My Biography(11)__ケルンの初日・・そして湯浅さんのこと
■ドイツでの留学生活はバーンホフホテルから始まった・・
次の日の朝。
ホテルの窓からは、ケルン中央駅前のロータリーが一望だ。自動車がひっきりなしに行き来している。うるさいはずだ。
冬の寒さから守る(経済性を追求する!?)ための二重窓。でも、クルマの音は、もれ伝わってくる。まあ、仕方ない。
裏手の静かな部屋もあったはずだけれど、私にあてがわれたのは、正面のロータリー側だった。
よく分からないけれど、「日本人は(東洋人は!?)文句を言わないだろう・・」と比較的ウルサイ部屋を割りふられたならば、ちょっと抵抗があるな~・・なんてことを思っていた。
とはいっても、部屋を変えて欲しいと交渉することなんて、昨夜の状況を考えれば、あり得なかった。でも、泣き寝入りっていうのも悔しいな~~・・
ところで、ロータリーを走っているクルマ。
そこでは、クリーム色のメルセデス(ベンツ)が目立つ。そう、ドイツのタクシーは、当時はクリーム色のメルセデスがほとんどだったんだよ。
タクシー以外にも、朝方ということで(!?)、一般車両や営業のクルマも多かった。そのなかでも、ひときわ目立っていたのが「クリーム色」だったというわけだ。
たしかにカラーリングを統一したら、タクシーを識別しやすくなるけれど、それでも統一カラーっちゅうのも、あまりにも退屈だな~・・
あてがわれた部屋へのちょっとした不満や、窓の外の光景も含めて、自分の中の繊細に揺れる「心の動き」に聞き耳を立てていたっけ。
■伝統のニオイがプンプンとしていた朝食バイキング・・
さて今日からだ・・でもまず腹ごしらえ・・何せ、昨日の昼から何も食べていなかったんだから・・
ホテル代には朝食も含まれているはずだ。私は、そそくさとスポーツウェアの上下に着替えて階下に下りていった。レストランは1階のはずだ。
あった、あった。
入り口は、古風な木製のドア。重厚だ。そのドアだけではなく、例によってバイキング形式の朝食でも、そこに並べられた様々な食材に、その背後にある伝統を感じていた。
コーヒーと様々な種類のお茶。
絞りたての各種ジュースやヨーグルト。
スクランブルや目玉焼きといった卵料理。
様々な種類のハム、ソーセージ。
もちろん多くの種類のチーズも用意されている。
私は手を付けなかったけれど、焼ソーセージ(ブラートヴルスト)やパリパリに揚げられたベーコンも、蝋燭(ろうそく)で保温されているスチール容器に入れられている。
そんな朝食は、レストランを取り仕切るシェフに代々受け継がれてきた「伝統」なんだろう。
・・いいね・・ドイツの伝統・・
そして、これまた伝統的な、様々な種類のブロッチェン。ドイツ独特の、食卓パンだ。
小さなサイズに焼き上げられた硬いパン。カタチは、球形を少し引き延ばした典型的なモノから、フランスのバゲットのような細長いヤツ、平べったく丸いカタチ等など、また、ゴマや様々な種子など、中身や表面にミックスされる材料についても、地方によって千差万別だ。
私は、小さなサイズで、表面を硬く焼き上げた食卓パン・・なんていうふうに表現するけれど、それぞれの種類に、それぞれの呼称が決まっているのも、たしかにドイツ的ではあるよね。
ブロッチェンだけれど、パンの総称である「ブロート」に対して、その語尾に、「小さな・・」というニュアンスを含む「chen」を付けた言葉だ。
まあ、ドイツのパンについては、あまり造詣が深いわけじゃないから、「語る」のはここまでにしようっと。ボロが出るからね。
とにかく、そのブロッチェンを半分に切り、その間に、タマゴリやハム、チーズ、また生野菜などをはさんで、ツブガラシや塩、コショーなどで「味付け」してほおばるのだ。
あっと・・、生の牛挽肉に、卵黄、ニンニク、タマネギなどを混ぜた「ツヴィーベル・メット・ヴルスト」もあったっけ。
日本でいう「ターター・ステーキ」と同じようなモノだけれど、私は、それをブロッチェンにはさみ、塩コショーで味付けしてほおばるのが好きだ。今でも、ドイツに行くたびに、「ツヴィーベル・メット・ヴルスト」は朝食に欠かせない。
私は、ドイツ料理のなかで最高に美味しいのが、「ドイツの朝食」だと言ってはばからない。
とにかく、ドイツの「フリューシュトゥック(ブレックファースト)」は、世界最高だと思っているである。
このステーションホテルだけれど、とても保守的な感じだと書いた。でもそれは、良い伝統を継承した特色のある魅力・・とも言い換えられるよね。
私は、レストランの重厚なドアと、バイキング形式の朝食には心から満足し、とてもハッピーな満足感に包まれていた。現金なモノだ・・
でも、人間にとって、やっぱり「食」は、とても大事な要素だからネ。そのことは、ドイツでの日常がスタートしてから、イヤと言うほど再認識させられることになるんだ。
■湯浅さん宅へ・・
まず、部屋の電話から、大学時代の同期生だった望月から紹介された同姓の湯浅さんの自宅に電話を入れることにした。
初日のことだから、大学の入学手続きやアパート探しなど、様々なアドヴァイスをもらいたい。とにかく、ちょっと落ちこんでいたこともあって、湯浅さんが、「元気」を取り戻すための大きな希望だったんだ。
電話だけれど、ホテルからは、「ゼロ発信」で直接外線へつながるし、いくら話しても、コインの心配をする必要はないから、リラックスして会話ができるはずだ。
もし公衆電話から湯浅さんに電話することにでもなったら、そりゃ、十分なコインを用意しなければならないとか、余裕をもって話せなかったに違いない。
心理・精神的な余裕は、とても大事な成功ファクターだと思う。
想像性や創造性だけれど、十分に余裕があるときと、そうでないときでは、そこに、まさに雲泥の差が生じてしまうと思うのだ。
このコラムを書いているときも、そうだった
発想やイメージの「広がり」というか、余裕があって調子がいいときは、書いていて、楽しいこと、この上ない。
でも逆の場合は、苦しいだけの作業になってしまう。それじゃ、読んで楽しいモノなど書けるはずがない。
そんなときは、単純に、書くのを止めるのが一番。それもまた、様々な体感を積み重ねることによって掴んだ「想像力&創造力ノウハウ」の一つだった。
あっと、電話・・
とにかく余裕をもって電話したい・・
そのことが、最初の夜は、協同部屋のユースホステルなどではなく、電話やユニットバスなど、生活に最低限必要なモノが、「自分だけ」の部屋にパッケージとして揃っているホテルするべきだ・・と思った背景にあった。
「ヤ~・・ユアサ・・!?」
電話口で、男性の声が響いた。湯浅さんに違いない。
「わたし・・武蔵工業大学で一緒だった望月から紹介された湯浅といいますが・・」
「あ~・・聞いてますよ・・いま、どちらですか?」
「えっ・・もうケルンにいるんですか?・・あ~、バーンホフホテルね・・それでは、最初ウチに来てもらうのがいいよね・・でも、中央駅からシュトラッセンバーン(路面電車)を使ってウチへ来るのは、乗り換えがあるから難しいネ・・どうしようか・・」
「えっ・・いまから、伺っていいんですか?・・それじゃ、タクシーを拾います・・窓からはタクシーの列が見えていますし・・タクシーだと、どのくらいですか?」
「そうだな~・・15マルクくらいじゃないかな・・あっと、お金のことでしょ??・・私も経験があるから、どのくらい?と聞かれたら、すぐに金額のことだと思ってしまうんですよ・・えっ・・やっぱり、お金のことを聞いたんですね・・良かった・・」
「・・じゃあ、タクシーでいらしてください・・ウチで待っていますから・・住所はもらっているでしょ・・それをタクシーの運転手に見せれば大丈夫だね・・」
湯浅さんの低い声は、とても落ち着いているし、声自体が、とても張りがあって澄んでいる。あっ・・そうか・・彼は声楽家だったんだっけ・・
ということで、駅前のロータリーから、メルセデス(ベンツ)のタクシーを拾い、湯浅さんのお宅へ向かうことになった。
行き先については、「プリーズ・・」と見せた住所で、まったく問題なかった。
こんな高級車がタクシーに使われているんだ~・・
革張りのシートに身を委ねながら、感慨深く、気持ちよい乗り心地を噛みしめていた。
実際に乗ってみたことで、傍(はた)で見ていたときの感覚とは違う何かが「上書きされた」と感じたのだ。
上書きといえば・・
タクシー運転手の方のドライブは、とても上手かった。私もプロドラバーの端くれだから、運転のウデについては、ある程度は評価できると自負している。
サスガに、クルマの(量産乗用車の!?)母国。ハンドル操作だけじゃなく、シフティングやクラッチ操作、はたまた周りのクルマとのコミュニケーションなど、本当に素晴らしい。
下手な人の運転ほどフラストレーションが溜まることはないのだけれど、このドライバーの方の運転には、まったくといっていいほど違和感がない・・というか、快適なことこの上ない。
サスガに、ドイツだ・・
どんなコトにも、やたらと感動していたことを思い出す。やはり、気が昂ぶっていたんだな・・
■湯浅さん・・
20分ほどで、湯浅さんが住んでいるアパート(日本流で言うなら、やはりマンションと呼ぶのが正しいかも・・)へ到着した。とても快適な20分間だった。
そこは、4階建ての、典型的なドイツの集合住宅。さて・・
湯浅さんに言われたとおり、玄関横のカベに設置されている名札を見て、呼び鈴を押す。
でも、反応がない。スピーカーからも応答がない。おかしいな~・・と、もう一度呼び鈴を押す。でも、反応らしきモノを確認できない。さて~~・・
仕方なく、三度目の呼び鈴を押した。そのときはじめて、呼び鈴に着いているスピーカーから返事があった。
「湯浅さん!?・・こちらは、ドアを開けるボタンを押しているから、そのまま入り口のドアを押せば、入れますよ・・」
奥さんとおぼしき女性の声が、インターフォンから聞こえた。
あっ・・そうか・・そうだった・・ドアのロックは、中からのボタン操作で解除されるんだった・・
・・たしかに、「ブ~~・・」という小さな音が、ドアロックの中から聞こえているじゃないか・・
その、ドアのロックを解除する音が小さかったから気づかなかったんだ。訪問者がドアを開けるメカニズムをちゃんと理解していれば、まったく問題なくドアを開けられただろうに・・
またまた、失敗。例によって、変なプライドのせいか、ちょっと落ちむなんていう体たらくだった。
でも、まあ、そんな小さなコトにこだわって落ちこんでいる余裕などない・・と、「スミマセンでした・・」と言いながら、ドアを押して中へ入っていったことを、今でも、鮮明に思い出す。
そうそう・・
それからも、変な(次元の低い!?)プライドによって「小さなコト」にこだわり、そのことが原因で落ちこんでしまうなんていう「後ろ向きの経験」を積み重ねたんだよ。
でも、その経験によって、徐々に自分が「素直に解放」されていったと自覚できたんだっけ。
フムフム・・
ところで湯浅さんのファミリー。ご夫妻に、女の子が一人。三人の家族構成だ。
湯浅さんは、声楽家ということで、恰幅(かっぷく)がいい。それに対して、同じ音楽家で、ある楽器のエキスパートという奥さんは(スミマセン・・どの楽器だったか忘れた・・)、小柄でスマートな方だった。
アパートは、日本でいうならば、2LDKという間取りだろうか。これでは、私が泊めてもらえるスペースはない。まず、そんなコトを考えた自分が、ちょっと恥ずかしかった。
ということで、湯浅さん・・
「そうですか・・サッカーですか・・私も、ケルンに、何人かサッカーの勉強にきている方たちを知っていますよ・・日本人会とか、ケルンに住む日本人が集まるパーティーもありますからね・・そこで知り合うことがあるんですよ・・」
あくまでも、落ち着いたバリトン。
湯浅さんは、既に3年以上、ケルンの国立音楽大学で勉強しているという。
音楽の世界は特殊だ。国立ケルン音楽大学の教授のどなたかに「師事」しなければ(招聘されなければ!?)学籍をもらえない。
湯浅さんも、師事している教授の声楽家の方がいると言っていた。ただ、それ以上は詳しく話してもらえなかった。
湯浅さんは、声楽以外にも専門分野があった。尺八だ。もちろんプロの腕前。
湯浅さんは、声楽よりも、その尺八の方が有名らしい。ドイツでも、既に多くのコンサートを開いたと言っていた。
「もちろん、大がかりなコンサートじゃないよ・・ケルンには、日本文化会館という公共の施設があるんだけれど、その小さなホールを借りたり、ドイツの友人 たちとジョイントコンサートを開いたり・・モダンな音楽や西洋の楽器と尺八のコラボレーションとかね・・まあ、ドイツじゃ、尺八をメイン教科にはできない けれど、様々なチャレンジには積極的だよね・・とても実践的というかサ・・だから逆に面白い・・」
湯浅さんが「実践的」と言ったのは、ドイツでの芸術分野には、さまざまなことに積極的にチャレンジできる環境が揃っている・・ということなのだろう。
そういえば、「音楽の本質(存在意義とか目指すところとか)とは何なのか・・」なんていう哲学的なディスカッションにも、何度も遭遇したっけ。
でも、まあ、私にとっては、「好きかどうか・・」が、唯一の評価基準だけれどネ。
ちなみに、湯浅さんの尺八と、西洋インストルメントによる、とてもモダンなジャズセッションを聞きに行ったことがある。
とても、良かった。すぐに、これは好きだ・・と思った。もちろん全部ではなく、半分くらいの曲についてだけれど・・
尺八のことを話すとき、湯浅さんの目は、これ以上ないほど輝いていた。
彼は、本当は、「そちら」をメインにしたいのかもしれない。
ドイツにおいて、モダンな音楽(伝統的な西洋の楽器)と尺八をコラボレートさせることで、新しい音楽の波(分野)を創造していく・・
湯浅さんは、そのことの方に、より大きな魅力を感じているに違いない。
・・誰でも、自分の好きなこと・・自分の存在感をもっとも強く表現できること・・そして、それで人々に認められ、レスペクトされること・・を、望んでいるモノなんだよな~・・
オレもそうさ。もちろんサッカーでネ・・
私は、湯浅さんとの会話を通して、自分の人生に思いを馳せていた。
注:日本時間で昨日の朝方、フランクフルトに到着・・今は、日本時間の13日、水曜日の朝方のホテル・・ということで、誤字、脱字、おかしな言い回しなど、ご容赦・・