My Biography(35)_ベアーテというパーソナリティー・・そしてウリ
■逞しいベアーテ(その2)・・
「このアナウンス・・どこかで聞いた声だ・・あっ、これって、ベアーテなんじゃないか・・」
その、ソプラノ・ヴォイスを聞いたとき、すぐに、ベアーテの顔が脳裏に浮かんだ。
長距離列車のなかに響く、ドイツ語、英語、そしてフランス語の車内放送。
・・なんで、ベアーテが、こんなところでアナウンスしているんだ!?・・
心のなかで、そんな頓狂な声を出していた。
・・別人なのか!?・・それにしても、声がベアーテにそっくりだ・・ちょっと見にいってこよう・・
いったいどんな女性が、こんなキレイな(ベアーテそっくりの!)ソプラノ・ヴォイスの持ち主なんだろう・・。そんな興味もあった。でも、ホントにベアーテだったら・・。
実は、そのときは「まだ」、ベアーテが、どんなアルバイトをしているのか、知らなかったのだよ。まあ、彼女が、ヘルムート&ベアーテファミリーの家計を支えていることは聞いていたけれど。
私は、列車の後方へ向かった。そこに、車掌など、列車関係者の控え室があると思ったのだ。
どんどん列車の後方へ歩いていく。
当時のドイツの電車は、すべてが「コンパートメント形式」だった。
要は、左右どちらかに通路があり、その通路の反対側に、6人の乗客が向かい合って座るコンパートメントがレイアウトされているっちゅうわけだ。
私は、その通路を、後方へ向かって歩いていった。途中、何人もの(もちろん見ず知らずの!)乗客と目が合い、挨拶を交わす。
「グーテンモルゲン・・」、「ヴィー・ゲーツ?」、「ヤー・・」、「ダンケ・・」、「グート・・」などなど。
儀礼的な挨拶。それについて、ある人が、こんなコトを言った。
「ドイツ(欧米)じゃ、自分が敵ではないことを相手に知らせるために、目が合ったら、すぐに笑顔を見せて挨拶しなきゃダメだよ・・」
まあ、それは、誇張に過ぎるとは思うけれど、それでも、ドイツに来て数週間も経ったら、そんな「軽い挨拶」でも、自然に交わせるようになった。
そういえば、それをキッカケに、人と知り合えたこともあったっけ。
日本じゃ、他人を見つめるのは失礼に当たるから、視線が合っても、すぐに目を逸らすでしょ。でも、そのとき、ニコッとして軽く挨拶したら、それだけで互いに気持ちよくなるし、もしかしたらコミュニケーションが始まるかもしれない。
とにかく、そんなところ(他人との軽い感性の触れ合い!?)にも、微妙な文化の違いを感じていたということが言いたかった。
でも、軽く挨拶し合うことを、「自分が敵ではないことを知らせるため・・」とは思わなかったけれどネ・・あははっ。
■あっ・・ホントにベアーテだ・・
「ベアーテ・・いったい何やっているの?・・ビックリしたよ・・でも、ホントに、ベアーテだったんだ・・声ですぐに分かったよ・・」
「あら~~、ケンジ~・・乗っていたんだ~・・あっ、マイクのスイッチを切らなくっちゃ・・」
そのとき、ベアーテの声が、車内に響きわたっていたに違いない。ホントに、何をやっているんだか・・。
ベアーテは、1人で、一つのコンパートメントを独占していた。その前には、いくつもの大きなボックス装置がレイアウトされている。一つは、車内アナウンス用の機械だということは分かったけれど、それ以外にも、いくつもの大柄な機械が置かれていたっけ。
「あっ・・これネ・・私も、よく分からないんだよ・・まあ、私の仕事は、車内アナウンスとか、困っている外国人旅客をヘルプするとか、そんなことだからサ・・」
そこから、ベアーテと、ハナシが弾むこと、弾むこと。
とにかく、彼女の(ドイツ的じゃない!?)明るい雰囲気が、大好きだったんだ。
「そうよね~・・私も、ドイツの堅い雰囲気が好きじゃなかったのよ・・そのこともあって、若い頃に、フランス人の恋人と、パリで生活しはじめんたんだよ・・まあ、ドイツが嫌だったことも、少しはあったんだろうね・・」
「でもサ・・ケンジも分かっているかもしれないけれど、フランスの男って、ちょっといい加減なヤツが多いじゃない(たぶん浮気性!?)・・だから、パリでの同棲生活は、まあ、3年くらいでダメになったんだ・・パリに住みはじめた頃は、まだ10代だったよね・・」
ベアーテは、あくまでも明るく、過去の暗い(!?)思い出を語りつづけるんだよ。
「それでサ・・結婚するなら、やっぱりドイツ人かな~・・なんて思いはじめた頃に・・あっと、そのときは、もちろんドイツに帰ってきていたよ・・そこで、ヘルムートと出会ったというわけなのよ・・」
「ところでケンジは、サッカーの勉強のためにドイツに来たんだって!?・・そうよネ~・・ドイツは世界チャンピオンだし(1974年ドイツワールドカップ で優勝!)、論理的なドイツ人のことだから、コーチの養成システムでも優れているに違いないしね・・ドイツ人は、組織作りとか、運営とかでは世界一だから ね・・あっと・・そのことについちゃ、日本が世界一か・・」
他愛もない会話なんだけれど、弾む、弾む。ベアーテは、ホントに、コミュニケーションにかけちゃ、世界一だね。
私は、ドイツにも、こんなタイプの女性がいることを知り、正直、ホッとしたことを覚えている。
何せ、それまでは、眉根にシワ寄せるような(シリアスな!?)女性ばかりだったから・・。
あっと、フランクフルトからケルンへ向かう電車のなかで知り合ったウシがいたっけ。
ところで、彼女と知り合ったキッカケも、互いの目が合ったことだった。私は、すぐに視線を逸らしたけれど、彼女から話し掛けてきたんだよ。
そのウシだけれど、(後から考えてみたら!)典型的なドイツ人女性じゃなかったという印象が残っている。でもサ、彼女にしたって、明るさじゃ、ベアーテの足許にも及ばないよな。
それに、ベアーテが、ドイツ離れした(!?)スタイルの良さと美形ということもあって(!?)、会話を心から楽しめていたんだ。
いや、会話が楽しめていた本当の背景理由は、ベアーテが、相手の立場に立ってコミュニケートできるということだったんだよな。
そう思いやり。彼女は、私のドイツ語でも、忍耐づよく聞いてくれたんだ。もちろん、たまに、英語をミックスさせたりしてね。
前にも書いたと思うけれど、ベアーテは、言語の才能にあふれた女性なんだよ。母国語はもちろんのこと、ほぼパーフェクトに、英語とフランス語もあやつる。
とにかく私は、ベアーテとは気が合った。
彼女は、大勢の友人たちとダベっているとき、私のドイツ語の足りないところを補ってくれることもあった。「いまケンジは、こんなコトを言おうとしていたんだよ・・」とかサ。
そのことについては、ウリにもお世話になったっけ。
よくいるんだよ、私のドイツ語のミスを、会話のなかで揚げ足を取るように「利用」しようとするヤツらが。そんなとき、ウリが、こんな風に、私のことを援護してくれるんだ。
「オマエさ~・・そりゃ、汚いぜ・・ケンジのドイツ語の間違いを、うまく利用しやがって・・ケンジが言わんとしていたことは、オマエだって、よく分かって いるはずじゃないか・・それよりも、さっきのオマエの発言こそ、おかしいんじゃないか・・だからケンジが、そのことについて意見しようとしたんだよ・・」
そのウリとベアーテは、もう何度か書いたように、30年近く経ったいまでも、とても大切な友人たちだ。
■週末のゲームでも、ベアーテのパーソナリティーが炸裂する・・
「行け~~っ!!・・何やってんのよ~・・もっと頑張りなよ~!!」
週末のユンカースドルフのリーグ戦には、ベアーテも欠かさず応援にきていた。
ヘルムートが出場するかどうかには関係なくだ。そして、例によっての「明るい声援」をブチかましてくれる。彼女も、それを心から楽しんでいたんだよな。
ユンカースドルフに参加してから、数ヶ月は経ったころのことだ。そのときは既に、外国人学生が受けなければならないドイツ語試験に合格し、ケルン体育大学の入学手続きも終わっていた。
ということで、そのときの私は、ケルン総合大学とケルン体育大学から発行された二つの学生証をもっていた。ちょっと誇らしい気持ちだった。
あっと・・試合。
1977年の2月に、ドイツ語試験に合格したから、その年の3月ころのコトだったろうか。
ウリも、無事にレギュラーメンバーに定着していたけれど、私は、まだ、出たり出なかったりを繰り返していたっけ。
そんなある日のゲームでの出来事。そのときは、私も出場していた。
そのとき、私の目の前で、ウリが、とても汚いファールを受けてブッ倒されたんだよ。
ファールをしたのは、多分トルコ人。
その直前に、ウリのクレバーなディフェンスでボールを奪われたヤツだ。その腹いせに、後ろからウリの足をかっさらってブッ倒したんだ。
誰もが、怒り心頭に発するのも当然だった。
「何をするんだ・・」、「オマエ、そんに汚いファールは止めろよ・・」等など。
要は、雰囲気が、一触即発ってな感じになったんだよ。私も、そのファールが、あまりにもダーティーだったし、やられたのがウリだったから、ちょっと興奮してしまった。
そのトルコ人選手は、私が近づいていったとき、表情が引きつったっけ。
1メートル90センチの、アジアの大男が寄っていったんだから、そりゃ、ちょっとビビるでしょ。何せ、ジュードーにしてもカラテにしても、またテコンドーだって、ヨーロッパじゃ、とても有名な、マーシャルアーツだったわけだから。
でも、ビビッたのは、彼だけじゃなかった。チームメイトの何人かが、そのトルコ人選手に迫ろうとしていた私を、抑え込むように止めたんだよ。
もちろん、私は、暴力を振るおうなんて思ってもみなかったよ。単に、文句を言おうと、迫っていっただけだったんだ。でも・・
「ケンジは、やっぱり凄い迫力だよね・・アンタは大柄だし、ブルース・リーが、とても有名だからね・・(ウリにファールを喰らわせた)彼も、ものすごくビビッていたじゃない・・」なんて、後でベアーテが言っていたっけ。
「いや、オレは、暴力を振るおうとなんてしていなかったよ・・ただ、ちょっと文句を言いたかっただけなんだ・・それは、ベアーテも同じだったろ?」
「そりゃ、そうだろうけれど、とにかく、アンタみたいな、アジアの大男に迫られたら、誰だってビビッちゃうじゃないの・・」
そうか~・・。
それからというもの、何かコトがあるたびに、こんな冗談を飛ばすようになったんだよ。
「Möchtest Du von mir Karate haben?」
変なドイツ語だったけれど、私が言えば、とても迫力があった(はずだ)。
そのニュアンスは、こんな感じ・・
・・オマエ・・オレのカラテを見舞われたいのか~!?・・
■でも、ウリの反応は、とても冷静だった・・
「オイッ、ケンジ!・・オマエは、下がってろよ・・」
ウリが、チームメイトと一緒になって、私を静止した。そして、そのトルコ人(!?)選手に向かって、こんなことを語りかけたんだよ。
「オレ達がやっているのはサッカーだよな・・ルールがあるし、それを守らなくちゃ、お互い楽しめない・・オマエは、良い選手だよ・・でも、あのファールは いただけない・・オマエだって、それをやらかした時、大変なコトをしてしまったって思ったんじゃないか・・幸いなことに、オレはケガは免れたよ・・もう、 あんな汚いファールはしないよな・・」
ウリは、自分がファールされたにもかかわらず、あくまでも冷静に話し掛けた。
もちろん、その場でウリがしゃべったこと全部が分かっていたわけじゃない。例によって、後からウリが説明してくれたんだよ。
「でも、ウリは、本当はアタマにきていたんだろ?」
「そりゃ、そうさ・・でも、オマエが血相を変えて迫っていったから、逆に、冷静になれたっていうこともあるよな・・また、オレは、東ドイツの文化で育ったから、感情を表に出すことが苦手なのかもしれない・・とにかく、アチラには自由がないからな・・」
「エッ!?・・あっ、そうか・・ウリは、東から逃げてきたんだよな・・ところで、どうやって・・」
「聞きたい?」
そう言ってから、ウリは、自分の逃避行を、静かに話しはじめた。
時は、そのときの3年前、1974年にさかのぼる。
(つづく)