The Core Column(26)__半月板(その損傷)という厄介者・・長谷部誠の場合
■長谷部誠のアクシデント・・そして英断・・
日本代表のキャプテン長谷部誠が、1月17日に、日本で半月板の手術を受け、つい先日の2月19日にチームトレーニングに復帰したと聞いた。
右ヒザ外側の半月板の損傷。もちろん、内視鏡手術で、損傷した部分を摘出したのだろう。
長谷部誠がアクシデントに見舞われたのは、スペイン合宿中の2014年1月14日。そこで行われた、対ステアウア・ブカレスト親善マッチでのことだった。そして、その3日後には、帰国して手術を受けたのである。
長谷部誠は、現地でのMRI検査の結果について、信頼できるチームドクターと(監督、アドヴァイザーやマネージャーなども含めて!?)話し合い、すぐに日本へ飛ぶことを決断したということなのだろう。
そして、彼がもっとも信頼する日本人ドクターに「ヒザ」を委ね、アクシデントの一ヶ月後にはチームトレーにニングに復帰した。
どのようなタイプの半月板損傷だったのか、詳しくは知らないが、その後の、物理的、心理・精神的なリハビリも含め、まさに電光石火の(プロフェッショナルな!)英断だったと思う。
■半月板の損傷とは・・
半月板の損傷。それは、サッカー選手につきまとう持病ともいえる。
あっと・・、まず簡単に、半月板のことを説明しておこう。
半月板は、モモの大腿骨と、スネの頸骨の間にある軟骨であり、両方の骨が、直に接触するのを防ぐだけではなく、四本のじん帯とともに、ヒザの安定性を確保する役割も担う。
要は、クルマの足回りでいう、ショックアブソーバー的な機能を果たしているということだ。ジャンプ着地のショックを和らげ、ヒザの動きを安定させるための緩衝装置なのである。
でもその半月板に、急に、大きく「複雑な」負荷が掛かったら、危ない。
動きが複雑なサッカーの場合、垂直方向や水平方向の負荷と同時に、回転するチカラも掛かったりするのだ。だから、半月板の部分的な損傷というアクシデントを引き起こすケースが多い。それが、始末に負えない。
ここでいう「損傷」だけれど、それには、タテやヨコ方向の断裂、亀裂、剥離、はたまた表面が「ささくれ立つ」などなど、多くのタイプがある。そして、その損傷内容に応じて、保存的療法から手術まで、様々な処置がとられるのである。
そして、「これ」が、もっとも大事なポイントなのだが・・。
それは、半月板は軟骨であり、血管が(外周の一部を除いて)通っていないことで十分な栄養が供給されないということだ。そのことで、ほとんど自然治癒は望めないのである。
まあ、将来的には、「iPS細胞」や「STAP細胞」によって、半月板を「再生」できるようになるかもしれないけれど・・。
■ヒザの半月板損傷・・それは筆者も経験した・・
かくいう筆者も、ドイツ留学時代、半月板のトラブルに見舞われた。
忘れもしない。スペシャル(プロコーチ)ライセンスのドイツ国家試験に合格し、最終的に日本へ帰国しようとしていた1981年4月のことだった。
人工芝のグラウンドでミニサッカーに興じていたとき、相手のタックルをジャンプしながらかわし、着地するのと同時にボールを左へ切り返そうとした。
そう、着地と、ひねり(回転)動作を、同時にやろうとしたのだ。
そのとき突然、「ボキッ!」という異音とともに、右ヒザが「ズレ」た。
激痛が走り、立ち上がれなくなった。すぐに知り合いのドクターに診てもらい、半月板と、前十字じん帯の部分的損傷だと見立てられた。
後に、半月板が、外周に沿って断裂剥離したことで、手術しか治す方法がないと診断されることになるのだが、それまでには紆余曲折があった・・。
もちろん、手術などイヤだ。それに、その「事件」の2週間後には、日本へ(最終的に!)帰国する予定だったんだ。
格安チケットだから(もちろんアエロフロート)、キャンセルなどできはずがない。
フ~~ッ・・。
知り合いのドクターや友人たちに相談し、結局、そのまま帰国して(もし必要ならば)日本で治療を受けるのがベストだということになった。
でも、日本に帰り着いた頃には、徐々に、ヒザの腫れや痛み(膝の内部組織の炎症)も治まりはじめていたのだよ。
だから、病院へ行くのを先延ばしにし、筋トレやストレッチなどでダマしながらプレーをつづけることにした(そう、保存的療法だ)。
でも、そんな中途半端なやり方がいけなかった。その後も、際限なくヒザのトラブルに見舞われることになるのである。
■半月板損傷という、厄介なトラブル・・
本当にそれは、一筋縄ではいかなかった。
前十字じん帯の部分損傷が癒えていなかったこともあって、半月板の断裂剥離した部分が、例えば着地の際などに、ある特定の方向や種類のチカラが掛かることによって簡単に「ズレ」てしまうのだ。
本当に「軽いチカラ」でも、その方向や種類によって、まさに滑るように、「ズルッ」ってな感じで、ヒザの上下の骨(大腿骨と頸骨)がズレてしまうのである。
そのことで、ヒザの内部組織が炎症を起こす。そして、ヒザ全体が腫れたり、「水」が溜まって動かせなくなってしまうのだ。
もっとも厄介だったのは、いつ「ズレ」るか分からないことに対する恐怖心だった。
とにかく、変なチカラが掛かったら、それがいくら小さなモノだったとしても、滑るように「ズレ」てしまうのだよ。また日常生活でも、階段などでのちょっとした不正な動きで「滑ってしまう」ことだってあった。
サッカーでは、ボールと両チーム選手の動きに常に気を配る。だから、ヒザへの「チカラの掛かり方」までも制御するのは難しい。でも怖いから、気になる。
そんなだから、意識が散漫になってプレーが縮こまってしまうのも道理。そして、そのことによる心理的なストレスは、大きな負担になっていった。
■そして結局は手術することになったのだが・・
「まあ、オレに任せてくれよ・・」
あるとき、高校時代の友人から、整形外科の医師を紹介された。ある病院の整形外科部長をやっているということだったけれど、その先生がヒザを診てくれるというのだ。
気は進まなかったけれど、「それじゃ、取り敢えず、検査だけでもお願いできますか・・?」と、彼の病院を訪ねることにした。
そして検査の結果、手術するのが最善の方法ということになったのである。
それは、部分断裂し、剥離している半月板の部位を切除し、ヒザの安定性を取り戻すことを主眼に置いた手術だった。
執刀してくれたのは、その整形外科医の方と、彼の母校からヘルプにきた、ヒザ専門の整形外科の先生。
でもそれは、ヒザを、メスで「大きく開く」外科手術だった。
当時は、そんな外科手術から内視鏡手術への「移行期」に当たっていた時期だった。だから、まあ、仕方ない成りゆきだったとは思うのだが・・。
■福林徹先生・・
その頃の私は、既に、読売サッカークラブで、(ユース監督など)契約コーチとして仕事をはじめていた。
だから、その手術によって、あまり気を遣わずにプレー(コーチ)できるまでにヒザが回復したことを感謝していた。でも・・
そう、ヒザ前十字じん帯の損傷(部分断裂!?)というトラブルが、まだ解決していなかったんだ。
だから、ヒザが十分に安定せず、その後も何度か、ヒザが「ズレ」るアクシデントに見舞われつづけたんだよ。
そうこうしているうちに、トップチームのコーチに「も」就くことになるのだが、そのことで、病院を訪れるための時間と気持ちの余裕をもつことができない。
とにかく、そのときの私は、ダマし、ダマしプレーを(コーチの仕事を)つづけるしかなかったのだ。
そんなときに知り合ったのが、トップチームのチームドクターも務めていた東大の福林徹先生だった。
今では、押しも押されもしない整形外科のトップドクターだし、日本代表のチームドクターや日本サッカー協会のアドバイザーとしても、また、日本のスター選手たちの「個人的なアドバイザー」としても勇名を馳せているから、ご存じの方も多いだろう。
そんな福林徹先生に、ヒザの問題を相談したというわけだ。もちろん彼は、快く引き受けてくれた。
「どうして、最初からオレのところに来なかったんだ・・こんなに大きくヒザを開かれちゃって・・」
最初に私のヒザを診たときの、福林徹先生の第一声だった。彼がヒザを診てくれたのは、たまにゲストドクターとして処置(オペ)室を借りる、都内の病院。
「そんなことを言ったって、あの頃は、まだ先生のことを知る由もなかったんだから・・」
私よりも四つ年上の福林徹先生とは、同郷(神奈川県)というだけではなく、そのパーソナリティー(人格、人間性・・)にシンパシーを感じていた(もちろん敬愛していた!)こともあって、すぐに意気投合した。
そして私は、オペ室で、まな板の鯉になったという次第。
設置されていたのは、新型の内視鏡ユニット。それは、有名な福林先生の意見を聞こうと、メーカーが、テストも兼ねて貸し出した新型の機械だった。
また、そのとき手術室には、メーカーの関係者だけではなく、多くの「見学ドクター」も詰めかけていたっけ。ということは、体のいい人体実験!? あははっ・・。
「そうだな~・・オマエの場合は、切れた前十字じん帯が溶けて無くなっているからな~・・」
えっ!? 前十字じん帯が、溶けて無くなった!?
何度も、ヒザがズレるアクシデントを繰り返しているうちに、部分的に断裂していた前十字じん帯が、治るどころか、逆に完全に切れてしまったらしいのだ。
「もちろん別のところから、じん帯を引っ張ってきて復活させることは可能だけれど、そうなったら、数ヶ月は入院しなければならない・・それじゃ、トップチームの仕事をつづけられなくなるよな・・まあ、今のところは、様子を見ることにしよう・・」
福林徹先生は、そのときの内視鏡手術では、ヒザのなかに残っていた「損傷した半月板のカケラ」を取り除くだけで、それ以上半月板を「イジる」ことはしなかった。
たしかに今でも、サッカーやスキーなどでヒザを酷使すると、翌日に腫れてしまうことはあるけれど、こちらも、前十字じん帯の断裂や半月板損傷との「つき合い方」が上手くなったことで(!?)、状況は、かなり「落ち着いたモノ」になっていった。
まあ、これからも、半分壊れているヒザや、その他の身体の「痛み」などと相談しながら、それらと上手く「つき合って」いくしかない。
■とにかく半月板の損傷というアクシデントは厄介なんだ・・
何か、私の身の上話のようになってしまったけれど、このコラムでは、半月板の損傷が、サッカー選手にはつき物の、とても厄介なトラブルであり、対処を誤ったら、物理的にだけではなく、心理的トラブルに「も」苛まれるということが言いたかった。
ホントに厄介なんだよ・・半月板は・・。
まあ、長谷部誠の場合は、トップエキスパートによる(即刻の手術などの!)適切な診断と、彼らの入念なプログラムによる、術後の効果的なリハビリも功を奏したということなんだろう。
そのリハビリでは、(手術翌日からの!)筋トレなど、物理的なトレーニングは当然として、それ以外にも、不安解消のための心理・精神的なトリートメントも特に大事になってくる。
そう、ステップバイステップで、どんなチカラが掛かっても大丈夫だという確信を深め、「恐怖の滑り感覚」から心理を解放していくのである。
まあ長谷部誠の場合は、そんな、「ヒザ関節がズレる恐怖感」に苛(さいな)まれるようになる前に、手術に踏み切ったということなんだろうけれど・・。
だから、まさにプロフェッショナルな英断だと思ったわけだ。
長谷部誠については、彼が復帰してから、もう一つストーリーを書こうかな。
何せ、移籍したニュールンベルクでは、攻守にわたって、効果的な「汗かきハードワーク」もこなせるゲームメイカーとして抜群の存在感を発揮しているからね。
互いに使い、使われるメカニズムへの深い理解とか、(それに基づいた!?)攻守にわたる全力ダッシュの量と質とか、彼については、本当に様々な視点でのディスカッションが展開できるのだよ。