My Biography(6)__ドイツ到着・・そしてすぐに学習機会がはじまった
■アウトバーンにも文化が垣間見える・・
2年前(1974年)のドイツ旅行では、パリに到着し、そこから電車で(西)ドイツへ移動した。また帰国もパリから。だから、フランクフルト空港は初めてだった。
降下していく飛行機の窓からフランクフルト空港が見える。なんて大きな空港なんだろう。
でも、その規模の大きさだけではなく、そこを取り囲むように縦横に張りめぐらされている高速道路網にも視線が釘付けになった。そう、ドイツが誇るアウトバーンだ。インターチェンジが、いくつも見える。
アウトバーンは、皆さんもご存じのとおり、アドルフ・ヒトラーの主導で、本格的な高速道路網として着工された。
第二次世界大戦が開戦するまでには、ほぼ4000キロが完成していたと言われているが、大戦中は、主に滑走路として活用されていたらしい。連合軍からの攻撃を避けるために、飛行機を森の中に隠し(シュヴァルツ・ヴァルト!?)、必要に応じてアウトバーンから出撃した。
壮大なアウトバーンから、ドイツが世界に誇った戦闘機、メッサー・シュミットが出撃していく。想像しただけで、ワクワクさせられた。
たしかに残酷な戦争という現実はあるけれど、そのときは、あくまでも、アウトバーンとメッサーシュミットという組み合わせのカッコ良さだけが脳裏を占拠していた。
そのアウトバーン。
上空から見下ろしたときのクルマは、もちろんミニチュアカーそのもの。そして、その「動き」に、またまた目が釘付けになった。
走行レーンと追い越しレーンを走るクルマのスピード差が、ものすごいのだ。走行車線を走る「遅いクルマ」を、まさに「ビュ~ンッ!!」ってな感じで、追い越しレーンの速いクルマがブッちぎっていく。
冗談ぬきで、そのスピード差には何倍もの開きがある・・ってな印象さえ受ける。そんな光景は、それまで見たことがなかった。
・・あんなにスピード差があったら、ものすごく危ないよな・・もし先行するドライバーが、バックミラーを確認せずに車線を変更しようものなら・・
そのことを考えただけで、アウトバーン上で交錯する「オモチャの動き」に、視線が釘付けになり、冷や汗まで出てきたものだ。
たしかに、今では、アウトバーン総延長の半分以上に制限速度が設けられているけれど、制限速度を設定しないという考え方の基本コンセプトは、まだ根強い。
その背景には、ガソリン自動車発祥の地だからこそ、その文化を守らなければ・・という意識もあるんだろうけれど、それだけではなく、ドイツが個人主義社会ということもありそうだ。
要は、上からの「規制」ではなく、あくまでも「自己責任」で判断、決断して行動するという原則を貫いているということだ。
そんな「個人主義アウトバーン文化」は、不確実な要素が満載されたサッカーにおいても存分に活かされている。だからこそドイツは、今でも世界のサッカー強国として厳然たる存在感を発揮しつづけているということか。
ところで、追い越し車線を疾走する速い(≒高価な)クルマだが、それには、社会的なステータスを表現する手段という意味合いもある。
後から知ったのだが、アウトバーンの追い越し車線には、「メルセデス御用達レーン」などという(金持ちを揶揄する!?)別名もつけられているということだった。フンッ・・
■さて、フランクフルト到着・・
その前に・・しつこいけれど、アウトバーンの話題をもう少し・・
飛行機が高度を下げていくにしたがって、その構造美に魅了されるのと同時に、世界最高性能のクルマを量産するドイツという国の先進性にも敬意を表していたっけ。
アウトバーンを、基本的には「速度無制限」に維持することの背景に、前述した要素以外にも、世界に冠たるクルマ大国としてのプライドと、国家のイメージ戦略があるのは言うまでもないよね。
それにしても、高度が下がれば下がるほど、走行車線と追い越し車線の「スピード差」の視覚的認識レベルが増幅していくじゃないか。
まさに、「ビュンッ!!」ってな感じで、速いクルマが追い抜いていくんだ。
・・追い越されるときの風圧を肌で感じている遅いクルマのドライバーは、ものすごく神経を使って後方確認しているんだろうな・・
・・そういえば、バックミラーに映る(追いついてくる)クルマの勢いは、とても敏感に、そして正確に感じられるモノだと聞いたことがあった・・もちろん、 教習所の段階で、しつこく後方確認を練習させられるだろうしね・・まあ、交通事情を考えつくした教習内容でドライバーを育成しているということか・・
そんなことを考えながら、今度は、近づいてくる巨大空港の方に注意が引きつけられていった。
フラップが下がり、翼の面積が大きくなったことで、揚力が倍増したことを体感する。速度と高度が下がり、地面が近づいてくる。
もちろん滑走路など見えずに地面だけが近づいてくるんだから、ちょっと不安になるよね。
この感覚、皆さんも経験されているでしょ。そして「最後の瞬間」に、滑走路が視野に入ってくるんだよ。その時の、ホッと胸をなで下ろす感覚は、今でも変わらないね。
そして、「ドンッ」という軽いショックとともに、ランディングが完了する。モスクワでの着陸でも書いたけれど、ホントにスムーズで上手い着地だ。
ソ連の戦闘機パイロットに、乾杯!! あははっ・・
でも、着陸したアエロフロート機はターミナルに横付けせず、滑走路の片隅に駐機するんだよ。
アエロフロートには、ターミナルビルのスペースが割り当てられていないということか。航空会社のチカラ関係の象徴ということなんだろうね。
そして我々は、バスに乗せられ、やっとターミナルビルに到着したという次第。とにかく、まずイミグレーションを通って、荷物を受け取らなければ。
・・アナタの来独の目的は?・・そうですか留学ですか・・先方の大学からの入学許可証を見せていただけますか?・・ナルホド・・勉強、頑張ってください・・
イミグレーションでの会話。英語だった。
そのとき、ケルン総合大学から入学許可証がとどいて本当によかったと実感した。それがなかったら、観光客として入国しなければならなかった。精神衛生上も、よくない。何せ、これから、希望に満ちた留学生活を送ろうという若者なんだからね。
荷物の引きわたしホール(ラゲージ・クレームゾーン)のターンテーブルが回りはじめた。私たちのターンテーブルは、ホールの端っこ。これも、アエロフロート専用ということでしょ。
そうそう、荷物のことだけれど・・
ターンテーブルは回りはじめたけれど、とにかく不安だった。私たちの荷物は、本当に無事に到着するのだろうか。
羽田のチェックインカウンターで預けて以来(当時、成田はまだ空港反対派との抗争中だった!)、荷物を見ていない。そりゃ、不安にもなるさ。何せ、モスクワで「あんなこと」があったしね。
金子さんや、ほかの乗客たちも不安を隠せないでいる。たまに顔を見合わせては肩をすくめるんだよ。そして、そんな雰囲気のなか、最初の荷物が出てきた。
えっ!? 何と、それは私のスーツケースではないか。
その二年前、「スーツケースは、やっぱり良いヤツを買わなければ「安物買いの銭失い」になりかねないと奮発した、ブラウンのサムソナイト。いろいろとステッカーを貼ってあるから、間違うはずがない。
「ワッ、ぼくのだ!」
トンキョウな声をあげたものだから、周りの視線が集まってしまった。それでも、私の荷物が出てきたことで、周りにも安堵の空気が漂いはじめた。よかった。
「それでは金子さん。お互い、頑張りましょう」
何を頑張るのか、よく分からない。でも何となくそんな言葉が口をついていた。
「まあ、あまり気張らずに、リラックスして努力してくださいネ」と、金子さん。
そんな余裕の言葉を聞いて、なんとなく機先を制された感じがしたものだ。
目的を常にイメージしながらも、肩肘張らずに頑張る・・
そんな「姿勢」が、とても大事だということは、実際にドイツでの日常がはじまってから深く自覚することになるんだよ。
ということで、モスクワでの「戦友たち」と散り散りになった後は、再び、まったく独りぽっちになった。そして、不安をかき消そうと、「さあ、これからだ・・」と、小声の掛け声で、自分自身を鼓舞するのだった。
時計は、午後1時を指している。さて、まず腹ごしらえだな。
■空港ビルの中華レストランでのこと・・
アエロフロートの機内食にはほとんど手をつけなかった。
フライトが3時間と短かったし、出された料理に食欲が湧かなかったこともあった。もちろん、これからのドイツでの生活に思いを馳せていたしね。
フランクフルト空港の巨大な構内を探して歩きまわった。もちろん、食事ができそうなところは多かったけれど、まず馴染みの料理にありつきたい。
そう、中華料理。それだったら手頃な値段だろうし、当たりはずれも少ないに違いない・・
そのとき私は、世界共通の常識を忘れていた。
世界中どこでも、国際空港レストランの値段は高いのである。やっと見つけた中華レストラン。そのメニューを見たとき、その「常識」を思い出した。
メニューの内容が理解できないだけじゃなく、やたらと高いのだ。当時、一マルクは120円くらいだったから、いちばん安い料理でも1000円以上。それも、オードブル的なヤツがだぜ・・
繰り返しますが、1970年代半ばのハナシですからね。
今では、グリル・ソーセージで簡単に食事を済ませるのは当たり前になったけれど、その頃はまだ右も左もわからないおのぼりさんだ。結局、「ヌードル系」の料理を一つだけ注文することにした。
フロア担当の女性は、中国人のようだった。その彼女、まず中国語で話しかけてきた。私を中国人と思ったのだろう。
・・アジア人同士だったら、国籍について、ある程度は見分けがつくものなんだけれど・・彼女はドイツ生活が長いんだろうな・・年齢からして、もしかするとドイツ生まれの二世かもしれない・・
私は、肩をすぼめ、「あなたが何を言っているのか分かりません・・」と、日本語で応える。
すると彼女、こんどはドイツ語で話しかけてきた。そして私は、またまた肩をすぼめざるを得ない。
私のジェスチャーに、今度は彼女が肩をすぼめる。ということは、中国語かドイツ語しか分からないということか。困ったな~・・
でも、まあ、メニューを指で示すだけでコト足りるんだから・・と思ったけれど、メニューはドイツ語だから、何が何だか分からない。
仕方なく、ヌードルを「すする仕草」をしたら、すぐに分かってくれ、いくつかの候補をメニューの中から選んでくれた。
でも、もちろんそれが何なのか分からない。仕方なく、「エイヤッ!」と、そのなかの一つを指さした次第。
ということで、食事の注文はできたけれど、食事の後には、ケルンへ行く電車について色々と調べなくちゃいけない。そのことを考えると、ちょっと気が滅入ってきた。フ~~ッ・・
でも、料理は、とても美味しかったですよ。
「エイヤッ!」で選んだ料理は、まさに「ビンゴッ!」。そう、夢にまで見たラーメン。ドイツ語では「ヌードル・ズッペ」というのだが、日本的に言ったら、まあ五目そば・・ってな感じか。
ということで、腹ごしらえも大満足で終えられた。そして、すぐに時間のことが気になりはじめるんだよ。もう午後3時を過ぎている。空港ビル構内で調達したドイツ地図からすれば、ケルンまでは200キロは移動しなければならない。
東京から、静岡(掛川)のエコパスタジアムくらいまでの距離。とにかく暗くなるまでにケルンに到着したい。
そう思うと、もう、いても立ってもいられなくなった。そして、よし行くぞっ・・と、勢いよく立ち上がろうとしたのだけれど、そのとき・・
心配だったから、テーブルの横まで持ち込んでいたスーツケースを、立ち上がった拍子に倒してしまったのだ。
バタンッ!・・そして、つづけて、ドタンッ!
スーツケースの倒れる音があまりにも大きく派手だったから、慌ててしまった。そして立てようとした拍子に、今度は自分がスーツケースにつまづいて転んでしまったのだ。
みっともないと、焦りまくる。ただ、周りの客たちの反応は穏やかだった。白人の中年女性が、スッと立ち上がり、「プリーズ」と、わたしに手を差しのべてくれる。
ただ私は、「みっともない・・」という感情の方が先に立っていたから、「イッツ、オーケー」と、逆にその手を振り払うように立ち上がってしまうのだ。
まったく余裕がない態度。今度は、そんな自分自身に腹が立った。その女性は、何事もなかったかのように、ゆっくりと自分の席へ戻っていく。
フ~~ッ・・
そのとき、「彼女の好意を踏みにじってしまった・・」という後悔と自責の念がアタマのなかを駆けめぐっていた。このままでは惨めすぎるじゃないか・・
そして私は、勇気をふりしぼって彼女の席へいき、「サンキュー・フォー・ユア・カインドネス」と頭をさげた。もう少し、素直な感情まで表現できればよかったのだろうけれど、そのとき絞り出せたのは、そんな簡単な言葉だけだった。
でも彼女は、(手を振り払った私の態度から・・!?)そんな行動など期待していなかったに違いない、ちょっとビックリし、「イッツ、オーケー」と、ニコッと微笑んでくれた。
すごく刺激的な出来事だったけれど、それ以上そのことに拘わっている余裕はない。とにかく、なるべく早くフランクフルトの中央駅まで、たどり着かなければ。
いまでは、フランクフルト空港ビルの地下駅から、ヨーロッパ中のどこへでもダイレクトに行くことができるけれど、当時は、フランクフルト市内の中央駅へいくローカル線だけが通っていた。
そのフランクフルト中央駅までは、20分ほどかかるはずだ。
例の女性に別れを告げ、レストラン出口にある「はず」のキャッシャーへ向かった・・つもりだった。でも・・
そう、そこでハッと思い出したんだよ。欧米のレストランでは、自分の席で精算するんだった。
それでも、もう立ち上がってしまったし、テーブルへもどるのも(あんなことがあったから!?)バツが悪い。わたしは、フロア担当の彼女を見つけ、支払いを、その場で済ませたい旨を、ジェスチャーで伝えようとした。
でも彼女は、キョトンとしている。私の意図が伝わらない。
もう一度、親指と人差し指をこすり合わせる仕草で、「この場」で支払いを済ませたいと意思表示した。それで、やっと私の意図を理解したようだったけれど、でも彼女は、テーブルを指さし、そこへ戻るようにというジェスチャーをするんだよ。
もう一度テーブルに戻れってか!?
ここで支払うのも同じじゃないか。どうしていけないんだ!?
またイラついてきた。まったく余裕がない。もちろん自分自身のことだよ・・
とにかく、テーブルで清算するのが店のルールのようで、彼女はガンとして金を受け取ろうとせずにテーブルに戻れって言うんだよ。
そのガンコさ。ドイツ生まれでドイツ育ちに違いない。でも私は、二度とテーブルに戻りたくない。
そして、「それじゃ、20マルク。これでいいんだろ。オツリはいらないよ!」と、日本語で言い、現金を、従業員の作業テーブルの上に置いた。料理は15マルクくらいだったから、20マルクだったら、チップも含めて十分のはずだ。
私は、なるべく早くその場を離れたかった。そして、逃げるようにレストランを飛び出し、足早に、地下駅の方角へ向かった。
少し行ってから後ろを振り向く。追いかけてくる気配はない。少しホッとしたが、べつに悪いことをしたわけじゃないから、後ろめたい気持ちになっていることがバカバカしくなってきた。
そして、どうしてもっと余裕をもって対応できなかったのか・・と、自分に対して腹が立った。
スーツケースにつまづいて転んだときもそうだった。どうして手をさしのべてくれた彼女に、もっと余裕をもって紳士的に対応できなかったのだろうか。
支払いの件については、今だったら、ゆっくりとテーブルにもどって、何事もなかったように金を支払い、ドイツ語で、「あなた方の仕事は、客に美味しく食事 をしてもらい、気持ちよく店を後にしてもらうことだと思っていたのですが、違ったようですね・・」などと、彼女の柔軟性のなさに、イヤミの一言も残せたに 違いない。
ああそうか、そんな、とっさの反応や態度は、親友のウリをはじめとしたドイツ文化から学んだことだっけ。
・・でもサ、いま考えたら、そんなイヤミだって、結局は自分に跳ね返ってきてイヤな思いをするんだから、全てを「呑み込んで」冷静に対応するのが一番だったはずだけれど・・
とにかく、ドイツに着いてすぐにはじまった、エキサイティングな学習機会ではあった。
これから、どうなっちゃうんだろう。たぶんケルンに着くのは、夜中近くだろうし・・