2024_J1_第6節・・チカラの差は、歴然だった・・また、どちらが、日本サッカーの将来にとって、より価値があるかも、明白だったと思う・・(ゼルビアvsサンフレッチェ、1-2)
レビュー 最高テンションのなかでも、微妙な「差異」は感じながらの観戦だった。
ゼルビアの「超絶」徹底サッカーについては、「このコラム」や「あのコラム」をご参照あれ。
またミヒャエル広島サンフレッチェについては、何といっても、素晴らしかった開幕戦コラムを、ご参照あれ。
ところで・・
ゼルビアが、ブチかましつづける、超絶の徹底サッカーだけれど・・
ボール奪取プロセス(守備)では・・
なんといっても、素早い攻守の切り替えからの、忠実なチェイス&チェック(寄せ)とマーキング&カバーリング、もちろん局面デュエルでも、闘う意志の強さを感じさせる。
ただし、スペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)では・・
どうも、「芸」が足りないと感じるんだよ。
彼らが「徹底」しようとしているのは・・
カウンター攻撃、ロングスローも含めたセットプレー、一発タテロング攻撃、そしてクロス攻撃などくらいかな。
もちろん、「つないでスペースを攻略しよう」なんていう発想は、薄い。
そしてゼルビア選手たちは・・
攻守にわたって、自分たちに「与えられたイメージング」を、徹底的に「追求」しつづける。
そりゃ、ツボにはまったら、危険このうえないし、勝負強い。
とはいっても・・
そう、仕掛けの「変化」という視点じゃ、ミヒャエルのところに、一日「以上」の長があるわけだ。
彼らは、しっかりと人とボールを動かせるんだよ。
そんな「協力ワーク」のなかで、選手たちが、主体的に考えながら、次の仕掛けの「イメージング」を、アタマに描き、チームメイトと、明確にシェアしようとするっちゅうわけだ。
そんな、描写イメージングの「着実」なシェアこそが、ミヒャエル・スキッベの「プロコーチとしての確かなウデ」の証明なんだよ。
この、主体性プレーこそが、彼らのスペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)のキモでもある。
だから彼らの場合は、「逃げのパス」なんていう概念は、辞書に、ない。
そのように・・
しっかりと人とボールを動かせるからこそ、パスレシーブの動きも、活性化する。
そして、だからこそ、変化に富んだスペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)をブチかませる。
冒頭で書いた、両チームの、微妙な「差異」だけれど・・
ここまで書いてきて、それは、やっぱり、両チームの「実力差」って表現するのがフェアだって思い直したモノさ。
もちろん・・
黒田剛ゼルビアは、そのサッカーが、超絶に「徹底」しているからこそ、とても危険で、勝負強い。
でも、美しくはないし、魅力的でもない。
要は、進化&深化のリソースには、なり得ない・・っちゅうわけだ。
勝ちゃ、何でも、いいのか!?
わたしは、そうは考えない。
前にも書いたように・・
プロとして、日本サッカーのなかに、進化&深化のための「何らかの糧」を充填できなきゃ(日本サッカーに貢献できなければ!!)いけないと思うわけさ。
えっ!?
俺って、原理主義者!?
うん、そう揶揄されても、いいよ。
でも私は、あくまでも、サッカーの本質的な「社会的価値」を追求していると思っているんだよ。
イレギュラーするボールを足であつかうことで、不確実なファクターあふれるサッカー。
そう、一般の社会が、そうであるようにね。
だからこそサッカーは、21世紀の日本にとっても、ある意味の「イメージリーダー」的な存在になり得るって確信しているんだよ。
そのためにも・・
不確実なシチュエーションを、勇気と強い意志をもって、主体的(!!)に乗り越えていけなくてはならないって考えるのさ。
プロサッカーにとっては・・
そんな「覚悟」こそが、決定的な意義をもっているし、それこそが、21世紀の日本社会に、とても価値のあるポジティブエネルギーを注入するバックボーンなんだと思う。
あっ、スミマセン・・
またまた、語ってしまった。
では、また~~・・