーラは、じっと、私の目を見返していた。
「いいわ。まあ、どうなるか分からないけれど、アンタの目にはチカラがあるから、助けてあげることにしようかな・・」
「ところで、ガッカリさせないって・・って言ったけれど、それはどんな意味?」
「あっ・・それは・・決して、中途半端にドイツから逃げ帰ったりしない・・という意味のはずです・・」
「ふ~ん・・まあ、いいわ・・それは、アンタ自身の問題だからさ・・さて、それじゃ始めようか・・」
彼女、いちど決めたら早い、はやい。とにかく、アッというまに必要なところを見つけ出し、私に記入させるだけじゃなく、揃えなければならない必要書類のリストを作る指示までしてくれる。
カーラは、ローラント、クラウスという二人の弟とレストランを切り盛りしている。
肝っ玉母さんのカーラがフロア担当で、ローラントとクラウスが厨房で料理を作るという具合。そんな彼らは、今でも良き友人だ。
ドイツ留学の途中で一度だけ帰国したことがある。
留学の最終目的であるプロコーチ養成コースに参加するための準備だったけれど、もちろんそのときも真っ先に彼らを訪ねた。会話は、もちろんドイツ語だ。
「へー、たった3年でそこまでドイツ語ができるようになったの。わたしが手伝ったことは無駄にならなかったみたいね。それでも、できるようになったのはドイツ語だけなんじゃないの?」
カーラは、相変わらず口が悪い。
「そんなことはないよ。とにかく、最後のプロコーチングスクールだけは終了させて国家試験にだって合格してみせるさ。そのときは、ちゃんと報告に来るからね」
そんな、たわいない会話のなかでも、彼らが、私のドイツでの積極的な生き方を心から喜んでくれていることが伝わってきた。やさしい人たちである。
■モスクワ到着・・
徐々に飛行機が高度を下げはじめた。
モスクワに到着したんだろう。そのとき雲がきれた。灰色の滑走路と灰色の建物。とにかく暗い、暗い。
大学三年のときに行ったヨーロッパ旅行は南回りルート(東南アジア経由)だったから、私にとっては、もちろん初めての共産圏。とても緊張していた。
何に対して緊張していたのかって?? そりゃ、まったく異なった社会システム以外にないでしょ。
我々の常識が通用しないかもしれない・・という不安もあったよね。
要は、アチラの都合が絶対で、我々の意志や希望なんて(お客様・・なんていう発想も皆無だろうし・・)まったく意味をなさないかもしれない・・という不安。
そして、もう一つ不安があった。実は、羽田の出発が、3時間近くも遅れたのだ。
私の最終目的地は、ドイツのフランクフルト。現地の時間で夕方には到着する予定だったと覚えているのだが、モスクワに到着した時間は、その乗り継ぎ便が出発する時刻を大幅に過ぎていた。
そして、案の定・・
■情報がないとことの不安・・そして、そのネガティブ連鎖・・
飛行機がモスクワに到着した。
細長い機体のイリューシンが、ほとんどショックもなく着陸する。なんてうまいランディングなんだろう。パイロットは、もと戦闘機乗りだったに違いない。
いや、そのとき彼は、戦闘機と旅客機に、交互に乗っていたのかもしれない。
そう思えてくるのも当然。社会共産主義のソ連が、旅客機専門のパイロットを養成するなどといった「無駄」をするはずがない。
そんなことを考えているうちに機体のドアが開き、まったく愛想のないアエロフロートのアテンダントに促され、外へ出た。あっと・・、当時は、スチュワードとかスチュワーデスなどと呼んでいたんだっけね。
それにしても彼らに表情がない。そのことも不安を増幅させた。
そして乗客は、バスに乗せられ、空港ビルの中へ、まるで囚人のように隊列を組んで導かれていった。
そこは、ビルの外観そのままに、暗く、飾り気のない世界。いたるところにシミがある壁。今にも床が抜け落ちそうなフロア。安っぽいプラスチックカバーの中でニブい光をはなつ蛍光灯。
そこで待ち時間を過ごす乗り継ぎ客の快適性などまったく眼中にないという雰囲気なのである。
アエロフロート・ソビエト航空。
当時は、どんな航空会社よりも安いチケットを提供していた。今では、ボーイングやエアバスの導入など隔世の感だけれど、当時はとにかく安いだけが魅力の航空会社だった。
「私はフランクフルトまで行くのですが、乗り継ぎの飛行機はいつ出るのですか?」
空港ビルのなかを移動しながら、英語で、我々を先導するビア樽のように太った女性係員に質問した。彼女は、振り向きも、返事もしない。そんな雰囲気のなかで待合い室まで移動させられた。
そこで隣り合った中年の日本人男性が、ポツリと一言。
「なんか暗いね。こんなところで、乗り継ぎの飛行機を待つなんてイヤだな」
確かに、初めての共産圏エアポートは、想像を絶する世界だった。希望にふくらんでいた胸が、どんどん押し潰されいったことを覚えている。だらしない・・
一時間、そして二時間。館内アナウンスはロシア語だけ。そのアナウンスは、たぶん業務放送だけなんだろうな。
そのとき、情報の遮断された世界が、ものすごく不安なものだと思い知らされた。
官僚によって情報が操作されていると言われつづけていた日本だけれど、モスクワ空港に比べたら天国だよ。とにかく、ソ連の空港職員が、我々の不安をつのらせて楽しんでいるとさえ思えてきたものだ。
そこでは、ほかの乗り継ぎ客のあいだからも不満の声が出はじめていた。
特に、ヨーロッパ人の旅行客たちは、こんな状況に我慢ならない様子。いたるところから、「インポッシブル!」、「アンビリーバブル!」などといった不満の声が聞こえてくる。
ついに、たまりかねた一人のヨーロッパ人の乗り継ぎ男性客が、近くを通りかかった女性係員に食ってかかった。
「もう2時間も待たせられているのに、英語のアナウンス一つもない・・一体どうなっているんだ!?」
でっぷりと太った女性係官は、高慢な態度で声の主を睨みつけ、そして意に介さず・・といった態度で通りすぎようとした。
そこから雰囲気が、ピーンと張りつめていく。フ~~ッ・・
その乗り継ぎ客が、女性係官の態度に、より一層感情を昂(たか)ぶらせたかのように彼女の行く手をさえ切ったのだ。さて次はどうなるのか。周囲の視線と意識が、その二人に集中する。
「一体なんのつもりだ。これからどうなるのか、われわれの乗り継ぎ便はどうしたのか、まったく情報がないじゃないか。キミたちは、われわれ乗客のことをなんだと思っているんだ。これでもちゃんとカネは払っているんだゾ」
相当な剣幕で怒鳴りつけるヨーロッパ人の興奮はおさまらない。
次の瞬間、唐突に、その係員が甲高い声でしゃべりはじめた。ロシア語だ。何を言っているのかチンプンカンプン。詰め寄っている彼も、事情は同じに違いない。
そして、彼女の声のトーンとボリュームがどんどんと増幅し、逆に彼へにじり寄っていく。今度は、その勢いに気圧された彼が、ジリジリと後退しはじめる。
と、次の瞬間、彼女はプイッときびすを返し、スタスタとその場を立ち去ってしまった。
アッという間の早業。残されたのは、緊迫した空気だけ。まばたきもしないで一部始終に目を凝らしていた他の乗り継ぎ客の間から溜息がもれる。
「あ~、これから一体どうなってしまうんだろう・・」
そしてまた一時間。やっとわれわれに何かを伝えるために別の係員がやってきた。今度は英語で話す。
「ベルリン行きの便は、今から一時間後に出発します。ただしフランクフルト便は、今日は欠航するため、乗り継ぎの方々は、明日までホテルに宿泊することになります」
「え~~っ、なんだって~っ!・・冗談じゃないぞっ!」
そんな、悲鳴にも近い叫び声が館内に響きわたった。
(つづく)