My Biography(34)_ヘルムートとベアーテ(その1)
■ヘルムート・・
まずヘルムートが「誰か」というトコロから入っていこうかね。
以前のストーリーで書いたけれど、彼は、FCユンカースドルフのオピニオンリーダーの一人だ。
そう、ユンカースドルフで(私が!)最初にトレーニングに参加した後のミーティングにおいて、ウリと(プレーイングマネージャーの)ヘルベルトの大議論に立ち会っていたアイツだ。
ウリと同じく、ケルン体育大学から、ケルン総合大学の医学部へとステップアップしたこともあって、どちらかといったら、ウリに近い友人と言えるかもしれない。
実は彼、サッカーについては、ほとんど素人同然でチームに参加してきたんだよ。「本職」は、陸上の10種競技選手。威風堂々とした体躯や、基本的な運動能力の高さからも、そのバックボーンがうかがえた。
私も、百メートル走で、かなり引き離されたっけ。
そのときは、1FC.Kölnアマチュアチームでチャレンジしたときのことを思い出したよ。そう、短距離の「往復走」で、ベルントに、大きく引き離されたときのことだ。
自分の足の遅さを実感させられるわけだから、気持ちいいはずがない。でも、まあ、現実だからサ・・。
もちろん、ヘルムートだけじゃなく、ベルントのときだって、テクニックじゃ、まったく負けていなかったけれど、フィジカルでは・・。フ~~ッ!!
ということでヘルムートは、チームのなかでも異彩を放つ存在だったわけだ。そんなヘルムートだけれど、ヤツのアタマのなかは、まさに(もちろん日本でいう!?)体育会系だった。
ベンチ要員の方が多かったけれど、そこから、檄を飛ばす、飛ばす。
「オイッ、なにやってんだ~っ!!・・もっと頑張れよ~っ!・・・・もっと必死に追いかけろ!!・・そこだっ!そこだっ!!」等など。
「あの」体躯だからね、声も大きいし、そりゃ迫力満点だったよ。そしてホントに、檄が飛ぶたびに、チームの雰囲気が引き締まったと感じた。それは、それで大したモノだった。
それって、リーダーシップの一つのカタチ!? まあ、そうとも言える。
またヘルムートは、ある意味、オピニオンリーダーでもあった。彼が話しはじめたら、みんな黙って聞き入ることが多かったんだよ。
でも、ドイツ語が分かりはじめてからは、ヘルムートの発言には、とても「大義名分」的なニュアンスが多いって感じるようになったんだ。
そう、「こうあるべき!!」ってな感じ。
だから、人間的なコミュニケーションにまで話しを深めようとしても、建前ばかりで、本音が出てこないとも感じていた。
要は、自分の弱みや、引け目に感じていることを、さらけ出さない(出せない!?)ということだね。自己防衛本能が強すぎる!?
だから話題も、自分の主張を展開できる社会的なモノや文化的なモノが多かった。それじゃ、コミュニケーションが、表面的なレベルに留まってしまうのも道理だ。
でもヘルムートは、ウリに対しては違っていたらしい。
「そうか~・・オマエには、そんな表面ヅラしか見せなかったのか・・でも、オレには、自分の失敗や悩みを打ち明けていたよ・・まあ、それも、オマエが日本へ帰国した後になってのことだけれどね・・」
ウリが、最近(2011年ドイツ女子ワールドカップのとき!?)になって、ヘルムートについて、そんなコトを言ったんだ。
■ヘルムートとベアーテ・・
その時わたしは、ドイツ留学から帰国して(1981年)就いた読売サッカークラブでのコーチ生活を終え、マーケティングビジネスを立ち上げていた(1986年あたりのことだね)。
その関係で、頻繁に日本と外国を行き来していたんだ(特にヨーロッパ&ドイツ!)。
そのマーケティングビジネスだけれど、まあ、1986年から20年くらいの間かな。そしてドイツでのワールドカップ(2006年)の後は、徐々にビジネスをフェードアウトさせ、活動の比重をサッカーへ移していったんだ。
そのこともあって、ドイツワールドカップの後は、外国へ行く回数が、かなり減った。
とはいっても、今でもドイツへ行くたびに、サッカー観戦だけじゃなく、旧友たちと触れ合うようにしていることは言うまでもない。
あっと・・、すみませんネ、またまた「時系列」が混乱しかけている。ここでは、ベアーテのことを、私の留学当時から「最近」までを一気に追っている。ということで、まあ今回は、明快でしょ!?
ということで ヘルムートについてのハナシだけれど、ウリから、そのことを聞かされたのは、本当に、つい最近(2011年ドイツ女子ワールドカップのとき!?)になってのことだった。
例によって、ウリの家にお世話になっていたときのことだ。
寝る前の「儀式」にもなっていた、ワインやビール(たまにはシュナップス!)を片手に語り合うなかで、ひょんなことから、ヘルムートのことが話題にのぼってきたんだよ。
それは、今でも、とても近い友人の一人、エッセンに住む「ベアーテ」の近況を話し合っていたときのことだった。
「ベアーテは、とても元気にしているよ・・彼女の服飾ビジネスも、うまくいっているし、最近、新しいパートナーもできたようだしね・・」と、私。
ベアーテは、女性だ。彼女は、(1976年からはじまった!)私のドイツ留学時代、ヘルムートと夫婦だった。
ベアーテも、大学で経済学を学ぶ学生だったから、二人は学生結婚。そして、家計は、ベアーテが支えていた。
そのベアーテは、私にとって、とても大事な友人の一人だ。
もちろん、今でもドイツへ行くたびに、彼女の自宅に泊めてもらい、旧交を温めている。彼女の四人の子供たちも良い子ばかりだし、とてもリラックスできるんだよ。
もちろんウリも、ベアーテと、とても近い友人だった。でも、ウリが医者になり、ドイツ北端の町、フレンスブルクに移り住んでからは、疎遠になった。
そのこともあって、私が訪問したときは、二人をつなぐ架け橋になることもあったんだよ。ベアーテのところに泊まるときは、そこからウリに電話を掛けたし、その逆もあったというわけだ。
ハナシを戻して、2011年ドイツ女子ワールドカップのときにウリ宅に居候しているときのこと。
私は、ベアーテについて、ハナシをつづけた。
「最近になって、ヘルムートが、ベアーテをレストランに招待したというんだよ・・そこでヘルムートが、心を開くように、こんなことを言ったんだそうだ・・ベアーテがいなかったら、いまのオレはなかった・・ってね・・」
そのハナシは、私にとっても、とても感慨深いものだった。
「二人が離婚してからは、そこまで心を開いて会話したのは初めてだったらしい・・ベアーテも、そんなヘルムートの告白めいたハナシに、最初は驚き、そして、その言葉にウラがないことを知って、自然と涙があふれてきたということだった・・あの気の強いベアーテが、だぜ・・」
そんな私の話しに対して、ウリが反応する。
「そうか~~・・あのヘルムートが、素直に本音を表現したんだ・・考えてみたら、ヤツも、結婚していた当時は、色々な悩みを抱えていたんだよな・・よく、真夜中までクナイペで飲みながら、ヤツの悩みを聞いてやったよ・・」
「エッ!?・・ヘルムートが、自分の悩みをオマエに語っただって!?・・それは初耳だな・・オレに対しては、当時も、決して自分の悩みや弱みを見せること なんてなかったからな・・まあ、当時のオレのドイツ語じゃ、どうせ話しても分からないと思ったのかもしれないけれど・・」と、私。
そこで、前述したウリの言葉が出てきたというわけだ。
「でも、オレには、自分の失敗や悩みを打ち明けていたよ・・」
いまヘルムートは、エッセンで、医者として活躍している。
とてもプライドが高く、意地を張る傾向が強いヘルムート。その彼が、ウリには胸襟を開いていた。そして、最近になって、ベアーテに対して、心から感謝した(できた!?)。
そのとき、そんな、ちょっと「いい話」に、心が温まる気持ちにさせられたものだ。フムフム・・。
考えてみたら、ヘルムートとは、最近になって、(ベアーテや二人の子供を介して!)徐々に「距離」が縮まりはじめたと感じるようになったっけ。
私は、2006年ドイツワールドカップや、2011年ドイツ女子ワールドカップの期間中だけじゃなく、2013年ブラジルコンフェデレーションズカップの 後でも、休暇も兼ねてドイツに一ヶ月ほど滞在したんだけれど、そのプロセスで「徐々」に、ヘルムートとの親交が深まっていったということか。
たしかに、ベアーテ宅にお世話になっていたときに、パーティーなどで、会う機会が増えていったということもあったね。
そして、ヘルムートの優しい人間性を肌で感じられるようになっていったんだろう。
以前から、親切なヤツだとは思っていたけれど、どうしても「本音のコミュニケーション」が取れずに、距離を置くようになっていたからね。それが、今では・・。
まあ、二人とも60の大台に乗り、社会的にも、人間としても余裕が出てきたっちゅうことか。最近じゃ、スカイプを使って、たまにハナシをするようにもなっているんだよ。
35年以上の歳月を経て、人間的なコミュニケーションの大切さを「再び」実感する。
それは、ちょっと感慨深い経験ではあった。
■そしてベアーテ・・
あっと・・、私の留学時代のハナシに戻ろう。
実は、当時から私は、ベアーテとヘルムート夫婦に関しては、ベアーテとの距離の方が近かったんだ。
とにかくベアーテは、底抜けに明るい。ちょっと喋りすぎのところはあるけれど、人間性の機微なども、しっかりと感じることができるインテリジェンスにあふれた「超」美形のドイツ人女性なのだ。
身長は175センチ。細身で、スタイル抜群(まあ今では、ちょっと太めになっちゃったけれど・・)。そして、ドイツ人とは思えないほどの美人(あっ・・スミマセン・・ドイツ人にも美形は多いんだよ!)。
私は、ベアーテに、生活の面で、色々と助けてもらっただけじゃなく、彼女のご両親にも、まさに息子のようにかわいがられたんだ。
彼らは、エッセンに住んでいた。ケルンからは、北へ60キロ強の都市だけれど、そのエッセンには、ウリの叔母さん姉妹も住んでいたから、定期的に、ウリのクルマでエッセンを訪れていたというわけだ。
あっと・・ベアーテのことだった。
彼女の母親も父親も、それは、それは美形だ。あっと、父親については、美形「だった」と言わなければならない。
とにかく、二人とも、とても謙虚で誠実、思いやりのある優しい人間だった。
まさに、この両親にして、この子(ベアーテ)あり・・ってな感じかな。
いまでも私は、ベアーテの母親のことを、「ママ」と呼んでいる。
■逞しいベアーテ・・
前述したけれど、(私がドイツ留学していた当時)ヘルムート&ベアーテの家庭では、ベアーテ1人が家計を支えていた。
欧米では当たり前の感覚なんだけれど、彼らも、親に養ってもらおうなんて考えていなかったんだよ。まあヘルムートは、親から、少し援助してもらっていたらしいけれど・・。
そのベアーテ。今では、服飾ビジネスで成功しているけれど、当時は、学生結婚を維持するために、まさに何でもやった。
自分が通う大学の学生互助会でアルバイトしたり、ドイツの鉄道会社(当時は、西ドイツ国鉄!)でアルバイトしたり。
なかでも、 西ドイツ国鉄での仕事は、アルバイトとしては、「まあまあ」のレベルを超える収入を得ていた。
車内の「多言語サービス係」。
彼女は、言葉の才能に長けているんだ。パリに長く生活していた(フランス人の恋人がいた!?)経験があるのだけれど、母国語だけじゃなく、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語までも使いこなす。
特に英語とフランス語は、とても堪能だ。
あっと・・、そういえば、こんな経験をしたこともあったっけ。
大学の夏休み、1人で電車旅行に出たときのことだった。
フランス語での車内アナウンス。
そのとき、ハッと、あることに気がついた。
「この声・・どこかで聞いたことがある・・」
(つづく)