My Biography(49)_B級ライセンスのコーチングスクール(その2)・・(USA発)・・(2015年5月30日、土曜日)
■そしてB級のコーチングスクールがはじまった・・
「何をやっているんだ!!・・全力でディフェンスに戻らなきゃダメだろ~!・・自分が原因でボールを失ったのに、足を止めてしまうんじゃ無責任じゃないか・・」
コーチングスクールの紅白戦で、そんな罵声を浴びせられた。
いや、たぶん、そんな内容の檄(げき)を飛ばされたはず・・というニュアンスだ。
何せそのときは、ドイツへ留学してから、まだ1年半しか経っていなかったから、すべてのドイツ語がすぐに分かるというわけじゃなかった。
罵声の主は、コーチングスクール座長の、クラウス・ロルゲン先生。
そんな大声を浴びせられた私は、ロルゲン先生の表情や雰囲気で、すぐに骨子が飲み込めたというわけだ。チト、赤面した。
そのとき、絶対にスペースへ通ると確信していたスルーパスが、相手の巧みな「読み」でインターセプトされてしまったのだ。その瞬間、私は、その場に立ち尽くしてしまった。
それがいけなかった。
たぶんロルゲンさんは、ミスパスのショックに、私の頭のなかが真っ白になることを予想していたに違いない。だから、そのタイミングを狙って罵声をブチかましたっちゅうわけだ。
その大声は、もちろん私だけじゃなく、チーム全体に向けたモノだ。
そのときの実技セミナーでは、攻守の切り替えというテーマを、グラウンド上で突き詰めようとしていた。
だからこそロルゲン先生は、私の攻守の切り替えミスに乗じて、その大事さをクラス全体に、強烈な刺激とともに再認識させようとしたのである。
とにかく、このB級コーチングスクールは、すべてが、クラウス・ロルゲンという「ビック・パーソナリティー」を中心に進んでいった。
私は、いまでも、クラウス・ロルゲンさんから、プロコーチとしての「あるべき姿」の原型イメージを授かったと思っている。
■コーチングスクールは、クラウス・ロルゲン先生を中心に回る・・
ドイツサッカー界でもオピニオンリーダーの一人だったクラウス・ロルゲンさんは、後に、ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟の会長にまで上り詰めることになる。
そのドイツサッカーコーチ連盟(BDFL)だが、ドイツサッカー協会(DFB)から完全に独立した組織であることとか(もちろん、国際会議などではドイツ 協会もサポートを惜しまない!)、副会長に現役のブンデスリーガクラブ監督が就くのが慣習になっているなど、ドイツサッカー協会だけじゃなく、プロの現場 も含めて、その影響力は広く、深い。
私も正式の会員なのだが、その全体的な「雰囲気」については、2002年の日韓ワールドカップ後に開催された、ドイツ(プロ)サッカーコーチ連盟が主催する国際会議について書いた「このコラム」を参照していただきたい。
そこでは、まだクラウス・ロルゲンさんが会長だった。また私も、そのときのパネルディスカッションでは、パネラーの1人として、壇上で日韓ワールドカップについて語った。
その、クラウス・ロルゲン先生。
コーチングスクールでは、教室でおこなう理論セミナーと、グラウンドでの実技セミナーを、ロルゲン先生一人が取り仕切っていた。
野太く、よく通る声。その迫力で注意されたら、どんな選手でも、(プロのベテラン選手も多く参加していたけれど・・)瞬間的に背筋がピンと伸びたモノだ。
彼は、そんな抜群の存在感で、完璧にスクールを取り仕切っていた。
たしかに私は、全てのセミナー内容を正確に把握できていたわけじゃないけれど、肝心なトコロは、受講生仲間に助けられながら、戦術ロジカル的にも、感覚的にも、しっかりと「自分のモノ」として定着させられていたと思っている。
まあ、戦術的なテーマについては、(以前書いたように・・)ウリやクラブの友人たち、また1.FC. Köln当時に知り合ったゲロー・ビーザンツさんやクリストフ・ダウムなどとの触れ合いを通して、かなり広く、そして深く、理解が進んでいたとは思う。
だから、ロルゲン先生による戦術的なセミナーの内容も、かなり明確に理解できていた。
それに対して、コーチのパーソナリティーによって内容が大きく左右される、個人やチームに対する心理マネージメントについては、新鮮な「発見」が多かった。
だから、セミナーでの分かりにくいディスカッション内容については、いつも後から、受講生仲間に詳しく教えてもらうことにしていたのだ。
その協力者だけれど、もちろん「日本」というキーワードが「効く」受講生をつかまえる方が、いいに決まっている。
協力してくれた人の名前は、たしかユルゲンだったと思うけれど、彼は、デュイスブルク=エッセン大学の学生で、日本について、とても深い興味を抱いていた。
だからコーチングスクールがはじまってすぐに、彼の方から私に近づいてきたのである。
ということで、私が日本のことを話して聞かせ、彼からは、セミナーの内容を、事細かに教えてもらうことになったのだ。まさに、フェアなギヴ&テイクじゃないか。
とにかくユルゲンは、私にとって、ものすごく重要な存在だった。
彼は、デュイスブルク=エッセン大学で心理学を学んでいるということだったけれど、ロルゲン先生のセミナー内容を、とても正確に理解し、伝えてくれた。例えば・・
・・選手たちには、しっかりと主体的に考えさせなければいけない・・そして、率先して攻守のハードワークに精進していく・・
・・そのためにコーチには忍耐力が求められる・・
・・上手い選手にかぎって、自分勝手なモノだ・・でも、そのエゴイズムを放っておいたら、ディシプリンの枠組みが乱れてしまうし、チームが崩壊の危機に瀕 することだってある・・例えば・・(そこでロルゲン先生は、プロチームでのエピソードを挿入したりする・・彼はハナシが上手い)・・
・・等など。
そんな微妙なニュアンスまで、ユルゲンはしっかりと伝えてくれた。
だから、心理マネージメントのセミナー内容を教えてもらうたびに、ロルゲン先生に対するレスペクトが深まっていったモノだ。
私は、ロルゲン先生から、選手個人や、チーム全体に対する心理的なマネージメントについて、深い教えを授かったと思っているのだ。
いまでも私は、「真のストロング・ハンド」の一人として、クラウス・ロルゲンさんを敬愛している。だから、サッカーコーチ国際会議に参加するたびに旧交を温め、教えを請うたモノだ。
そのクラウス・ロルゲンさんは、2010年に他界した。
■クラウス・ロルゲンというビッグパーソナリティー・・
監督のパーソナリティー。
それは、選手たちの「やる気」を引き出し、それを正しい方向へ「導いて」いける能力だと定義したい。
そのプロセスでは、組織プレー(ハードワーク)というテーマについて、選手のパーソナリティーとぶつかることも多いだろう。
だからこそ私は、監督の本来の仕事は、選手たちのエゴとの闘いだと表現することにしている。
もっと言えば、監督は、「瞬間的」に、選手たちから恨まれたり、憎まれたりすることに耐えられる心理・精神的な「強さ」を持ちあわせていなければならないということだ。
その強さのバックボーンは、もちろん、自身の「自信と確信」。
そう、パーソナリティーが激突したプレイヤー自身が、いつかは、自らの非や、監督の(チームの大きな方向性というニュアンスでの!)正しさを認識するに違いないという自信と確信だ。
もちろん監督が、そのプロセスで、チームの目的にとって、またその選手の発展にとって重要なプレーや態度を「強要」すれば、それまでの努力が、即刻、水泡に帰してしまうことだってある。
だからこそ、監督の仕事の本質は、「強烈な忍耐力」にあると言えるのである。
私は、クラウス・ロルゲンさんのなかに、その「強さ」を感じていた。そして思い返さざるを得なくなっていた。
そう、私がこれまでに関わった、この「強さのエッセンス」を内包していたに違いない、何人もの優れた「日本人コーチ」のことを。
長後(ちょうご)中学校の故鵜飼典三先生、湘南高校のレジェンド、鈴木中先生、そして、ある意味で日本社会の「固い殻」をブチ破りつづけた(元読売サッカークラブ監督も務めた)故相川亮一さん等など。
あっと、クラウス・ロルゲンさん。
彼は、パーソナリティーの重要さだけではなく、監督と選手のパーソナリティーが「ぶつかり合う状況」という、チームマネージメントにとっての「効果的チャンス」を、セミナーやグラウンドでのトレーニングを通して、参加者に、実際に「体感」させようとした。
たまに彼は、参加者たちの「怒り」までも挑発しようとしたのである。
もちろん「そんなスクールマネージメント」には、多大なエネルギーを要する。
彼は、プロのインストラクターだし、そこは公式のコーチングスクールなのである。ロルゲンさんは、「そこ」まで、入り込んでいく必要はなかったはずだ。
でも彼は、実際に、リスクへチャレンジしていった。
(つづく)