The Core Column(42)_ルーズな競り合い(混戦)がミックスした最終勝負・・そこでこそ、守備でのイメージング&アクション能力が試される
■スーペルコパ・・
「アッ、ボールウォッチャーになった・・これじゃ、やられる・・」
そのとき、思わず声が出た。
2014-15年シーズンのリーガ・エスパニョーラ。その幕開けを告げるスーペルコパ・デ・エスパーニャのワンシーンだ。
前年シーズンのリーガ・エスパニョーラ覇者と、コパ・デル・レイ優勝チームが、ホーム&アウェーで対戦する大会。日本で言うならば、ゼロックス・スーパーカップってなところか。
対戦カードは、アトレティコ・マドリー対レアル・マドリー。
そう、マドリードのダービーマッチ。両チームは、昨シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝でも劇的なドラマを展開した。ちょうど三ヶ月前のことだ。
そんな因縁の対決だったけれど、選手が入れ替わるなど、チーム戦術的なイメージを固める、リーガ開幕直前のゲームだから、両チームともに、「何かを探るように」ゲームに臨んでいた。
そのホーム&アウェーの第2戦(第1戦は、1-1のドロー)。アトレティコのホームスタジアム、ビセンテ・カルデロンが舞台だった。
そしてゲームが立ち上がってすぐに、冒頭の、「アッ・・」という声が出てしまったというわけだ。
■守備イメージが空白になってしまって・・
前半の立ち上がり2分。
それは、バイエルン・ミュンヘンから移籍してきたアトレティコのFWマンジュキッチが、雌雄を決する先制ゴールを叩き込んだシーンだった。
そこには、攻守にわたる様々な戦術エッセンスが詰め込まれていたけれど、なかでも、シュートにつながる危急(最終勝負)シーンにおける、守備のイメージングと実効アクションというテーマに、思考が釘付けにされた。
顛末は、こうだ。
アトレティコ守備から戻されたバックパスを、GKが、そのままダイレクトで最前線へロングパスを送った。
大きな、まさに放り込みといった超ロングキック。もちろん「最初のヘディング」に関われないアトレティコ選手は、例によって忠実に、競り合いからこぼれたボールを狙う。
最初にボールに追いついたのは、レアルのセンターバック、ヴァランだった。もちろんマンジュキッチも、落下点へ急行するけれど、少し遅れたことで、ヴァランが最初にボールの落下点に入ったというわけだ。
ただ、マンジュキッチの寄せ(競り合い)パワーに圧されたヴァランは、前方へはね返すことができず、ボールは、その地点で上空高く上がってしまう。
そのボールの落下点に、最初に入り込んでいったのは、アトレティコの7番グリーズマンだった。
グリーズマンの寄せが早かったのは、(前述のように)アトレティコ選手が、常に「こぼれ球」を狙いつづけているからに他ならない。
それは、忠実なハードワーク(プレーイメージ)を、選手のアタマに深く刻み込んだアトレティコ監督、ディエゴ・シメオネの面目躍如といったシーンだった。
そして次の瞬間。決定的な、「ボールがないところでのドラマ」が展開されるのである。
高く上がったボール。
マンジュキッチだけじゃなく、彼をマークしていたヴァランもまた、次に、アトレティコの7番グリーズマンと、レアルのセルヒオ・ラモスが競り合うことをイメージしていた。
ただ、互角のヘディングの競り合いだから、どこにボールがこぼれるか分からない。そんな「ルーズな競り合い状況」が落とし穴だった。
マンジュキッチをマークすべきだったレアルCBヴァランの最終勝負イメージが「空白気味」になり、マーキングアクションに最高の意志が乗っていかなかったのだ。
そう、ヴァランが、中途半端なボールウォッチャー(様子見)になってしまったのである。
■最後はマンマークしかない・・
もしかしたらヴァランは、ヘディングの競り合いで、センターバックパートナーのセルヒオ・ラモスが、背が大きくないアトレティコのグリーズマンに負けるはずがない・・という先入観に囚われていた(状況を安易に判断した!?)のかもしれない。
その時点でヴァランは、基本的なポジションに素早く入ることで、マンジュキッチをタイトにマークしていなければならなかったのだ。
状況は、まさにシュートにつながる最終勝負という危急シーン。そんな状況で、ヘディングの競り合いの行方をを追う(待つ)なんていう曖昧なプレー姿勢など許されるはずがない。
この瞬間ヴァランは、脇目も振らずに、マンジュキッチに対する「正しい」マーキングポジションへ全力スプリントで急行しなければならなかったのだ。でも・・
そう、ヴァランのマンジュキッチへの寄せの動きには、まさに、「取り敢えず・・」といった勢いしか感じられなかった。そして次の瞬間、グリーズマンが競り勝ってヘディングしたボールが、ヴァランにとって最悪のスペースへ流れていったのである。
そう、満を持してスペースへ動きつづけていたマンジュキッチの眼前に広がる決定的スペースへ転がっていったのだ。
そして、マンジュキッチのスライディングシュートが、レアルゴールの左隅へ吸い込まれていった。
■そういえば、「J」でも、こんなシーンがあった・・
2014年シーズン第22節、アントラーズ対FC東京。
それは、ゲーム終了間際の87分のことだった。
アントラーズの「2-1」というリード。守備が安定しているアントラーズのことだから、誰もが、彼らの逃げ切りを予想していたことだろう。でも・・
そう、FC東京からアギーレ新生日本代表に選ばれた武藤嘉紀が、同点ゴールを叩き込んだのだ。その結果ゲームは、2-2のドローで終了した。
その同点シーンの顛末は、こうだ。
FC東京の右サイドバック徳永悠平からのタテパスを、右のタッチラインゾーンスペースへ全力スプリントで抜け出した中島翔哉が、鋭いヒールキックで、中央のスペースへ送り込んだ。
それが、勝負の瞬間だった。
そのヒールパスは、計ったように、FC東京ストライカー渡辺千真と、彼をマークするアントラーズCB山村一也が競り合うゾーンと、アントラーズGK曽ヶ端準との間の、まさに真ん中のスペースへ転がっていったのだ。
ボールをめぐり、三人のアクションが絡み合うのも当然の成りゆきだった。
そして最後の瞬間。山村一也がスライディングしながら触った(クリアした!?)ボールが、アントラーズゴールから離れるように、ペナルティーエリアのヴァイタルゾーンへこぼれたのである。
アントラーズゴール前で展開されたボールをめぐるギリギリの混戦(ストラグル)。ただ同時に・・
そんな、ボールをめぐる「ストラグル」から少し離れたスポットで、別の、ボールがないところでのドラマが展開されていたのである。
最後に同点ゴールを叩き込むことになるFC東京の若武者、武藤嘉紀と、それまで彼を忠実にマークしつづけていた西大吾とのせめぎ合い。
そんな彼らの眼前で、ゴール前の「ストラグル」が展開されたのだ。
そのとき西大吾は、そのシーンに意識と視線を奪われてしまい、自分の背後にポジショニングしていた武藤嘉紀のアクションをしっかりとイメージ(予想)できていなかった。
そう、西大吾は、その「ストラグル」が、どうなるか分からない不確実な「ルーズ混戦」だったことで(!?)、危急シーンにもかかわらず、「シチュエーション・ウォッチャー」になってしまい、最終勝負のイメージが明確に描けていなかったのである。
それに対して武藤嘉紀は、一瞬のスキ(西大吾の視線が、自分から外れた瞬間!)を突いて爆発スタートを切っていた。
西大吾が気付いたときには既に、武藤嘉紀が右足で放ったシュートが、無人のアントラーズゴールに吸い込まれていった。
■愛する神は細部に宿る・・
今回のコラムで言いたかったこと・・。
どんな守備のチーム戦術であったとしても、最後は「人を見なければ」ならないという大原則の確認。そしてもう一つ。
直接的にシュートにつながるような危急の最終勝負シーンでは、それが、どうなるか分からない「ルーズな競り合い状況」であったとしても、常に、忠実にマンマークの基本ポジションに入らなければならない・・ということだ。
そう、最終勝負の危急ピンチであるにもかかわらず、眼前で、次にどうなるか分からない、「ルーズな競り合いシーン」になってしまった場合・・というのが、ポイントだ。
もちろん、相手攻撃がボールを完全にキープし、それをベースに意図をもったコンビネーションを仕掛けてくるという状況ならば、自分がマークする相手だけじゃなく、スペースケアーやカバーリングまで視野に入れた「予測(読みの)ディフェンス能力」が問われるでしょ。
でも、「そこ」が、次にどうなるか分からない「ルーズな競り合い」だったら事情は違う。
たしかに、そんな状況での攻撃側は、スペースへ抜け出してもいいし、次の状況(ボールのこぼれ方!)を見極めてからアクションを起こしてもいい。
でもディフェンダーは違う。
先が見通せない「ルーズな競り合い状況」になればなるほど、明確なイメージを描いてギリギリの忠実マンマーキングやカバーリングを遂行しなければならないのだ。
「読み能力」を駆使した創造的なインターセプトや、局面でのパワフル&スキルフルな競り合いだけではなく、そんな、目立たないイメージング能力や忠実アクション能力にも、一流ディフェンダーと、そうでない者の差が、明確に現れてくる。
目立たない、細部のシーン。そこにこそ、愛する神が宿っているのである。