The Core Column(2)__2012-13年シーズンUCL・・まさかの大逆転ドラマ・・ドルトムントvsマラガ

両チームの思惑が交錯する

「あ~あ!・・終わっちゃったぜ・・ドルトムントの守備は、もろかったな・・さあ、シュナップスでも飲んで寝るか・・オマエのところは、もう早朝の5時を過ぎたところだろ・・じゃあ、またな・・」

「スカイプ」のテレビ電話をつなぎっぱなしで一緒に観戦していたドイツの友人が、気落ちした雰囲気でスイッチを切る。そのとき、後半37分を少し回ったところだった。

ちなみに、シュナップスとは、ドイツの蒸留酒の一種で、とても強い酒だ。

2013年4月9日、ドルトムント本拠地のサッカー専用スタジアム、ジグナル・イドゥーナ・パルクで、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝のリターンマッチが行われた。

ボルシア・ドルトムント(ドイツ)と、マラガCF(スペイン)の対峙。

この勝負マッチ。誰もが、「まさかっ!?」と目を疑うような神様ドラマへと成長していった。わたしも、度肝を抜かれた。

まさに、めくるめく歓喜と奈落の失望が、激しく交錯しつづけるサッカーの面目躍如ってな「事件」だった。

信じられないほどのドラマチックな展開。わたしは、記憶に留めておくためにも書き記しておこうとキーボードに向かうことにした。

まず、ドルトムントでのリターンマッチまでの経緯を振り返っておこう。

マラガで行われた第一戦は、両チームともに注意深いサッカーを展開したことで、盛り上がることなく、「0対0」の引き分けに落ち着いた。思惑も含め、両チームにとって、まずまずの結果だったはずだ。

ドルトムントは、65,000人を呑み込むホームスタジアムでは無類の強さを発揮する。彼らは、そこで勝負を決められると確信していた。

一方、マラガ。

一点さえ奪えば、アウェーゴール2倍のルールによって引き分けでも準決勝へ抜け出せる。彼らもまた、ドルトムントの攻撃だったら守り切るのは難しくないし、逆にカウンターからのワンチャンスをモノにできる・・そう確信していたのだ。

ゲームが、マラガの思惑にはまっていく・・

勝負のリターンマッチがはじまった。そして、まさにマラガが目論んでいた通りの勝負シナリオでゲームが展開していくのである。

たしかにボール保持(ポゼッション)では、ドルトムントが優位に立っている。ただ「実質的な勝負の流れ」では、強力な守備ブロックを基盤に、鋭いカウンターやセットプレーでチャンスを狙うマラガに分があった。

そして案の定、マラガが先制ゴールを奪ってしまうのだ。前半25分、ホアキンの左足一閃。

素早いコンビネーションから、最後にボールをもったマラガのホアキンが、一瞬のスキを突いたミドルシュートを、ドルトムントゴールの右隅へ突き刺したのだ。

その瞬間、スタジアム全体が、水を打ったように静まりかえった。

ドルトムントは、この失点によって、2つのゴールを奪って勝利するしかなくなった。あの、強いマラガ守備を打ち破って・・

老練な「読み」をベースにした、マラガの堅牢な守備ブロック。

彼らが醸(かも)しだす「ゲームの実質的な流れ」を体感していた誰もが、「これでゲームが、とても厳しいモノになってしまった・・」と感じていたに違いない。

ただ、ドルトムントは粘る。前半終了間際の40分に、エースのレヴァンドフスキーが同点ゴールをゲットしたのだ。

一瞬のダイレクトコンビネーションで抜け出したドルトムントのエース、レヴァンドフスキーが、ゴールから飛び出してくるマラガGKカバジェロの身体を、スッとボールを浮かすことでかわし、落ち着いて「ゴールへのパス」を決めたのである。

まさに、スーパー・テクニカルゴール。これで、1対1だ。

ドルトムントを応援する誰もが、「ヨシッ!」と、ガッツボーズに力を込めたに違いない。とはいっても、彼らには見えていた。勝ち越しゴールを入れなければならないということも含め、勝利は、まだまだ遠い・・

そんな重苦しい雰囲気を裏付けるかのように、マラガのホアキンに、前半ロスタイムだけではなく、後半の立ち上がりでも、セットプレーから、まったくフリーで強烈なヘディングシュートをブチかまされてしまうのである。

2本も、立てつづけに冷や汗をかかされた決定的ピンチ。その瞬間、ドルトムントを応援する誰もがフリーズし、現実を思い知らされたことだろう。

たしかに、ホアキンが放った二つの絶対的ヘディングシュートは、ドルトムントGKヴァイデンフェラーが、目の覚めるようなセービングで防いだ。ただ、誰もが、その決定的ピンチが意味する本当のところを理解していたのだ。

ボールは、ボルシア・ドルトムントが支配している・・ように見える。ただ、実質的な勝負の流れは、明らかにマラガが握っている。そう、勝利は、まだまだ遠い・・

ゲームがドラマチックに成長していく

ただ、大ピンチシーンに凍りつきながらも、ドルトムントをサポートする誰もが別の思いを強くしていた。「大丈夫・・まだツキに見放されてはいない・・やれるぞ・・」ってね。

友人とのスカイプ通話でも、そのコトが話題になった。「まだまだこれからだ!・・この展開だったら行けるぞ・・」、なんてネ。

そんな、根拠のない「感覚的な期待」もまた、長いフットボールネーションの歴史の為せるワザ。彼らは、サッカーでは、常に、歓喜と失望が繰り返されるという事実を、身をもって体感しているのだ。

そして実際に、そんな「根拠のない期待」に、実が詰め込まれていくのである。

ピンチを迎えたドルトムント選手たちは、逆に奮い立ち、攻守のダイナミズムを増幅させてチャンスを作りだしていったのだ。

それは、「脅威と機会は表裏一体・・」という普遍的なコンセプトを地でいく、ドルトムントの反抗だった。

そしてゲームが、まさに「動的な均衡」という表現がピタリとあてはまるほどエキサイティングな成長を魅せつづけるのである。

マラガが、再びフリーキックからチャンスを作り出し、逆にドルトムントが、素早いコンビネーションから、最後はレヴァンドフスキーがフリーシュートを放つ。まさに、次元を超えた極限の仕掛け合い。観る人々の感性が完全に占拠されるのも道理だった。

そのときドルトムントの巨大スタジアムは、交互に訪れるピンチとチャンスが生み出す極限のテンションで覆いつくされていたのである。

もちろん、ピンチに見舞われるたびに(ピンチをしのぐたびに!)、逆に、ドルトムントを応援する人々の期待レベルが増幅していったことは言うまでもない。

そして、そんな強烈なスピリチュアルエネルギーに後押しされたドルトムントが、つづけざまに、誰もが息をのむ絶対的チャンスを作り出しはじめるのである。

マラガGKの左足に「神」が宿った・・

まず後半31分。

ピシュチェクからのグラウンダークロスを、マルコ・ロイスがダイレクトで叩く。

その3分後には、ギュンドアンとの見事なワンツーでタテへ抜け出したマリオ・ゲッツェが、これまたダイレクトで左足シュートをブチかます。

この二つのチャンスは、まさに絶対的といえるモノだった。その瞬間、誰もが、ドルトムントの逆転ゴールを脳内スクリーンに描き出したことだろう。でも・・

信じられないことに、マラガGKカバジェロの左足が、二つの決定的シュートをギリギリのところで弾き出してしまうのだ。

カバジェロの左足に神が宿った。そう、感じた。

その二つの決定機をモノにできなかったことで、今度はドルトムントを応援する誰もが、「奈落の失望」を味わっただけではなく、その不運から派生してきたイヤなイメージにも苛(さいな)まれるようになるのである。

もしかしたら我々は、この不運によって、もっと深い暗闇に引きずり込まれてしまうのではないだろうか・・

そして、その不安が現実のモノになるのだ。

ドルトムントが、二つ目の絶対的チャンスを逃した3分後(後半37分)、マラガが、まさに起死回生そのものといっても過言ではない勝ち越しゴールを決めてしまうのである。

素早いカウンターで攻め上がったバティスタのシュートを、交替出場したエリゼウが押しこんだ。再度、マラガ「1対2」のリード。

これでドルトムントは、わずかな残り時間で、二つものゴールを積み重ねなければならなくなった。

マラガ側。

選手も、ベンチも、はるばるドイツまで足を伸ばしたマラガサポーターも、「オラが村のチーム」の勝利を確信し、喜びを爆発させる。

その後マラガは、前線のスター、バティスタ、ホアキンと、つづけてベンチに下げたのだが、交替するときの選手同士の抱擁からは、彼らの誰もが勝利を確信し、舞い上がっている雰囲気がビンビン伝わってきたものだ。

その数分後に、奈落の失望が訪れるとも知らずに・・

そして、ドラマがクライマックスへ上り詰めていく・・

そしてこのタイミングで、冒頭で書いたとおり、「スカイプ」をオフにしたというわけだ。

私も含め、ドルトムントを応援する誰もが諦めかけていた。

しかし、ドルトムント選手たちが「めげる」ことは全くなかった。

失点した直後、ドルトムントGKヴァイデンフェラーがゴールから飛び出し、キックオフのためにセンターサークルにボールを置くチームメイトたちに近寄って檄を飛ばすのである。

その刺激が効いたのかどうかは分からない。でもその後の彼らは、まさに「何ものをもブチ破っていくぞっ!!」という、極限までフッ切れたダイナミズムを爆発させるのである。

そこからの展開は、もうコメントの必要はないだろう。

美しくはないし、幸運にも恵まれた。でも、ゴールはゴールだ。見まがうことなく、ゴールだ。

ドルトムントは、後半のロスタイムに入ってから(本当にロスタイムに入ってからだぜ!!)、泥臭い二つのゴールを押しこみ、これ以上ないほどのドラマチックな逆転勝利を完遂してしまったのだ。

ゲルマン魂の炸裂!?

そこで起きた「事件」は、そんな月並みの表現では追いつかない。それは、もっと深い、まさに哲学的な出来事だった。

わたしは、深~い学習機会でもある「この事件からの感覚と感性」を忘れまいと、様々なニュアンスをメモに取っていた。そんなこともあって、少し話題が古くなっていたとはいえ、メルマガでテーマにすることに躊躇することはなかった。

勝ち越しゴールが決まった直後。

観ているこちらも、そのドラマに驚き、慌ててドイツの友人をスカイプで呼び出す。彼もまた呼び出そうとしていたらしい。コール音もなく、すぐに彼の顔が、PCのディスプレイに映し出された。

「すごい粘りだったな~・・感動したよ・・でもサ、何となく、こんなことが起きるような予感はしていたぜ・・オマエは、もうベッドに入っていたんだろ・・」

友人が、そんな生意気なことを言う。

「何を言ってやがる・・あのときオマエは、完璧にギブアップしていたじゃネ~か・・」

そんな、楽しい罵(ののし)り合いが、際限なくつづくのだった。