Biography(14)__サッカーをはじめた頃のエピソード(その2)
■さて、本格的にサッカーをはじめることになった・・
さて、前回コラムの冒頭でちょっと紹介した、湘南高校入学式で繰り広げられたクラブ活動の勧誘シーンにもどろう。
私は、バレーボール部やバスケットボール部からは何度も声を掛けられた。まあ、背が高かったからだろうけれど、希望するサッカー部から誘われない。ちょっとやる気を殺がれた・・
後から知ったのだけれど、神奈川県立湘南高等学校は、サッカーでも、進学校としても名門ということで、入部してくる有力選手については、ある程度の目処はついていたのだという。
既に、入学式の前には、大体の(主力になることが期待される)メンバーは揃っている。だから、まったくサッカー素人の部員をたくさん募(つの)る必要もなかった。
逆に、素人の部員が増え「過ぎる」のも考えモノ・・という事情があったのかもしれない。
もちろん「それ」は、私の「うがった」見方ではあるけれど、サッカー部勧誘ブースからは、「やる気オーラ」は、まったくといっていいほど放散されていなかった。
あっ・・スミマセン・・
・・本当のところは分からずに、想像で書いてしまっていることをお許しください・・でも・・サ・・明らかに・・なんてネ・・
ということで、仕方なく、自分からサッカー部の勧誘ブースへ近づいていくことにした。
「サッカー部へ入りたいのですが・・」
「エッ・・!?」
受付の女子マネージャーが、頓狂な声を上げた。
その声の調子からもまた、「サッカー部が勧誘に積極的じゃない・・」という印象をより強くした・・っちゅうわけだ。まあ、実際のところは分からないけれど・・
その女子マネージャーは、「じゃ、ここに出身中学校と名前などを記入してね・・」と、入部希望リストを広げる。そこには既に20人以上の名前が記載されていた。
やっぱり、湘南高校といえばサッカーなんだろうな・・
「キミは、サッカーの経験はあるの?」
「はい、中学校で・・まあ半分は遊びですが、サッカーをやっていました・・」
「へ~・・チョウ中(長後中学校のこと)じゃない・・そんな強いところから新入生が来るっていう情報はなかったわよね~・・」と、隣のもう1人の女子マネージャー。
「そうそう、白石クンっていう優秀な生徒はいるけれど、結局その子は、希望ヶ丘高校へ行っちゃったっていうしね・・」
彼女たちは、長後中学校のクラスメイトだった私にサッカーの手ほどきをしてくれた、サッカー部キャプテンでエース格だった白石のことを話している。やっぱりヤツは、有名な選手だったんだ・・
■それでも、サッカーにのめりこんでいった・・
最初の頃の練習は、ボールを蹴ることと止めること「だけ」に集中させられた。
私も含め、サッカー素人の新入部員が30人以上はいたと覚えている。
そんな生徒たちが、ゴール裏のスペースに「押し込め」られ、2人一組で、パスを繰り返すのだ。
それも、サイドキックだけ。
足の内側の、もっとも面積が広いところを使うキックだ。もちろん、それでも、初めのころは、正確に強いパスを出すのは難しかった。
緩いパスならば、うまくいくけれど、先輩や、サッカー経験者たちのように、強く正確なパスを交換するのは、とても難しかった。
悔しい・・
ただ、その気持ちは、ものすごく大事だったし、私には、気が遠くなるほど単調なパス練習でも、モティベーションを高く保てるバックボーンがあった。
その「悔しさ」というバックボーンの背景に、白石からの「教え」という貴重な体感があったのだ。だから、強く正確なパスを出すだけじゃなく、相方の新入部員にも、強いパスを要求した。
私には、具体的な目標イメージがあった。ものすごく大事な、「目指すべき具体的なモノ」があったのだ。
でも、他の素人の新入部員たちは、ただ漫然とバスの「真似事」をするばかり。ちょっと可哀相になったこともあったっけ。
もちろん上級生のコーチはいるし、彼らも教えてはくれるけれど、何といってもコーチングの素人だから、新入生のやる気を喚起するなんてことは、まったく期待できない。
でも私のなかには、目指すべき、具体的なイメージがあった。運動神経には自信があったから、絶対に、最短期間で上手くなってやる・・と意気込んでいたっけ。
もちろんサッカー部の練習だけじゃなく、家へ帰っても、親に買ってもらった安物のボールを、近くの公園で蹴っていた。相手は、もちろんコンクリートの壁だ。
壁から跳ね返る音が大きいから、近所から文句が出ることもあったけれど、でも、「時間を決めてやりますから・・」と、一生懸命にお願いして回ったこともあった。
何かをやりはじめると、徹底しなければ気がすまなかった。
そのときから(・・いや以前から!?)目的を達成するために(自分がやりたいコトを貫くために!?)、必要なことは、親に頼むのではなく、出来る限り自分で解決しようとした・・ことを覚えている。
そんな性格は、長い目で見ればポジティブということだっんだろうな・・たぶん・・
以前、カーラに頼み込みにいったとき、「あんなに心の底から、他人に対して何かを頼み込んだ経験はなかった・・」と書いたけれど、実は、目的を達成するために、自分から他人と「交渉」するという経験は、以外と積んでいたのかもしれない。
そのことについては、母親からも言われたことがある。
「数日前にさ、公園の前に住んでいる民生委員の方が来られたんだけれど、そのとき、アナタを誉めていたよ・・」
「公園でボールを蹴っているんだよね・・そのことは知っていたけれど、ウルサイ音を認めてもらうために、公園のまわりのご近所さんに断りを入れに行ったんだって?・・それも、一軒、一軒・・」
「そうそう、昔からアナタは、やりたいコトや欲しいモノがあったら、できる限りのことをやったわよね・・私たちには思いつかないアイデアもあったね・・それも、普通だったら親に助けてもらおうとするのに、あくまでも自分1人でやろうとするんだよ・・」
■そして、ボールがしっかりと止まりはじめた・・
ボールがしっかりと止まれば、サッカーが楽しくなる・・
それは、白石からの「教え」だった。
彼は、(前回コラムで書いたように!)決して優しいパスを出してはくれなかった。逆に、とても強く、難しいパスばかりを出してきたんだよ。
彼は、よく知っていた。サッカーでは、ボールを止められることが、サッカーを楽しめるかどうかの分水嶺であることを。
ところで、その白石だけれど、彼は成績優秀なクラスメイトでもあった。だから私は、てっきり彼「も」湘南高校へ進学するものとばかり思っていた。でも・・
「いや・・オレは、希望ヶ丘高校を受験することが決まったんだよ・・オレは、ア・テストの成績がオマエほど良くなかったからな・・」
彼は、サッカー部キャプテンだったにしては、決して「前出し」が強い方じゃない。まあ、日本的な意味での「優れたファシリテーター」っていうタイプのキャプテンだったということだ。
そういえば、これも前回コラムで紹介した鵜飼典三先生も、彼のことを深く信頼していたっけ。
「白石は、オレの、グラウンド上に伸びた右腕なんだよ・・」ってね。
それでも白石は、私に対しては、とても「前出し」が強かった。要は、自分の意見を、とても強く主張してきたということだ。
何故なのかはよく分からないけれど、まあ、私のことが嫌いではなかったんだろうね。
だから、サッカーの楽しさを何とか分からせようと、白石の本来の人間的アプローチとは違う接し方をしたということなのかもしれない。
もしかしたらその背景には、私が、男子バレーボールを正式なクラブ活動に格上げさせようとチャレンジをしたことがあったのかもしれない。彼も、私にこんな言い方をしたことがあったっけ。
「オレは、先生たちに反抗して、自分がやりたいコトを貫こうとしたオマエのことが、とても好きになったんだ・・そんなオマエだからこそ、本当の意味でサッ カーの楽しさを分かって欲しかったんだ・・バレーボールをやったことはないから、その楽しさは分からない・・だから、こんな言い方をするのはフェアじゃな いかもしれないけれど、とにかく、バレーボールとサッカーじゃ、スケールが違うと思うんだよ・・」
いまでは、この、「スケールが違う・・」という白石の表現が、体感として、本当に深く理解できる。
でも、当時の白石が、「スケール」という表現を使ったことを思い出しながら、ヤツは「ただ者」じゃなかったんじゃないかとも思えてくる。
いま、その当時のことを思い返すたびに、私がサッカーにのめり込んでいけたのは、白石がいたからこそ・・だと再認識できる。
そんなだったから、白石が湘南高校を受験しないことを知ったときは、本当にガッカリした。
私は、彼と、湘南高校でサッカーをすることを、心の底から楽しみにしていたんだよ。その白石が、唐突に「いなくなってしまった」わけだから・・
思い返せば、そんな、「スパッ」と鋭いナイフで切ったような出会いと別れは、特に若いときには日常茶飯事だった。
まあ、父親の仕事の関係で引っ越しが多かったこともあったわけだけれど、若い頃は、「前」の人間関係を維持することよりも、日々の「新しい」人間関係にのめり込んでいくことの方に集中するのが当たり前だった。
そして、年齢を重ねるにしたがって、「前」の人間関係を維持することには、本当に多くのエネルギーが必要だという事実を認識するようになる。
だからこの頃は、これは・・と思った人との関係は、とにかく大事にするように心がけているんだ。でも当時は・・
残念ながら、それ以降、白石と会うことはなかった。・・というか、彼を探し出すことにエネルギーをつぎ込むことをしなかった・・といった方が正しい。
どんどんと人生ストーリーが書き換えられていくなかで繰り返される一期一会・・
フムフム・・
でも私は、白石からの「教え」は、決して忘れなかった。ボールがしっかりと止まることこそが、もっとも重要なことだ・・ってことをね。
そんな「教え」があったからこそ、湘南高校サッカー部でも、単調なパス練習が、どんどんと楽しいモノになっていった。いや、主体的に、楽しいモノに「していけた」・・と思うのだ。
■鈴木中先生という特異なパーソナリティー・・
鈴木中先生(チュンさん)は、以前のコラムに登場したから覚えている方も多いと思うが、私が高校へ入学した当時でも、神奈川県サッカー界の名士であり、神奈川県サッカー協会だけではなく、高等学校体育連盟(高体連)でも指導的立場にいた。
もちろん、神奈川県のサッカーの方向性を左右する影響力も持ちあわせていた。
そのチュンさんが志向するベクトルは、あくまでもチームワーク主体。そう、インテリジェンスと、積極的に周りと協力する協調マインドが求められるコレクティブな組織サッカーである。
当時の高校サッカーは、個のチカラに頼るサッカーが主流だったんだよ。
下手な選手たちで守備を固め、うまい選手たちで攻める。そんな感じ・・
でも湘南高校は違った。彼らは、あくまでも全員守備、全員攻撃というハイレベルなサッカーを目指していたんだ。
もちろんそこには、選手たちの才能に限界があるという現実もあった。
サッカーの才能と学業を両立させられるような優秀な生徒は、本当に限られていたんだよ。
だからチュンさんは、組織サッカーを徹底させるしかなかった・・とも言える。そして、それが、「湘南高校のサッカー」と呼ばれ、成功を呼び込むんだ。
進学校であるにもかかわらず、あれほど優れた戦績を残した「公立高校」は他にはなかった。とてもハイレベルな組織サッカー・・
ということで、鈴木中先生の存在感がアップするのも自然な成りゆきだった(もちろん東京教育大学という学閥の優位性もあったけれど・・サ・・あははっ・・)。
(つづく)