The Core Column(35)_守備のエッセンス・・ アンティシペーション(≒想像力)・・そして、フランコ・バレージ
■バレージが魅せたスーパーカバーリング・・
オ~~ッ!!
そのとき、息を呑み、そして驚嘆の声が出た。
1994年アメリカワールドカップ決勝。イタリア対ブラジルのワンシーン。
イタリア守備ブロックの至宝、フランコ・バレージが、ブラジルの絶対的チャンスを、身を挺(てい)して防いだのだ。
その顛末は、こうだ。
ブラジルの中盤で気を吐くマジーニョが、アルベルティーニとドナドーニの間をドリブルですり抜け、そのままイタリアゴールへ迫ろうとしていた。
その前に立ちはだかったのが、フランコ・バレージ。
もちろんマジーニョは、バレージと勝負することだけは避けたかったに違いない、次の瞬間、スパッと、左へ「カット」し、中央へ切れ込んでいった。
イタリアのゴール正面を、ペナルティーエリアの外枠に沿って(バレージから見て)左から右へドリブルするマジーニョ。
その眼前には、バレージの良きパートナーであるマルディーニがマークする(ブラジルのストライカー)ベベトがいる。そして、その後方には・・。
そう、まったくフリーのロマーリオが、「漁夫の利」シュートをブチかまそうと、虎視眈々と待ち構えていたのだ。
ロマーリオは、横へドリブルするマジーニョが、ベベトを「飛び越え」、その背後にある(自分が狙っている!)決定的スペースへ、ラスト横パスを出すと確信していた。
でもそこには、もう1人、そんなロマーリオの確信イメージを「感じ取って」いるプレイヤーがいた。
そう、フランコ・バレージ。
彼には見えていた。ドリブルするマジーニョが、ロマーリオの前に空いた決定的スペースへラスト横パスを出す(未来の!)シーンが見えていたのだ。
素晴らしいアンティシペーション(予想)能力。そう、想像力。
バレージは、そのラスト横パスが出される瞬間・・、いや、そのラスト横パスが出される直前のタイミングで、「シフトダウン」してフル加速し、その最終勝負スポットへ急行したのだ。
ベベトと、(マルディーニからベベトのマークを受け渡された!)イタリア右サイドバック、ムッシの「背後を通り抜け」ていくバレージ。
そして最後の瞬間、身体を投げ出し、見事に、ロマーリオのダイレクトシュートをブロックしたのだった。
最初に、マジーニョの前に立ちはだかってから、最終勝負スポットまで移動した距離は10メートルくらいだったろうか。
その間バレージは、仲間のマルディーニとムッシ、ブラジルのベベト、そしてもちろん、ラスト横パスを出したマジーニョという4人のプレイヤーを追い越していた。
それは、自軍ゴール前を横切る、全力ダッシュのスーパーカバーリングだった。
もちろんバレージは、右サイドバックのムッシが、ベベトとマジーニョにばかりに気を取られ、自分の背後にある(ロマーリオが狙う!)決定的スペースが最終勝負スポットになることなどまったくイメージできていないことを、百も承知だった。
だからこそ、「エイヤッ!!」という意志のパワーで、最終勝負スポットへ飛び込んでいったのだ。
それは、いまでもヨーロッパエキスパートの間で語り継がれている「伝説的な守備シーン」なのである。
■ディフェンスを、限りなく主体的、能動的なモノへと進化させる・・
守備の目的は、相手からボールを奪い返すこと。ゴールを守るというのは「結果」にしか過ぎない。
そして、誰もが知っているように、ディフェンスは、相手の攻撃アクションに「反応する」というのが基本メカニズムであり、ほとんどの場合、受け身にプレーせざるを得ない。
でもこのコラムでは、そんなディフェンスを、限りなく能動的で主体的なモノへと進化させていくことをテーマにディスカッションしたい。
そんな主体的な能動ディフェンスが結実した最高のクリスタル(結晶)こそが、美しいインターセプトなのである。
■守備(ボール奪取)のスターは、何といってもインターセプト・・
フランコ・バレージが魅せた、伝説的なスーパーディフェンス。
それは、分類としては、まあカバーリングに入るんだろうけれど、そのバックボーンは、インターセプトと同じだ。
そう、アンティシペーション(予想能力)。
前述のスーパーカバーリングは、バレージが、マジーニョのラスト横パスを、完璧に「予想」できていたから成就した。
そんなカバーリングに対して、パスを、レシーバーが触る前に、その相手とフィジカルコンタクト無しに奪い取ってしまう(パスをカットしてしまう!)のがインターセプトだ。
とてもスマートで美しい守備(ボール奪取)。
ただ、それを成就させるためには、カバーリングと同様に、次のパスを確実に予想する能力と、それを実行する勇気が問われる。
私は、ここで言うアンティシペーションを「想像力」とも表現するのだが、そのバックボーンは、「経験ベースの感覚」や、それをバックボーンにする「自信」などであり、それによって得られる「心の余裕」なのだと思っている。
それがあるからこそ、「確信」をベースに、リスク(インターセプト)にもチャレンジしていける。それも、中途半端な「反応」アクションではなく、主体的な全力アクション(強烈な意志の爆発!)だ。
言葉を換えれば、「経験を自分のモノにするチカラ」とか、「そこで培われた感覚的な能力」とも言えそうだ。そして、それらが、「自信」という「心の余裕」を生み出すというわけだ。
もちろん、そんな心理・精神的ファクターを確立するプロセスは、人によって千差万別なんだろうけれど・・。
そして、そのクリスタル(結晶)として、美しいインターセプトが演出される。
そんな、(人によって千差万別の!?)心理ベースを確立していくプロセスは、確かに興味深くはあるけれど、ここで、そのテーマをディスカッションしようとは思わない。
そうではなく、美しいインターセプトを目指す上で、もっとも重要な、個人的、組織的なファクターに注目したいのだ。
まず個人的なファクターだが、その第一が、「主体的に考えつづける」という姿勢を高みで安定させることだ。そう、優れた学習能力。
繰り返しになるけれど、それは、様々な経験(体感)を、本当の意味で「自分のモノにするチカラ」ととも言い換えられる。それがあって初めて、美しいインターセプトを成就させられる。
そして、もう一つ。組織的なファクターがある・・。
■イメージがシンクロしたディフェンスの「連動性」こそが命・・
インターセプトという美しいクリスタル(結晶)を生み出すための、組織プレー。
そう、どのように相手からボールを奪い返すのかという守備のチーム戦術(プロセスイメージ)と、それを基盤にした「ディフェンスアクションの連動性」だ。
チェイス&チェック(守備ハードワーク)を忠実に繰り返すだけではなく、同時に、周りの守備アクションも連動させることで、相手攻撃の「自由度」を抑制していく。
もちろん「それ」には、パスの可能性を狭めるという意味も含まれている。そして、だからこそ、その忠実なアクションが、次の美しいインターセプトを生み出すとも言えるのだ。
■連動性の絶対的なバックボーンは、守備のハードワーク・・
忠実なチェイス&チェック(ハードワーク)によって、相手の「自由度」を抑制するからこそ、周りのチームメイトたちが、より明確に、次のボール奪取勝負の具体的なイメージを描ける・・と書いた。
もちろん、「あの」バレージにしても、チームメイトのハードワークなしには、「次」を正確に予想するのが難しいことは言うまでもない。
これは、本当に大事なポイントだ。そう、粘り強いハードワークこそが、美しいインターセプトの絶対的ベースなのである。
もちろん、ハードワークを遂行する選手と、クリエイティブワーク(美しいインターセプト)を創造する選手は、その時々の状況によって変わってくる。その役どころを、事前に決めておくことなど出来ない相談だ。
だからこそ、全員が、「チームメイトにボールを奪い返させる・・」という発想でプレーすることがスタートラインなのだ。
そう、「味方に使われる」というマインドの、ハードワーク遂行姿勢が基本なのだ。そのなかで、たまには、インターセプトを魅せるチャンスも訪れるだろう。
もっとも次元の低いディフェンス姿勢は、「アナタ走る人・・ワタシ、ボールを奪う人・・」なんていう高慢なマインドなのだ。
とはいっても、フランコ・バレージのような「天才リベロ」が守備ブロックを引っ張っている場合は、チト違う。
そこでは、守備ハードワークに徹することで、バレージに最後のカバーリング(インターセプト)を任せるというイメージでプレーするのが最善だという共通理解があるのだ。
もちろん、あくまでも自然発生的に「そうなっていく・・」というニュアンスだけれど・・。
繰り返すけれど、そんな、「互いに使い・使われるというメカニズム」を、最高に機能させるための大前提は、誰もが、「味方にボールを奪い返させる・・」というマインドで、「まず」守備のハードワークからゲームに入っていくことなのである。
■そして最後に、「個」の意志と勇気こそが効果的「ブレイク」の源泉というテーマも・・
冒頭の、フランコ・バレージが魅せたスーパーカバーリング。
もちろん、バレージの優れた感覚(才能)がバックボーンだけれど、そこには、深い自信に支えられた意志と勇気という要素もあった。
勝負スポットに、より近い(より有利な状況にある!)チームメイトがいるにもかかわらず、自分が率先して、リスキーな勝負に打って出るという強い意志と勇気である。
相手ボールホルダーに気を取られ、次の決定的スペース(最終勝負スポット!)をイメージできていないチームメイトがいる。それは誰にでも起こり得る。
それに対して、そんな「イメージ空白プレイヤー」が置かれている状況とは関係なく、「オレがやる・・」という強い意志と勇気をもって、リスキーな最終勝負をブチかましていく選手がいる。
ここが、サッカーのサッカーたる所以なのだが、(繰り返しになるけれど!)そんなイメージ空白プレイヤーと、想像力あふれる創造プレイヤーは、どんどん入れ替わっていくんだよ。
だからこそディフェンスは、互いに「使い、使われながら」助け合わなければならないというわけだ。もちろん、(またまた繰り返しになるけれど・・)バレージのような天才がいる場合は、ちょっと事情が違ってくるけれど・・。
ところで、そんな、ボール奪取アタックを仕掛けていく最終勝負シーン。
そこでは、必然的に、守備のチーム戦術に則った基本ポジショニングのバランス、カバーリング(マーキング)といった決まり事を、放り出さざるを得ない。
私は、そんなディフェンスの最終勝負プロセスを、単に「ブレイク」と呼ぶことがある。
そう、基本タスクを超越した、まさに「自分主体」のリスクチャレンジのことである。
その瞬間、意志と勇気のカタマリとなったチャレンジャーは、戦術的な「決まり事」から自らを解放し(ブレイクし!)、もっとも大事なコト」に全力で立ち向かっていく。
守備で「も」、最後は、「個」の意志と勇気が雌雄を分けるのだ。
そのことが言いたかった。