My Biography(40)_ウリの逃避行(その5_エピソード)
■家族にも迫害が及んで・・
「とにかく、こういうことに関しては、ヤツラの動きは素早いこと、この上ないんだ・・その後すぐに、オレの父親は、郵便局の局長から外され、ヒラの局員に降格させらてしまったし、弟も、一度は決まっていた大学の学籍をキャンセルされてしまったんだから・・」
信じられなかったけれど、それは本当のことだったらしい。
市民の個人生活にまでスパイ情報網を張りめぐらせる東ドイツの独裁政権。ヤツ等にとっては、逃亡者を収容する西ドイツの施設にスパイを送り込むことだって朝飯前だったということか。
だからこそウリは、自分が逃亡者であることを申し出る前にベルリンの街を散策しながら、家族への迫害についても自分の覚悟を確かめていたのだ。
「でもサ・・その後、東ドイツ建国の父ともいえるヴァルター・ウルブリヒトが死んだことで恩赦がおりたんだよ・・あっと・・それは、東側にとっての犯罪者であるオレに対してだよ・・」
そう、ウリが、その恩赦で、東ドイツから逃亡した犯罪者ではなく、東ドイツ政府から正式な西ドイツ人として「黙認」されるようになったということだ。
その結果、ウリの父親が郵便局長のポストに戻れただけじゃなく、弟も無事に進学できたという。
もっと言えば、ウリが、晴れて、正式な西ドイツ人として東ドイツを訪問できるように「も」なったということだ。
「でもサ・・もちろんオレは、東側に近づかなかったよ・・そんな恩赦なんて信じられるわけがない・・正確なコトは知らないけれど、東から逃げてきたヤツが、西の(西ドイツの!)パスポートで東側に入ろうとしたことがあったんだよ・・」
「でも、ソイツは、境界検問所で拘束されちゃったんだ・・その後、政府同士の話し合いで解放されたらしいけれど・・まあ、カネだろうな・・とにかくアイツ等は、まったく信用できない・・」
そのときウリは、憎しみと焦燥感がミックスした複雑な表情をしていたっけ。あの冷静なウリが・・。彼の心の奥底に、東ドイツという「社会メカニズム」が、深いトラウマとして残っていると感じた。
だから彼は、東ドイツ領の真ん中に孤島のように存在する西ベルリンへ行くときも、東ドイツ領内を通るアウトバーンや電車などではなく、飛行機を利用していたっけ。
抑圧された東ドイツ社会。そこは、個人の主張などまったく許されない社会なのだ。
最初にウリと知り合ったとき、彼は、選手兼監督のヘルベルトに対して、『自分をレギュラーにすべきだ!』という、不自然なまでに強引な自己主張をしていたけれど、それは、東ドイツで「自己」が圧殺されつづけたことの反動だったのかもしれない。
■ヴォルフハルトのケース・・
ウリには、ヴォルフハルトという友達がいた。
だから私も、自然に彼と近い関係になった。
そのヴォルフハルトだけれど、彼は、兄のフリーダーに、東ドイツから「買われた」逃亡者だ。
何を言っているのかって!?
この、フリーダーとヴォルフハルト兄弟は、ウリと同じく、東ドイツに生まれ育った。そして、まずフリーダーが西ドイツへ逃亡し、そしてヴォルフハルトを、「業者」に大枚をはたいて逃亡させた・・というわけだ。
ウラで蠢(うごめ)く業者たち・・。
ウリが、ヤツらは、東ドイツの独裁者と「つるんで」いるのは明白だと、苦々しく言っていたっけ。
要は、業者のクルマは、東西ドイツの境界検問所を「フリーパス」で通過できるらしいということなんだ。そりゃ、東ドイツの当局と「結託」していなければ、できない相談だよな。
だから、その「料金」も、高い。
「ところで、オマエの値段はいくらだったんだ?」
ウリが、ヴォルフハルトに、そんな無神経な質問をするんだよ。もちろんウリが、同じ逃亡者だから聞ける質問だったわけだけれど・・。
「・・そうだな~・・たしかフリーダーが、数万マルクだと言っていたと思うけれど・・」
当時、西ドイツの「1マルク」は「140円」くらいだったから、ヴォルフハルトの「値段」は、数百万円といったところか・・。
フ~~・・。
とにかく当時は、そんな(私にとって!)非現実的なコトが日常茶飯事だった。ハナシを聞くたびに、それを現実として体感できないことに忸怩(じくじ)たる思いがこみ上げてきたモノだ。
もちろん、体感できないのは、幸せなコトなんだけれど・・。
■フリーダーのケース・・
そのヴォルフハルトの兄、フリーダーの逃避行は、まさにエキサイティングそのものだった。
彼は、そのとき既に、東ドイツの大学を卒業していた。それも、医学部。
「そうなんだよ・・西側へいっても、医者の免許は認められるからな・・そのことも、大きなモティベーションだったんだ・・」
フリーダーが、そう述懐する。
彼は、ハンガリーとオーストリアを「またぐ」ように位置する「ノイジードラー湖」を、ハンガリー側からオーストリアへわたって逃亡した。
「医者になるための国家試験に合格した夏のことだった・・家族もよろこんでくれたけれど、東側の共産主義者にとっても、期待される人材だったんだろうな、オレが申請していたハンガリーへの渡航許可がおりたんだよ・・」
当時のハンガリーも、もちろん共産圏。だから、同じ共産圏の東ドイツ人は、誰でも旅行にいけると思われがちだけれど、実際は、そう簡単なことではなかった。
家族や親戚が(共産党にとって!)品行方正であることが最低条件だったし、東ドイツにとって貢献できるような人材でなければ、また、家族などを「人質」に取っておけるケースでなければ、渡航許可がおりることはなかったんだ。
また、そんな東ドイツ人の場合、逃亡によって「失うモノ」の方が大きいという事情もあった。要は、東ドイツ「でも」良い生活ができる人にしか、渡航許可がおりなかったということだ。
もちろん、ウリのような、独裁政権にとって素行がよろしくない東ドイツ市民には、決して渡航許可がおりることはなかった。
「まあ、東側の独裁者にとっても、医者は価値がある存在だからな・・それに、東側での良い生活が約束されているから、西側へ逃げ出すモティベーションも低いに違いないって思っていたんだろ・・でもオレは違った・・とにかく、あの独裁政権には我慢ならなかったんだよ・・」
「とはいってもサ、そんなオレの本音は、普段の生活じゃ、まったく見せることはなかったし・・オレの家族にしたって分からなかったはずだよ・・」
「フ~~ッ・・いまオマエは、オレの家族に対する気持ちを聞きたいんだろ・・もちろん、オレが逃亡した後の迫害についても少しは考えたさ・・でも、オレに は目的があった・・ヴォルフハルトと妹を、逃がすっていう目的がね・・まあ両親には少し我慢してもらわなきゃいけないけれど、将来があるオレ達の方がプラ イオリティーだと思っていたんだよ・・」
彼もまた、密告者の存在を常に意識しながら生活していた。そう、家族も含めて・・。そして、両親と親戚を「捨てる」決心をした。何という残酷な社会なのだろう。
とにかく、フリーダーは、ハンガリーへの渡航許可を手に入れた。
もちろん彼は、はじめから、ノイジードラー湖からオーストリアへ逃げ出すことを計画していたんだよ。
■ノイジードラー湖・・
「そのときは、もう、持っているモノすべてを捨てたよ・・もちろん、東側の身分証明書だけは、最後までしっかりと持っていたけれどネ・・エッ!?・・どうやって湖をわたったのかって?・・泳いだのさ・・はははっ・・信じられないだろ!?」
彼は、東ドイツの身分証明書だけを、完全防水の「ビニール袋」に入れ、丈夫なヒモで、クビから下げてノイジードラー湖に入っていった。
「まあ、夏とはいっても、水は、冷たかったよ・・だから、身体にオイルを塗ったんだ・・それでも辛かったな・・また湖では、ハンガリーの国境警備艇も行き 来していたから、昼間は移動するのが難しいとも思っていたんだ・・もちろんその警備艇には、独裁ハンガリー政府当局のヤツらが乗っているんだよ・・とにか く、あれほど、警備艇が多いってことは予想外だったよな・・」
結局フリーダーは、夜だけ、泳ぐことにした。でも、その夜にも、強力なスポットライトを装備した警備艇が行き来する。その度フリーダーは、水草に隠れたり、潜ったりして警備艇をやり過ごした。
その実際の光景を想像するのは難しかったけれど、とにかく、フリーダーの身体が、限界を超えていたことだけは確かだった。フリーダーが「入水」してから既に20時間は経過していた。
「そうなんだよ・・あまりにもキツくてさ・・もうどうにでもなれって心境になっていたんだ・・捕まったっていいから、とにかくオーストリアまで、いま泳ぎ切ってやるとかサ・・そんな投げやりな気持ちになっていたんだ・・」
「だから、もうその時は、注意深く泳ごうなんて気持ちは失せていたね・・行動も、どんどんと大胆になっていったよ・・もちろん警備艇がきたときだけは、隠れ気味に泳いだけれどサ・・」
「そうだな~、水に入ってから、もうかれこれ20時間は経っていたと思う・・そのときは、もう限界なんて通り越していたよな・・身体の感覚が失せていたっていうかさ・・そんなとき、一艘の小舟が近づいてきたんだ・・」
もちろんフリーダーは、破れかぶれで、その小舟に強引に乗り込んでいった。
「そのときのことは、いまでも鮮明に思い出せるよ・・とにかく、その小舟に乗っているヤツを突き落とそうとしたんだからな・・もちろんオレは、その人が、 ハンガリー人だとばかり思っていたわけだ・・そしたら・・何をするんだ!・・なんていうドイツ語が耳に入ったってわけさ・・」
もちろんフリーダーは、その小舟の主がオーストリア人だと直ぐに分かった。何せ、そのドイツ語は、完全なオーストリア訛りだったんだから。
フリーダーは、成功した。逃亡に成功した。
「その後、その人は直ぐに自分の家へ連れていってくれたんだ・・そして、身体を温めてくれたり、温かい食事を作ってくれたり・・本当に、そのときほど、人の温かみを有りがたく思ったことはないね・・今の今に至るまでね・・」
話しているときのフリーダーの表情が、これ以上ないほど「穏やか」なモノになっていった。
普段は、眉根のシワが深い厳しい表情を崩さず、話し方も、ドイツロジックそのものといった堅い表現ばかりのフリーダーだから、ちょっと面食らったっけ。
そしてフリーダーが、一枚の写真を見せてくれた。
そこに写っていたのは、全身びしょ濡れで、たすき掛けに、「東ドイツの身分証明書」が入ったビニール袋を下げているフリーダーと、彼を助けてくれたオーストリアの漁師さんだった。
そのフリーダーの疲れ切った表情には、一種の安堵感も見て取れたっけ。
■フリーダーのその後・・
フリーダーもまた、ミュンヘンにある逃亡者を収容する施設へ入った。そして、様々な調査が行われた後に、晴れて、西ドイツの身分証明書とパスポートが交付された。
それだけではなく、フリーダーの場合は、東ドイツの国家試験に合格した「医師免許」も、西ドイツのものに書き換えられた。
そして彼は、すぐに病院勤めを始めたんだ。もちろん病院は、ミュンヘンの逃亡者収容施設が紹介してくれた。
当時の西ドイツでは、東ドイツからの逃亡者を、手厚くサポートしていた。
だから、フリーダーは、すぐに病院で仕事をはじめられたし、ウリにしても、すぐにケルン体育大学の学籍をもらえた。もちろん奨学金もネ。
フリーダーだけれど、少しは休めばよかったのに、施設での調査が終了してから一週間後には、同じミュンヘンにある地方病院に勤めはじめたんだそうだ。
彼には、目的があった。そう、弟のヴォルフハルトと妹を東ドイツから逃亡させる「資金」を作るという目的があったんだ。
「そうなんだよ・・まあ確かに最初は研修医だったけれど、それでもオレは逃亡者だったから、様々な援助をもらえたし、数ヶ月後には、一般のドクターと同じ条件の仕事もさせてもらえるようになったんだ・・それについては、今でも、本当に感謝しているよ・・」
そして、フリーダーから遅れること一年で、ヴォルフハルトと妹も、西ドイツ人になったというわけだ。
■そういえば、ウリにも、こんなエピソードがあったっけ・・
「高校を卒業して直ぐに、どうしてもベルリンを見たくて、電車を乗り継いで親戚を訪ねたんだよ・・最初にベルリンを見たとき、オレの田舎とは比べものにならないほどの巨大な都市だって感じたことを思い出す・・」
「そして、もう一つ・・夜になったら、東ベルリンは真っ暗で、西側のベルリンには、明るい光の天井が仕付けられるという現実もあったな・・そのギャップを体感したときは、落ち込んだね・・」
ウリは、たまに、そんな詩的な表現をする。まあ、まさに「光の天井」という印象だったのだろうけれど、もしかしたらそれは、厳しい現実を突きつけられて落ち込んでいた当時の感覚を思い出したからこその表現だったのかもしれない。
ただ、東ベルリンで数日を過ごしているうちに、思いがけない幸運に恵まれた。
東ベルリンの繁華街を、当てもなく歩いていたときのことだ。急に、見たことのないユニフォームに身を包んだ外国人に話し掛けられた。
「その人のドイツ語・・誰が聞いても、アメリカ人のものだったんだ・・すぐに、アメリカの将校だって分かったよ・・その彼が、あるミュージアムの場所を聞 いてきたんだ・・オレは知らなかったけれど、すぐに、近くを通る住民に聞き、それを、その将校に、英語で伝えようとした・・」
「でも、そのときのオレの英語だからサ・・そりゃ、彼のドイツ語の方が、よっぽど達者だった・・でもオレは、何故だから分からないけれど、とにかく英語 で、そのミュージアムの場所を説明しようとしたんだ・・そのアメリカの将校だけれど、彼も、本当に我慢して、オレの下手な英語を聞いてくれたっけ・・」
「その後は、ハナシが弾んでね・・高校のことや家族のこと、またこれからオレがドレスデンの工科大学で勉強をはじめることなどを話した・・そんな会話のな かで、そのアメリカ人将校が、何気に、東側の社会や生活について聞いてきたんだ・・そこで、オレの積もり積もった不満が爆発したっちゅうわけさ・・」
ウリは、アメリカ人将校だから、本音をしゃべったって別に害はないと思ったし、まさにその通りだった。
「かなり、突っ込んだ本音をしゃべったと思う・・生活に入り込んだスパイの話とかサ・・そしたら、そのアメリカ人が、こんなことを聞くんだよ・・そう・・そんな社会から逃げ出したいかってね・・」
そのアメリカ人将校は、かなり階級の高い人だったらしく、運転手付きのクルマで、東ベルリンへやって来ていた。
もちろん、東西ベルリンを分ける境界検問所、「チェックポイント・チャーリー」を通ってネ。
チェックポイント・チャーリーは、西側連合国軍が仕切っていた検問所であり、(東ドイツから見た!)外国人や外交官、西側連合国軍関係者「だけ」が、徒歩や自転車、または自動車で通行することができる検問所だった。
そして、これが大事なポイントなのだが、アメリカ人将校は、東側の検問所も、完全に「フリーパス」だったのだ。
そんなアメリカ人将校が、ウリに、「西側へ逃げたいのなら一緒にクルマに乗せていく・・」とオファーしてくれたのだ。
そのアメリカ人将校のクルマに同乗していたら、もし怪しまれたとしても、東側の検問所をまったく問題なく通過できる。
そのことは、ウリも知っていた。だから、本当に迷った。でも結局は、そのオファーを断ることにした。
「そのときはアタマが混乱した・・でもそのときは、家族や、それまでの生活すべてを放り出して西側へいく決心がつかなかったんだ・・」
「まあ、高校を卒業したばかりだったし、家族を失いたくないっていう感覚も強かったよな・・だから、その場で、人生の重大な決断をするのは、難しすぎ た・・そのことを、そのアメリカ人に言ったんだけれど、気持ちよく理解してくれたよ・・そして最後は、しっかりと握手して別れた・・」
「今でも、その決断は正しかったと思っている・・やっぱり、何かの行動を起こすときは、様々な条件や環境を整えてからじゃなきゃな・・あっ、そうか・・それって、このオレが吐く言葉じゃないか・・あははっ・・」
そのときのウリは、まだ限界まで追い込まれていたわけではなかったということなんだろうな・・。
そんな、友人の逃亡者たちから聞かされる、多種多様の「逃避行」。
そのハナシを聞くたびに、日本という自由社会に生まれて育った幸運を噛みしめていた。