My Biography(26)_ウルリッヒ(ウリ)・ノイシェーファー(その1)

■いろいろと助けてくれたクリストフ(ダウム)・・

1.FC.Kölnアマチュアチームでのトライアルは、私にとって、ドイツでの最初のチャレンジだった。もちろん、「サッカーでは・・」という但し書きがつくけれど・・。

1.FC.Kölnアマチュアチームの選手たちは、一人ひとりが、前向きに考え、主張しながら、主体的、積極的にポジション争いに取り組んでいた。

そのような姿勢がなければ、ドイツという厳しい競争社会を生き抜くことなど望むべくもない。

「やらされている・・」といった受け身の姿勢などとはまったく違う。そんなヤツらの積極的な自己主張を肌身に感じながら、「ドイツに来た・・」ことを体感しつづけたモノだ。

そんなだから、ミーティングや、クラブレストランでの立ち飲みの場でも、選手の方から、ビーザンツさんのサッカー観に対抗するような意見が出ることもしょっちゅうだった。

チームの最終意志決定者である監督さんと意見を交えるんだからね、日本人の私にとって、とても「新鮮」な出来事だった。

もちろんドイツ語だから、その場では理解できなかったけれど、いつものように、後からクリストフが細かく解説してくれるんだよ。

彼とは、一週間も経たないうちに、親しい友人と呼べる間柄になっていたと思う。彼にしても、私が日本人ということで、かなり興味をもっていたようだ。

そのクリストフが、ミーティングや立ち飲みの場で交わされた、ビーザンツさんと選手との「意見交換」の内容を説明してくれたのである。

選手たちの(自己)主張は、例えば・・

・・自分の特徴は、ボールコントロールが上手いところにあるのだから、自分がボールをもったら、すぐにパスを回せというんじゃなくて、そこで少し時間をか けてボールをキープするような「タメ」も演出させて欲しい(タメ=相手の意識と視線を引きつけるボールキープ≒ボールの動きの停滞≒組織サッカーのスムー ズな流れを阻害する要因!?)・・

・・守備的なハーフだけじゃなく、攻撃的なチャンスメーカーのポジションをやらせて欲しい・・

・・相手のエースに対しては、マンツーマンでマークではなく、ゾーンディフェンス的にマークを受けわたす方がうまくいくと思いますよ・・

・・等など・・

彼らの意見は、自分のプレーに関するモノだけではなく、チーム全体の戦い方についての建設的なモノまで、ほんとうに色々だった。

私は、そんな意見交換の内容を聞きながら、「オイオイッ!・・そりゃ、監督さんの決断がすべてだろ・・オマエは、そこで指示されたことに全力で取り組めばいいんじゃネ~の!?」なんて思ったものだ。

でもクリストフは、そんな選手たちの自己主張に対し、ビーザンツさんが、とても上手く対応していると解説してくれるんだよ。

コーチ(監督)としての自分の仕事の目的や、チームの基本的なコンセプト(発展していくべき戦術的なベクトル方向!?)をベースに、最も大切な、選手に対するモティベーション(やる気の喚起!)という心理マネージメント要素も、しっかりと機能するようにネ。

そんなビーザンツさんの発言のなかでも、特に印象に残っている言葉がある。曰く・・

・・その考え方は、たしかにオレとは違う・・でも、オレは監督だから、判断して決断するのが仕事なんだよ・・それに対して、オマエたちがやるべきコトは、 オレの考え方が自分のそれと違っていたとしても、とにかく最初は、オレの判断と決断にしたがって全力を尽くすことなんだ・・

・・選手が20人いて、それぞれに、エゴも含めて自己主張をはじめたら、チームはどうなると思う?・・

・・監督(コーチ)の仕事は、選手それぞれに異なっている(・・に違いない!?)見方や考え方を、全員が一つのベクトル方向に「まとまる」ようにマネージ(モティベート!)することなんだ・・

・・それでうまくいかなければ、オレ一人が責任を取るということさ・・

・・もちろん、オマエたちを、できるかぎり納得させる努力をするだけじゃくなく、(そのコンセプトに則って!)全員が全力プレーをするようにモティベートすることも、オレの責任なんだよ・・

ビーザンツさんからは、コーチ(監督)としての優れたパーソナリティーとか、全責任を負い、確信をもってチームを一つの方向へ引っ張っていく等など、あるべき、コーチ(監督)としての基本的な姿勢を教わったと思う。

まあ、とはいっても、ビーザンツさんの言葉に、そんな「深い教え」が隠されていたことは、後から、当時を振り返って初めて理解できたのだけれど・・。

そう、その頃は、まだ「そこまで」考えをめぐらせる余裕などなかったんだよ。だから、クリストフの説明に、「ふーん、そんなところまでコーチと選手が議論しているのか、面白いネ・・・」ってなレベルだったのだ。

とにかく、ここでは、1.FC.Kölnアマチュアチームで過ごした三週間では、ビーザンツさんの、優れたパーソナリティーを感じさせる言動や、鋭気あふ れるクリストフの(考えつづける!)姿勢など、私のコーチ人生にとって、かけがえのない体感を積み重ねることができたことが言いたかった。

■F.C.ユンカースドルフと、ドイツの社会スポーツ事情・・

ところで、ビーザンツさんから紹介されたチームだけれど、それは、FCユンカースドルフというクラブだった。下位のリーグに所属する純粋なアマチュアクラブだ。

会長は、ケルン体育大学学長の秘書室長をしていたハンブーシュンさん。

ものすごく人なつっこく、優しい人物だ。どことなくアメリカのイケメン俳優に似ている。あのハリウッドスターは何といったっけ。あっ、そうそう、ジャン=マイケル・ヴィンセントだ・・。

とにかく、彼と最初に会ったとき、その風貌が、ドイツ人とは思えなかったことを鮮明に覚えている。ハンブーシュンさん(人は、短くハンムと呼ぶ・・)とは、今でも連絡を取り合う仲だ。

ハンブーシュンさんとビーザンツさんは、ケルン体育大学のなかでも良き友人同士だったから、FCユンカースドルフが、とりあえず腰を落ちつけるのに適当ではないかと紹介された。

ところで、そのユンカースドルフ。

それは、ケルン郊外の地区の名称であり、その地区を代表するサッカーチームが、FCユンカースドルフというわけだ。

以前、ドイツのスポーツ事情として、戦後からはじまったゴールデンプランについて、ちょっとだけ書いたけれど、実際の有り様についても簡単に触れておこう。

ゴールデンプランが、いかに市民の生活に根付いているのか・・というポイントだ。

FCユンカースドルフだけれど、実際は「総合スポーツクラブ」で、サッカー以外にも、バレーボールとかハンドボール、水泳や陸上競技など、様々なスポーツ活動が行われている。

会員になるのは簡単。入会金を支払って登録し、あとは、月々の会費を納めるだけで、クラブの全てのスポーツに参加できる。

ドイツでは、そんな、地域に根ざしたスポーツクラブが「9万団体以上」存在し、国民の3人に1人は何らかの会員という統計データがあるのだ。

もちろん、それらのスポーツクラブは、地域コミュニティや行政府、はたまた各種競技団体などから、それ相応の援助(補助金)を受けている。フ~~ッ・・。

まあ、そんな社会的スポーツインフラの充実度については、実際に目の当たりにしなければ実感できないだろうけれど、ここでは、ドイツでは、素晴らしい社会福祉システムがしっかりと根付いていること(それも文化!?)も強調しておきたかった。

もちろん、ユンカースドルフ地区には、その他にもいくつかのスポーツクラブ(サッカーチーム)があり、それぞれに独立した活動をしている。

そして、それらのスポーツクラブは、様々な意味で、地域社会の異文化接点(≒人々の交流の場)としても十分な機能を果たしているのである。

そう、生活文化として、確固たる社会的ポジショニングを確立しているのだ。

例えば、週末のゲームには、チーム関係者だけじゃなく、多くの地域住民の方々も応援に駆けつけ、コミュニティーの交流を図ったりする。

そして、ゲームが終わった後には、行きつけの「飲み屋」に集まり、アーでもない、コーでもないってな議論を、侃々諤々(かんかんがくがく)と繰り広げるのだよ。

最初は面食らったけれど、一ヶ月もしたら、サッカーをプレーするだけじゃなく、地域の人々と心から交流することも含め、そんな週末の過ごし方が、自分の生活環境として切っても切れないモノになった。

もちろん、そんな週末の過ごし方が人々を惹きつけるのは、それが、多くの人々にとって「心地よい日常の一部」になっているからに他ならない。

私にとっては、そんな週末の過ごし方も、ある意味で、カルチャーショックだったのかもしれない。

あっと・・。

もちろん、スポーツ以外にも、色々な「趣味のクラブ」だって多いよ。

ドイツでは、一般生活者が、自分の好みに合った活動をチョイスできる多くの可能性が、登録クラブ制度という社会福祉システムによって(!)提供されているのである。

もちろん、自分なりに心地よい散歩を楽しむための「市の森という公共サービス」も含めてネ。

■あっと・・FCユンカースドルフ・・そして、ウリ・・

もちろんチームの雰囲気は、セミプロの、1.FC.Kölnアマチュアチームとはかなり違う。

チームメンバーは、純粋に、楽しむためにサッカーに興じているのだ。

健康のためとか、そんな「カタイ」ものじゃなく、生活の豊かさや楽しみを広げ、深めていくために、リラックスしてサッカーを楽しんでいるのである。

とはいっても、勝つことも大事だ。

相手に、常に押し込まれ、負けつづけたら楽しくない。だからそこにも、チームの約束事(チーム戦術)やレギュラー争いはあるし、それを意志決定する(そして、それなりの報酬を受けている!)監督がいる。

たしかに、その報酬は微々たるモノだ。でもそれには、監督としての仕事が、社会的な価値として認知されている証という意味合いも含まれているのである。

FCユンカースドルフ監督は、ヘルベルト・シャハテンといった。ケルン大学の医学生だ。選手としてもプレーしている彼は、プレーイング・マネージャーということになる。

もちろんヘルベルトも、自分が望むポジションで気持ちよく(そしていつも!)プレーしたい選手たちの(アマチュアであるが故の!?)強烈な自己主張や欲望と、常に対峙しなければならない。

トレーニングや試合の後のミーティングや、クラブ行きつけの飲み屋での立ち飲み会などで繰り広げられる、ヘルベルトと選手とのやりとりが、とてもエキサイティングで面白いのである。

「どうしてオレを使わないんだ? アイツよりもオレの方が実力が上なことは明白なのに・・」

私が最初に参加したトレーニング後のミーティング。

鋭い視線で、ヘルベルトと対峙し、自己主張している選手がいた。もちろんその会話の内容は、FCユンカースドルフ会長のハンブーシュンさんが英語で説明してくれる。

それが、私の生涯の友となる、ウルリッヒ(ウリ)・ノイシェーファーとの出会いだった。

(つづく)