2025_J1_第16節・・両チームが秘術を尽くした、ものすごくエキサイティングな勝負マッチだった・・だからこそ、この「終わり方」に、それが正しかったかどうかは別にして、落胆させられた・・(FC東京vsヴィッセル、1-0)

たしかに、勝負はついてしまった(後述)けれど・・

そこには、とても興味深く、血湧き肉躍る、ギリギリの勝負シーンが、テンコ盛りだった。

そう・・

チカラのある両チームだから、攻守にわたって、極限テンションの主体性プレーを、ブチかまし合ったんだよ。

ボール奪取プロセス(守備)でも、スペース攻略プロセス(攻撃&仕掛け)においても・・

まず、攻守にわたる、極限テンションの主体性プレーに、スポットを当てたい。

両チーム選手たちは、後ろ髪を引かれることなく、攻守にわたる「ハードワーク」を、限界まで探しまくっていたんだよ。

そんな、「リミットレスの闘う意志」こそが、「主体性プレー姿勢」の本質的な意味なんだ。

そしてソレは、自身のチカラを進化&深化させるための、唯一の「リソース」でもあるんだ。

あっと・・

そりゃ、ディエゴ・マラドーナ、リオネル・メッシに代表される、「超」のつく大天才は、別だよ。

彼らは、自分の「好きなプレー」をしていれば、チームにとっての、掛け替えのない「価値」を提供できるわけだからね。

そして、チームメイトたちも、それが、「エゴイスティックなプレー姿勢」であろうが、なかろうが、ソレが、もっとも金を稼げるツールだって、深く認識している。

だから、その超天才への「奉仕」を、率先して、こなしていくわけだ。

でも・・

そう、そんな、レベルを超えた天才って、まさに「希有」な存在だよネ。

だから・・

世の中には、勘違いした(!?)天才が、あふれかえるっちゅうワケだ。

まあ、プロコーチにとっては、さまざまな意味合いで、「挑戦オブジェクト」でも、あるけれどネ。

あっと・・

この試合では、そんな「勘違いした天才」は、一人も、いなかったというコトも言いたかった。

前述したように、全員が、仕事(≒攻守ハードワーク)を、探しまくっていたんだよ。

だからこそ、攻守にわたって、ものすごくエキサイティングな「デュエル」が展開されたし、両チームともに、観ているコチラがフリーズするような「ゴール機会」を、何度も、創りだした。

そんなエキサイティングマッチだったから、観ている方々も、手に汗にぎりながら、サッカーの「ホンモノの醍醐味」を、体感しつづけたに違いありません。

その意味でも・・

両チームに対して、心からの称賛と感謝の拍手をおくります。

でも・・

そう、後半ロスタイムが終わろうとしていた最後のタイミングで、コトが起きちゃうんだ。

ペナルティーエリア内で、ヴィッセル選手のウデに、ボールが当たってしまったんだよ。

どうしようかな・・

わたしの見解を、主張しておこうかな・・

まあ、ここまで書いて、主張しないようでは、プロコーチのメンツに関わるから・・

わたしは、「あのハンド」は、「ノー」だって主張するよ。

そこにゃ、不自然な「動き」とか、まして、身体を「大きくさせようとする意図」など、なかった・・と思うわけだ。

倒れ込む身体を「支える」ための、自然な「腕の動き」だったって思うわけさ。

でも、たしかに、微妙だな~~・・

そんな主張をしながら、スローモーションを見直していたら・・

そう、ハンドを取られた、本多勇喜の、ものすごく微妙な「ウデの動き」も、見えてきた。

たしかに、見方によっては・・

安斎颯馬の、ボールコントロール体勢から、「ここにボールがくるかも・・」ってな「感じ」に、ウデを、その「方向」へ、微妙に動かした「感」も残るんだよ。

フ~~・・

難しいネ~~・・

まあ、わたしは、その「腕の動き」は、ごく自然なモノであり、身体を大きくしよう(ボールを止めよう)なんていう意図はなかったって判断するけれど・・

でも、レフェリーの岡部拓人さんは、前述した、その動きに「意図あり」って判断したわけだ。

もちろんわたしは、その岡部拓人さんの判断(主張)も、レスペクトするけれど・・ね。

でも・・サ・・

あんな、エキサイティングで、素晴らしい内容のデュエル・マッチが、こんなカタチで終演を迎えるのには、どうも納得がいかないんだよ。

もちろん、なかには、ホントにヒドイ判定もあるよ。

そして、それまでの素晴らしい勝負マッチが、そのことで、ブチ壊されちゃう。

まあ、とにかく・・

ペナルティーエリア内での「ハンドの反則」の判断基準については、ハンドそのものの解釈含めてだけれど、これからも、紆余曲折があるに違いないと思っているわけだ。

そして・・

素晴らしい「攻防」だったからこそ、「こんなカタチの決着」に、意気消沈している筆者なのだよ。