My Biography(22)_ケルンNo.1プロクラブ(1.FC.Köln=FCケルン)アマチュアチームへのチャレンジ(その2)
■自分の意見を、しっかりと明確にすることの意義・・
「キミは、どのポジションが得意なんだい?」
ゲロー・ビーザンツさんが、そんなことを聞いてきた。
「得意なポジションですか?・・日本では中盤でプレーしていました」
「そうか・・それじゃ、どんなタイプのミッドフィールダーだったんだい?」
ビーザンツさんは、どんどん突っ込んできたっけ。
ちょっとビビッたけれど、それでも、ドイツでは、明確に話すことこそが大事だと聞かされていたから、姿勢を正し、しっかりと答えようとしていた。
あっと・・、そのハナシは、誰から聞いたんだっけ!?
そうか、当時、読売サッカークラブの監督をしていた(私をベッカーさんに紹介してくれた!)オランダ人プロコーチ、ファン・バルコムだった。
彼は、日本で監督をやりながら、しっかりと日本人を観察していたんだよ。そのこともあって、日本人の「どっちつかずの曖昧な表現」を問題視していたんだ。
それは、まあ、日本人特有の「甘え」とも捉えられるわけだけれど、ファン・バルコムは、日本人が自分の意見をしっかりと(明確に)言わないことで、選手やマネージメントとの間で、様々な「誤解」が生じたと言っていた。
だからファン・バルコムは、チームに対して、コトを曖昧にするような話し方こそが、特にプロサッカーにおいては、問題を発生させる元凶だと言い聞かせていたというのだ。
「だからキミは、ドイツに行ったら、とにかく自分の考えていることや感じたこと、また望むことを、明確に相手に伝えなければいけないよ・・アチラじゃ、言葉のウラに日本的な期待を込めたって、相手が、それを慮(おもんぱか)ってくれることなんて、ほとんどないからね・・」
■ゲロー・ビーザンツさんを待ちながら・・
トレーニングへやってくる1.FC.Kölnのスター選手たちに(その存在感に!)圧倒されていたところまでは、前回コラムで書いた。
そのとき、グラウンドを取り囲むように設(しつら)えてある鉄パイプ製の「仕切り囲い」 に腰を掛けていたのだけれど、まさにケツから根が生えたように、身じろぎさえ出来なくなっていたんだ。
でも、そのとき救世主が・・
そんな、半分フリーズした(だらしない!?)状態に陥っていたとき、グラウンド整備の方が近寄ってきて、優しく話し掛けてくれたんだよ。まさに、渡りに船とは、このことだった。
その方は、ドイツ訛りの英語で話し掛けてくれた。
「貴方は、東洋人のようだけれど、どこからいらっしゃったのですか?」
「そうですか・・日本人の方ですか・・そういえば、我々の監督の関係で、日本の選手が、ゲストとして、ウチのプロチームでトレーニングしたこともあったはずだけれど・・」
たしかに、三菱重工や日本代表で監督を務めた二宮寛さんは、ケルン監督のヘネス・ヴァイスヴァイラーと親交が深いと聞いていた。
「はい、そのことは聞いていました・・日本サッカーは、ヘネス・ヴァイスヴァイラーさんとか、デットマール・クラーマーさんなど、ドイツから大きく影響を受けていますからね・・」
「エッ!?・・誰ですって?」
ヴァイスヴァイラーとか、クラーマーという名前には、発音の難しい「W」とか「R」が使われている。だから、そのときの私に、正しく発音することなんて望むべくもなかったんだよ。そのグラウンド整備の方が、名前をよく理解できなかったのも道理というわけだ。
だから仕方なく、紙とボールペンを取り出し、その名前を書いた。
「あ~~っ!! ヴァイスヴァイラーとクラーマーね・・たしかに彼らは、日本サッカーと関わりが深いって聞いてますよ」
でも、そんなこと(私の拙いドイツ語のことだよ・・!)をキッカケにして、その方とのハナシが弾んだっけ。そして、根が深く張りめぐらされる感じだった「ケツ」が、徐々に軽くなっていった。
やはり、人との関わりほど、「気持ち」に大きく影響するモノはない・・ということか。
そして、ひとしきりハナシが弾んだ後で(気持ちの距離が縮まってから!)、その方に聞いてみたというわけだ。
「実は、今日ここに来たのは、アマチュアチームの監督さんを尋ねるためなんですよ・・」
「へ~、そうなんだ・・ゲロー・ビーザンツさんね・・彼のトレーニングは夜だから、クラブハウスに来るのは、5時過ぎだよ・・」
■ゲロー・ビーザンツさんとの出会い・・
・・そうか~っ・・5時過ぎか・・まあ、いいや・・それまで、1.FC.Kölnのプロトップチームのトレーニングを見ていよう・・
時間は、午後3時を少し回ったところ。プロのトレーニングは、リーグ戦キックオフの時間に合わせて、3時半からだった。
プロのトレーニングだけれど、書きはじめたら止まらなくなるだろうから、それについては別の機会に回そう。
それよりも、ゲロー・ビーザンツさんだ。
5時を過ぎたところで、先ほど声を掛けてくれたクラブ従業員の方が、再び寄ってきてくれた。
「あそこでクルマを駐車している方が、ゲロー・ビーザンツさんだよ・・」
「いろいろと教えていただき、本当に、どうもありがとうございました」
その方に感謝し、ビーザンツさんへと視線をはしらせた。
歳は40代半ば。髪は少し薄いし、背も高くはないけれど、スマートで、とにかく精悍な感じのミドルエイジ・スポーツマンという雰囲気を振りまいている。
まさに、「これぞプロコーチ」というオーラを放っているのだ。
カッコ良い・・
ミッテルライン州サッカー協会のベッカーさんから、ゲロー・ビーザンツさんが、ケルン体育大学で教鞭を執っているだけじゃなく、ドイツサッカー協会が主催する、プロコーチ養成コース(コーチングスクール)でも総責任者を務めていると聞いていた。
要は、1.FC.Kölnアマチュアチームの監督さんというだけじゃなく、私が目指している活動領域でもキーパーソンということじゃないか。
だから、そのときの私が、とても緊張していたのは言うまでもない。
ゲロー・ビーザンツさんが、私のことを見た。あ~、冷や汗が・・
でも、そんな緊張が、すぐに消し飛んでいったことを思い出す。
私に近寄ってきたゲロー・ビーザンツさんの方から、気軽な感じで声を掛けてくれたんだよ。
「どうも・・キミのことはベッカーさんから聞いているよ・・ミスター・ケンジでしょ?・・」
以前の連載で、ゲロー・ビーザンツさんが、私の名前を正しく発音できなかったと書いたけれど、それは、ケルン体育大学で、私の名前を、リストからアルファベットで「読んだ」からだった。
そのときは、ベッカーさんから名前を聞いていたことで、「耳で知っていた」から問題なかったというわけだ。
会話は、もちろん英語だ。ビーザンツさんも、とても流暢な英語をしゃべる。
「とにかく、私のオフィスにいらっしゃい・・」と、クラブハウスのなかへと案内してくれる。
■サッカーという、最高の「異文化接点」・・
当時は、プロとアマチュア、またユースチームの更衣室やシャワー室は、クラブハウスのなかの同じ地下スペースにあった。
もちろん更衣室やシャワー室は、それぞれのチームで独立しているけれど、それでも、素っ裸でカッポするスター選手とすれ違ったりするのだから、おのずと「うつむき気味」になってしまうんだよ。だらしない・・
まあ、私が、誰と遭遇しても、目を合わせて「互角の雰囲気」で挨拶できるようになるまでには、ある程度の時間が必要だったということだ。
もちろん「それ」は、ヨーロッパ人に対する(文化的な!?)コンプレックスがあったから。その「深み」から、本当の意味で解放されまでに時間が必要だったというわけだ。
でも私には、そんなコンプレックスからの解放プロセスを加速させてくれる「媒体」があった。
そう、サッカーという本音の世界。
私は、サッカーを、人類史上でも最大パワーを秘める「異文化接点」と呼ぶことがある。
サッカーには、人種や国籍、言語、性別や職業や社会的立場など、全ての「異なった文化」を、スムーズに結びつけてしまうチカラが備わっていると思うのだ。
だからこそ私は、その「媒体」によって、ホンモノの対等コミュニケーションも、かなり短期間で、不自由なく取れるようになったと思うのである。
そりゃ、そうだ。
イレギュラーするボールを足であつかうことで、次の瞬間に何が起きるか分からないというのがサッカーなのである。
そんな不確実なファクターが満載しているからこそ、最後は自由にプレーせざるを得ない。そして、だからこそ、自己主張しなければ、進歩、発展など望むべくもないというわけだ。
まあ、具体的には、自己主張しなければ、ミスの原因を全て押しつけられちゃう・・なんてことも言えるかも・・。
そういえば、私が留学した一年後に、日本人最初のプロ選手として1.FC.Kölnへ移籍してきた奥寺康彦も、そんな自己主張カルチャー(個人主義文化!?)の洗礼を受けたっけ。
最初のころの彼は、私と違い(!?)、自己主張が得意な方ではなかったんだよ。
まあ、私のドイツ留学時代の「戦友」でもある奥寺康彦とのエピソードについても、追い追い書き記していくことにしよう。
■ビーザンツさんのオフィス・・
私は、そのまま、ゲロー・ビーザンツさんの個室に招き入れられた。
デスクとロッカー、そしてシャワーがあるだけのオフィス。
「まあ、そこに座りなさい・・」
そんな感じで、会話がはじまり、そして、冒頭のハナシになっていったというわけだ。
「もちろん、やれと言われたら、どこでもやりますが・・」
「いや、キミは、まだテストトレーニングの段階だから、まず得意なポジションからはじめるのがいいよ・・もちろん、トレーニングの最後にやるゲームでのハナシだけれどネ・・」
その後ビーザンツさんは、私の気持ちを落ち着かせるように、日本でのサッカー事情とか生活の仕方など、私が話しやすい会話をリードしてくれた。
そして、ひとしきり話した後で、もう一度聞いてきた。
「それで、キミは、どんなタイプのミッドフィールダーだと思っているんだい?」
そんなコトを聞かれたって・・。でも意を決して、こんな言い方をした。
「そうですね・・攻撃的なミッドフィールダーですかね・・チャンスメイカーとか(要は、スターが付ける10番のポジションだ!)・・」
そう言った後で、顔が紅潮していくのを感じた。フ~~・・、またまた、だらしない・・。
「そうか、分かった・・トレーニングの最後には、いつも大きなゲームをやるから、そのとき、攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーしなさい・・」
その後もビーザンツさんは、日本のサッカー事情について、色々な質問をしてきた。
彼は、聞き上手でもあった。トレーニングまでは、まだ時間があったから、私の下手な英語の説明を、忍耐づよく聞いてくれたっけ。
そして・・
「それじゃ、更衣室に案内しよう・・そろそろ選手たちも来はじめている頃だろうし・・」と、オフィスから更衣室へと先導してくれた。
私は、そんなビーザンツさんのテキパキとした言動に、優れたリーダーシップのニオイを感じていた。
■そして、更衣室・・
何人かの選手が、すでに着替えていた。
デカイ・・。それだけじゃなく、太い筋肉からも、彼らの凄まじいパワーを感じた。
フ~~ッ・・でも、もうここまで来たら、フッ切れるしかない・・
そして、「グーテンターク!!」と、大きな声を更衣室に響かせたっけ。
(つづく)