2025_ クラブワールドカップの5(決勝)・・このゲームでは、ボール奪取プロセス(守備)における、特にボールがないところでのアクションの量と質という「隠れ た見所」に「も」、舌つづみを打っていた・・(チェルシーvsバリ・サンジェルマン, 3-0)
この決勝に関しては、もう、チェルシーの、ボール奪取プロセス(守備)をテーマとしてピックするしかないよね。
その守備プロセスの見方には、いろいろあるだろうけれど・・
基本的な「立ち位置の調整」とか、特定の「人」をケアーする「マンマーク意識」の徹底とか・・
でもわたしは、例によって、選手一人ひとりの「主体性プレー」に力点を置いて観察したい。
そうなんだよ・・
今大会のここまでもそうだったけれど・・
チェルシー選手一人ひとりが、仕事(=守備ハードワーク)を、自分から「探しまくっている」ってな、プレー姿勢のコトね。
わたしは、「ポジショニングバランス・オリエンテッド」なんていう表現を使うけれど・・
彼らは、基本的な「立ち位置イメージング」を、基本に、動く。
要は、チームメイトたちとの「ポジショニング・バランス」を、しっかりと意識するっちゅうことね。
そして・・
相手(PSG)の、「タテ打ち込みパス」を、強烈に意識する。
次の仕掛けタテパスが狙うスペース・・ね。
もちろん、その前段階で、中盤のボールホルダー(次のパスレシーバー!?)へのプレスが「巧くいきそう」なら、脇目も振らずに、集中プレスをブチかますけれど・・
まあ、基本は、チームメイトたちとの相互ポジショニング・バランスを、イメージングの起点にしているっちゅうことね。
まあ、そのメカニズム(守備イメージングのプロセス!?)を、事細かに詳述しようとは思わない。
そうではなく、そんなメカニズムを、実効レベル高く「機能させる」選手たちの、意識と意志の高さ(≒主体性)に注目していたっちゅうわけさ。
彼らは、常に「首」を振りながら、次の敵パスレシーバーだけじゃなく、その周りの相手プレイヤーの動き(仕掛けイメージング)にまで、しっかりと、意識を集中させていると感じる。
素晴らしい、組織メカニズムじゃないか。
それこそが、ボール奪取プロセス(守備)における、ボールがないところでのアクションの量と質というファクターの本質なんだよね。
そう・・
イメージング(主体的な予測と、労を惜しまないアクションの積み重ね!?)こそが、命。
そのプロセスで、何らかの具体的な(型にはまった!?)戦術イメージを徹底させることの愚かさ。
わたしは、常日頃、「カタチから入ることの愚かさ・・」を、主張しているんだけれど・・
前述した、基本的なチーム戦術イメージング(ポジショニング・バランスなどの動きの基本マネージメント)は、もちろん、大事。
でも、「そこ」から派生する、局面での最終勝負アクションの内実については、すべてが、選手たちの「主体性」に委ねられる・・
それこそが、不確実な要素が満載のサッカーにおける基本中の基本アイデアなんだよ。
あっと、詳述の領域に入りそうになっている。
とにかく・・
このゲームでチェルシーが魅せつづけた、特に、ボール奪取プロセス(守備)における、ボールがないところでのアクションの量と質の内実を「感じる」のは、楽しいコトこの上なかった。
そのコトが言いたかった。
それにしても・・
両チームの「個の才能」を体感するコトは、自分には出来ない(自分が描くプレーイメージを大きく超越している!)というコトも含めて、まさに畏敬の念が迸(ほとばし)った。
たしかに、それは、観る価値があるし、サッカーの「美しさの源泉」の「一つ」ではある。
でもわたしは・・
そう、スペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)では、ダイレクトパスを織り交ぜた組織コンビネーションや、「組織プレー」と「個の勝負プレー」のバランスなどなどと同様に・・
前述した、ボール奪取プロセス(守備)における、特にボールがないところでのアクションの量と質という「隠れた見所」に「も」、舌つづみを打っていたのさ。
そんなチェルシーの強(したた)かさが・・
PSGの、「個の才能の爆発プレー」、その「連鎖メカニズム」、そして、ソレにチャレンジしていこうとする「意識と意志」を、完璧に、抑制しつづけた。
あ~~、面白かった。