My Biography(37)_ウリの逃避行(その2)

■逃亡するための環境は好転していたけれど・・

「まあ、でも、状況はよくなっていたんだ・・」

そのウリの発言に、オウム返しに聞いた。

「えっ・・状況がよくなったって・・???」

「そうなんだよ・・1974年のドイツ・ワールドカップのためもあったんだろうけれど、東西ドイツ境界線での検問を簡素化するっていう協定が結ばれたんだ・・そのワールドカップには、ケンジも知っているとおり、東側のドイツも予選を勝ち抜いていたからね」

「多分、それでヨハンも、無事に逃げられたということなんだろうな・・ヤツは、詳しく話したがらなかったけれどサ・・」

ウリがハナシを続ける。

「それまでだったら、鏡のついた器具を使って、クルマの下部なんかも入念に調べていたし、目の届かないところがある場合は、その部分を解体することだってあったと聞いていたんだよ・・」

「また、ワラなんかを積んだトラックの場合だったら、銃剣をグサグサ刺して調べていたなんてコトも、まことしやかに語られていたしな・・とにかく境界検問所を、クルマに隠れて逃げ出すこと自体がものすごく危険だったんだ」

そうなんだ~・・。

それじゃ、ウリは一体どうやって逃げ出したんだろう。先が聞きたい。

■偶然の出会い・・

「オレたちにも、検問が緩(ゆる)くなったっていう情報は伝わってきていたよ・・そんなときに、ヨハンから、成功したっていう知らせが届いたわけだ・・も う、ホントに焦りに焦ったよ・・何せ、1974年ドイツW杯が終わったら、また厳しい検問にもどっちゃうかもしれないからな・・」

「そりゃ、モンモンとした日々だった・・大学は辞めちゃったし、そのことは、まだ家族にも言っていなかった・・そんなある日、親類のところへ遊びにいった んだ・・オレの叔父さんの家なんだけれど、彼はとてもインテリで、いつも、心が落ち着くようなハナシを聞かせてくれたんだよ・・特に、西側のハナシなんか は興味深かった・・彼はエンジニアで、東側ドイツの国営企業で、とても重要なポストに就いていたんだ・・」

ウリのハナシは、途切れることがない。

「だから叔父さんは、仕事で何度も西側へ行ったことがあるんだよ・・とはいっても、西に留まろうなんてことは思ってもみなかった・・それは、家族を人質に取られているからだ・・もちろん国営企業だから、経営者も共産党員さ・・そう、スパイの巣窟なんだよ・・」

「そんな叔父さんだから、色々と西側のことを話して聞かせてくれたよ・・もちろん、変にバイアスがかかったハナシじゃなく、とても中立的に話してくれ た・・叔父さんは、とてもクールでニュートラルに、社会的なメカニズムも含めた西側のことを描写してくれたんだ・・まあ、叔父さんにとっては、家族ほど大 事なものはなかったんだろうな・・その企業の共産党員(経営者)も、そのことを確信していたから西側への出張を許していたんだと思うよ・・」

「もちろん壁に耳ありだから、西側のことを話題にするときは、いつも小声になっていた・・彼も、共産党の独裁社会に対しては批判的だったから、ハナシはいつも弾んだサ・・」

「ということで、その日も、西側のハナシを聞きたくて叔父さんの家に遊びにいったんだよ・・そしたらサ・・」

そこで、淡々と話していたウリの表情に動きが出てきた。そのときのコトを、懐かしく思い出すような表情になったんだ。

「そのとき、西側から、叔父さんの友人が遊びにきていたんだ・・それが、ヨアヒムとウーテっていう、ブレスさん夫婦だった・・」

その後わたしも、そのブレス夫妻には、(もちろん西ドイツで!)何度も会ったことがある。

当時、奥さんのウーテは、FDP(ドイツ自由民主党)という政党で手腕を発揮する地方の政治家だった。またヨハヒムは、叔父さんと同じエンジニア。その関係で、叔父さんが西ドイツへ出張したとき、ヨアヒムと知り合ったらしい。

またウーテも、東ドイツの現状に肌で接したいということで、ヨアヒムと一緒に訪ねてきたということだった。

「そうなんだよ・・ウーテは、何でも知りたいタイプの女性だからさ・・そのとき、タイミングよくオレが尋ねていったというわけだ・・そりゃ、彼女から質問 責めにあうのも当然だよな・・独裁社会や秘密警察、また学校のこととかさ・・そして話し込んでいるうちに、感情の昂(たか)ぶりを抑え切れなくなって、自 分の置かれた状況を吐露しはじめたというわけさ・・そう、包み隠さずネ・・とても感情的な話し方になっちゃったけれど、ウーテは熱心に聞いてくれたっ け・・そして・・」

ウリは、微笑みながら、ウーテの反応を語りつづけた。

「オレのハナシを食い入るように聞いていたウーテが、こんなコトを言いはじめたんだよ・・そう、逃亡の手助けをするっていうハナシ・・オレのことを、車の トランクに隠して連れ出してくれるって言うんだ・・もちろん、その方法については、後から具体的に話し合って決めたんだけれどネ・・」

「オレは、はじめて会ったときから、この人たちは信頼できるって直感したんだ・・だから、全てを話すことにした・・彼らは、本当によく理解してくれた・・そして結局、リスクを承知で、逃亡の手助けをするってことになったんだ・・」

■ウーテとヨアヒム・・

「エッ!? そのときの気持ち?・・」

「そりゃ、天にも登るような気持ちさ・・とにかく、当時のオレ達にとっちゃ、助けてくれる西側の人がいないかぎり、逃げ出すのはものすごく難しかったからな・・いま考えても、ウーテは本当によくやってくれたって感謝でいっぱいだよ・・」

ウリの言葉には、決断した男の実感が込められていた。

ところで、ブレス夫妻。

彼らには、大学の夏休みに、北海沿いのリゾート地にある彼らの別荘で紹介された。

夫のヨアヒムは、物静かだけれど、その言葉には、誰をも納得させられるだけのロジックと、人間的な温かみが込められている。とにかく彼は、非常に頭が切れる人だ。

それに対してウーテ。小太りで、そんなに美人じゃないけれど、優しい眼差し(もちろん心のハナシだよ!)や、弾むように活発な言動など、まさに行動派を地でいく女性だ。

前述したけれど、彼女は、ドイツFDP(自由民主党)の代議士として、ドイツ北部のシュレスビッヒ・ホルシュタイン州議会で活躍していた。

そのウーテが、政治家として存分に活躍できるために、夫のヨアヒムが、一人娘の世話も含めて、カゲで全面的にバックアップしていたのは言うまでもない。

今でも、会うたびに、彼らの温かさに癒(いや)される。

そのウーテが、危険を承知で、ウリを連れ出そうと決心したというのである。

「エッ!?・・どうしてウーテが、その場で、そんな難しいことを決心できたかって!?・・そのことについて、彼女と詳しく話したことはないけれど、たぶん 彼女は、東ドイツの非人間的な独裁政治に憤っていたんだと思う・・政治家でもある彼女は、正義感が強い信念の人でもあるからな・・」

もちろん、夫のヨハヒムも、ウーテの決心を支持した。ヨハヒムはウーテを、ウーテはヨアヒムを、全面的に信頼しているんだよ。

そのことは、彼らの共通の趣味であるヨットをやっているときにも感じられた。

ヨット(ディンギー)のウデは二人ともプロ級だけれど、とにかく、その息の合ったヨット操作は、専門家のなかでも定評があった。それも、互いの信頼があればこそ・・というわけだ。

ウリや私にとって、ブレス夫妻はいまでも理想的な夫婦なんだ。

■そして逃亡プランが具体的になっていく・・

逃亡計画は、その場で具体的に話し合われた。

ウリの叔父さんは、そこでのシリアスな雰囲気を敏感に察し、気を利かせて部屋を出ていった。そして部屋には、ウリとブレス夫妻だけが残された。

もちろん、ウリは、そのとき、そこまで具体的なハナシになるとは思ってもみなかったから、ちょっと戸惑ったと言っていたっけ。

でも、やるなら「今」しかない。

「まず話題になったのは、どうやって西ベルリンに逃げ込むのかということだった・・でも、そのことについては、すぐに結論が出たよ・・逃亡については、と にかく情報が多かったからね・・東西ベルリンの鉄条網や壁を乗り越えるとか、トンネルを掘るとか、東西ドイツの壁に隣接する建物からロープを渡して逃げる とかサ・・」

「でも、やっぱり我々にとっちゃ、クルマのトランクに隠れて逃げるというのが、もっとも現実的だったんだ・・もちろん、逃亡の手助けを商売にする業者もいたさ・・でもカネが要る・・その額は、オレにとっちゃ、もう天文学的な数字だったからね」

そこら辺からウリは、シリアスな雰囲気を振りまきはじめていた。

「クルマのトランクに隠れるっちゅう方法だけれど、もちろん、西側から、西ベルリンへつながっているアウトバーンの途中で・・要は、東ドイツの領内で、オレがトランクに乗り込んで、そのまま西ベルリンへ入るっちゅうわけだ・・」

以前にも書いたけれど、ベルリンは、東ドイツ領内の、ほぼ中央に位置している。そのベルリンが、高い壁で東西に分割されているのだ。だから、西ベルリンは、東ドイツの中央に位置する、完璧な「孤島」っちゅうわけだ。

その西ベルリンへ「渡る」ためには、電車に乗るか、クルマでアウトバーンを経由するか、飛行機を使うかの、三つの手段しかない。ウリが逃亡するには、電車や空路は、現実的に不可能だから、クルマという選択肢しか残されていなかったというわけだ。

それも、トランクのなかに隠れて、例の「厳しい境界線」を突破するしかない。

もしウリが検問所で見つかったら、もちろんウーテは、そのことに一切気付かなかったという「フリ」を、自然な態度で演技しなければならない。それは、それで、大きなリスクではあった。

とにかくウリたちは、色々な「工夫」を絞り出さなければならなかった。

「そうなんだよ・・そこでもっとも心配だったのは、もし境界線でオレが見つかったときに、ウーテに迷惑がかかることだったんだ・・だから、ヨアヒムが、こんなアイデアを出してくれた・・」

ウリは、当時のことを思い出しながら話していたけれど、その表情には、(当時の!?)緊迫感がただよっていたっけ。

「そのアイデアで、もっとも重要だったのが、トランクの構造だったんだよ・・古いタイプのメルセデスだったら、後部トランクを、外からボタンを押すことで開けられるんだ・・」

「でも、新しいタイプじゃ、運転席のレバーを引いたり、電子的な信号を送らなければ開かないんだよ・・それじゃ、オレが見つかったとき、ウーテは言い訳ができない・・」

「そう、彼女の意志がなければ、オレはトランクに入れないわけだからナ・・」

(つづく)